主体性を探す旅

2021/12/03 21:50:00 | 主体的医療 | コメント:0件

本日12月3日は当ブログで「はじめて」について語る日としています。

2013年ははじめて糖質制限を実践した日のことを、2014年ははじめての断食についてを、

2015年は飲尿療法の経験談について、2016年は鼻うがいをはじめて行ったことについて、2017年は前世療法というちょっと変わった治療法の実践について、

2018年ははじめてホメオパシーを自分で試した経験について、2019年は無農薬・無肥料栽培の実践について、そして2020年は英語以外の外国語学習についてそれぞれ語ってきました。

今年私がはじめて体験したことの中で最も印象的であったのは、なんと言っても「オープンダイアローグ」の実践をはじめて行ったことだと思います。

これはかなり目からウロコの内容で、今でも「オープンダイアローグの練習会」を自分で主催するほど、このやり方に可能性を感じています。

2021年の4月下旬から思い立ってこの会をはじめて、かれこれ30回以上になりました。そして「オープンダイアローグ」の核心部分である「対話」について深く学べるように新たなコミュニティまで立ち上げました。

今回はこの「オープンダイアローグ」の連続的な実践で感じたことについて語ってみようと思いますが、振り返ってみるとそれまでの経緯にはここにつながる必然的な流れがあったように感じています。

というのも、「オープンダイアローグ」の形式は私が目指す主体的医療のひとつの理想型を表しているように感じられたからです。 少し私が「主体的医療」、すなわち「医者が患者を治す」のではなく、「患者が病気を治すのを医者が手伝う」という発想に至った歴史を振り返ってみようと思います。


私は2005年に医師免許を取得した医師ですが、2011年くらいまでは何の変哲もない内科医でした。

医師としては特に優秀な方ではなかったです。まじめな性格ではあったけれど、医学生時代も周囲の同級生に比べて特別成績がよかったわけでもありませんし、むしろ真面目に授業には出ているのに、あまり授業に出ないでも試験に合格できる人達にテストの成績で負けるような要領の悪い人間でした。

今考えれば、その授業をまじめに受ければ大丈夫という所で安心しているような受動的な学習態度がもたらした妥当な学力だったようにも思いますが、いずれにしても私は言われたことをきちんと守る自主性の高い人間だったと思います。

医師になって以降もそのまじめさが仇となり、若手時代はひたすら忙殺の日々です。そして私の主たるストレスの解消法は食べることでした。その結果、忙しい日々の中、私の体重はどんどん太り続けていきます。

そして2011年、当ブログでは何度も語っていることですが、最大134kgまでの超肥満状態に陥り、仕事の人間関係で苦しみうつ病も発症、さらには睡眠時無呼吸症候群も合併して、人生の絶望期へと突入します。

そんな時にたまたま出会った糖質制限という食事療法の実践によって、私の体重はみるみるやせ、同時に心も軽くなり、自分の身体の中で何かものすごいことが起こっているということを強く実感しました。

糖質制限なんていうのは、医学部教育は勿論、医者になって以降も、当時全く聞いたことがないような話でした。ここで私は医者の治療よりも自らの行動を変えることがもたらすインパクト、すなわち「主体性」の重要性に気づき始めるのです。

しかしこの時点ではまだ、この先「主体性」というキーワードに相当苦しめられることになるとは想像だにしていませんでした。むしろ「糖質制限」という強力な武器をもとに、これでようやく多くの患者さんを救うことができると意気揚々と糖質制限の学習に励んでおりました。

ところがこの劇的な改善効果をもたらす糖質制限を自分の患者さん達に伝えども伝えども、理解して実践してくれるのはせいぜい1〜2割程度、多くの人は聞いても聞き流されたり、実践したとしても程なく元の食事に戻るという事実に愕然としました。

それどころか、私の糖質制限を広めようとする活動は、周囲の医師達から猛反発を受けるようになります。当時担当していた外来の枠も外されることもありました。

それでも自分の伝え方がよくないのかもしれないと、もっとわかりやすく、もっと実践しやすい形で糖質制限を伝えることができれば、きっと患者さんにも伝わるはずだと信じていた時代が長くありました。

けれど結果的には価値観の壁に阻まれ、どれだけ熱意を持ってわかりやすく伝えようとも伝わらないこともあるという現実に直面して、随分とうちのめされる思いもしました。

でも自分が食事を変えて劇的に改善したという事実だけは私の中で揺るぎないものでした。だから私の発想は「どうやって相手にわかりやすく伝えるか」ではなく、「どうすれば患者さんが自ら行動を変えるようになるか」という方向へ変わっていきました。この辺りが本当の意味で「主体的医療」の萌芽だったように思います。

2013年頃には全国を飛び回るようにもなりました。糖質制限の理解者、価値観が近い人達ともたくさん出会い、多くの人達とネットワークを作るようになりました。2013年9月にはこのブログも開始、2014年には私の師匠と仰ぐ医師の一人、夏井睦先生が全国各地で開催される「豚皮揚げを食べる会」という糖質制限の実践者の集まりにも足繁く参加するようになりました。

この活動は2017年頃に諸事情で散会となりましたが、その後私は当時赴任していた鹿児島で「糖質制限を語る会」というスピンオフのような企画を自ら立ち上げ、有り難いことに全国各地から多くの方にご参加頂くことができました。今から思えばこれもまた主体的に行動した結果、手に入れることができた財産であったように思います。

しかし一方で糖質制限にまつわる苦悩はここでしかなかなかわかり合えないという構造の問題点にも気づき始めていました。価値観が近い人と集まって話すことは確かに楽しいけれど、それでは世界は何も変わらないという限界を感じていました。

何度か「糖質制限を語る会」を開催するも、主催者側の負担に耐えられなくなり、気づけばこの会を主催し続けることを諦めてしまっている自分がおりました。そんな中、次に私が出会ったのが「哲学カフェ」です。

2017年の11月にたまたまNHKのEテレでの「100分de名著」という番組に出演されていた哲学者の小川仁志先生が紹介されていた活動で、そのわかりやすい語り口で「ラッセルの幸福論」について解説されていたことに興味を持ち、

山口県で開催されているという小川仁志先生主催の「哲学カフェ」に、何を思ったか私はわざわざ鹿児島から何度も参加するようになります。2018年頃の話でした。

そこではそれまでの「語る会」とは違って、同じような価値観の人が集まるのではなく、老若男女さまざまな立場の人が一堂に会し、あるひとつのテーマについて語り合うという試みがなされていました。

一番大事だと思ったのはそこでのルールです。「相手の話を最後まで聞く」難しい言葉をなるべく使わない」、そして「どんな相手の意見でも全否定だけはしない」です。

そうすると何が起こるかと言いますと、最初参加した時点で思っていたこととが、たくさんの異なる意見にフラットに触れ合うことによって、自分の中で一面的な見方になってしまっていたことに気づき、新たに考え直してみようという「主体性」が芽生えることに気づいたのです。

それから「哲学カフェ」の魅力に取り付かれた私は、これまた自分でも何度も「哲学カフェ」を主催するようになりました。哲学の専門家でも何でもない私がこの活動に興味を持ったのは、今から思えばこの「主体性」を引き出すことへの可能性をそこに感じていたからのように思えます。

そして2018年にはもう一つ「オンライン診療」という診療形式に出会い、これは「主体性」を引き出すのに有用な診療形式になるかもしれないという可能性を感じました。

なぜならばオンライン診療では患者が受動的になろうにもそこに医者はおらず、医者側も患者にできることが制限されるため、医者の過介入がなくなり、基本的に患者が頑張る必要があると感じやすいシチュエーションを作ることができるからです。

その点に注目すればオンライン診療は広く多くの人に門戸が開かれるべき診療形式だと考え、私にはオンライン診療専門で開業医になるというアイデアが生まれました。

そして2019年10月当時オンライン診療に先進的に取り組んでいた福岡県に舞台を移し、オンライン診療をスタートさせるに至ったわけです。

しかしオンライン診療の経験を積み重ねるにつれ、いくら私が主体性を引き出そうと患者さんにアプローチしようとも、相手は一向に主体的にならない、というよりも私が期待する自ら病気を治そうというマインドへは変わらないという厳しい現実に直面するようになってきました。

主体性を引き出すのに向いていると思われたオンライン診療には、何かが欠けていると感じていました。

そんな風に悩む中、2021年3月に出会った「マンガでわかる やってみたくなるオープンダイアローグ」という本の中に書かれていた一節を読んで私は衝撃を受けました。

それが1対1の対人関係は不自然で共依存の関係に陥りやすいという文章です。

この文章を読んで私はオンライン診療の主体性を引き出しにくくする構造的欠陥に気づきましたし、同時に「哲学カフェ」でなぜ「主体性」が引き出されたのかという点とも急速につながっていく感覚を得ました。

複数の人が集まって、そもそも価値観を変えようとするのではなく、違った価値観のまま言葉を交わし合うというのは哲学カフェの構造そのものでした。そして「オープンダイアローグ」でもう一つ重要なことは「治癒を目指さない」という方針です。

結局、治そうとするから辛くなるという構造があり、その構造から逃れて多様な視点で自分を見つめ直すことによって、自らに新たな気づきが生まれ、その気づきによって人は主体的に行きたい方向へ歩みはじめるのだということです。刀根健さんが末期がんからサバイブしたことを記した本の流れもまさにそうでした。

過去の振り返りが長くなってしまいましたが、このようないきさつで私は「オープンダイアローグ」にたどり着きました。

ここもまだ主体性を探す旅の途中にあるのかもしれませんが、少なくとも今はこの形に私の主体的医療を具現化していく大きなヒントが隠されているように思えるので、今後も深めていこうという意欲でいっぱいです。

だからこそあんなにも私は急速に興味を持ち、何度も何度もオープンダイアローグを実践しようと思えたのだと思うのです。

過去のすべての出来事に意味があり、今につながる運命の道となっていると感じずにはいられません。

今の「はじめて」物語は、過去の無数の「はじめて」物語と密接につながっているのですね。


たがしゅう
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