たがしゅう哲学カフェ

        

「ストレス」:たがしゅう哲学カフェ in 大阪〜後編〜

category - たがしゅう哲学カフェ
2019/ 10/ 25
                 
「ストレス」をテーマにしたたがしゅう哲学カフェ、最後に私が非常に勉強になったことを記して一連の感想記載を終えたいと思います。

著しいストレスを抱えた人には共感を持って接するべしだということが金科玉条の如く言われますが、

今回の哲学カフェの中では、「自分は優しい言葉をかけられるより、普通に接してもらった方がよい」という方がおられました。

苦しい時に「苦しいですよね」などと苦しくない立場の人から言われても何の足しにもならないというのです。

私は援助的コミュニケーションの技術として、「苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しい」ということを基本に考えていましたので、

見るからに苦しい状況におかれた人に対して行うべきは、たとえ完全でなかったとしても、その苦しみを理解しようと努める共感の精神だと思っていただけにこの発言はショックでした。
                         
                

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「ストレス」:たがしゅう哲学カフェ in 大阪~中編~

category - たがしゅう哲学カフェ
2019/ 10/ 24
                 
「ストレス」について語り合った、たがしゅう哲学カフェ in 大阪の感想を続けます。

ストレスは良くも悪くも、どのように受け止めるかによって、たとえ巨大なものであっても成長の糧にできるという話の流れが生まれましたが、

その話の流れの中で、「ストレスとは善も悪もない『現象』である」という意見がありました。

例えば「雨が降る」ということと同じようなものだと、人によっては雨を嫌がるという人もいれば、

逆に雨を天からの恵みだとして感謝する人も一方で存在するわけです。
                         
                

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「ストレス」:たがしゅう哲学カフェ in 大阪〜前編〜

category - たがしゅう哲学カフェ
2019/ 10/ 23
                 
去る10月20日、大阪で「ストレス」をテーマに「たがしゅう哲学カフェ」を開催いたしました。

私を含めて8名の参加者で「ストレス」というものの本質について自由に語り合いました。

当ブログの読者の方ならおかわりのように、私は病気の根元に「ストレス」というものが深く関わっているとの考えを持つ医師で、

全ての病気の治療に際して主体的なストレスマネジメントを基本におくべきだという考えを持っております。

だからここに来ていま一度、「ストレス」とは何なのか、について深く掘り下げておきたかったのです。
                         
                

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テーマフリーの哲学カフェの面白さ

category - たがしゅう哲学カフェ
2019/ 06/ 21
                 
先日、東京秋葉原でたがしゅう哲学カフェを開催致しました。

今回は初のテーマフリーでやってみるということで、主催者と致しましてもドキドキしながら当日を迎えましたが、

結果的にはそれなりに充実した内容の哲学カフェになったのではないかとほっと胸をなでおろしております。

今回参加者の方々の御同意を頂き、当日の様子はYouTubeたがしゅうチャンネルの方へアップさせて頂いております。

YouTubeでは個人名が入った所や変に間延びしてしまった所をカットした編集版を上げておりますが、

別途ブログのメールフォームから加入可能の「たがしゅう哲学カフェメーリングリスト」では期間限定ではありますが、

ノーカット版の音声をシェアしております(そこに価値があるかどうかは微妙ですが)。
                         
                

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「こども」:たがしゅう哲学カフェ in 秋葉原の御報告~後編~

category - たがしゅう哲学カフェ
2019/ 04/ 22
                 
前回に引き続き、「たがしゅう哲学カフェ in 秋葉原」での様子を報告させて頂きます。

前編では、こどもとは誰にとっても「幸せであってほしい存在」なのではないかという意見で会場はまとまりそうでした。

ところが話は、世間で見聞きする児童虐待のニュースへと及んでいきました。

もしもこどもに対する幸せであってほしい気持ちが、全人類に共通する本能的な感覚だとすれば、

たとえ少数であったとしても、虐待という現象が起こることはおかしいのではないかと、

そうするとこどもを慈しむ気持ちは本能の類ではなく、あくまでも環境の中で獲得された性質なのではないかという意見がありました。

小さなこどもが実の親から虐待されたというニュースを聞くと確かに痛ましい気持ちになると思います。
                         
                

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