2017年03月
たとえ糖質制限していなくとも
category - 自分のこと
2017/
03/
31春は出会いと別れの季節です。
先日、糖質制限をしていても良い人とは限らないという話をしましたが、
逆もまた然りで、糖質制限をしていなくても良い人はたくさんいるという事も忘れてはいけません。
私は今日で今の職場を離れ、また別の場所でお仕事をすることになりました。
今日までいた病院でも私のできる範囲で糖質制限普及活動をしてきたつもりですが、
結果的には十分に広めることができたとは言い難い状況です。
ですが、糖質制限を実践されなくても、優しくて親切で思いやりのある人がたくさんいる職場だったと思います。
先日、糖質制限をしていても良い人とは限らないという話をしましたが、
逆もまた然りで、糖質制限をしていなくても良い人はたくさんいるという事も忘れてはいけません。
私は今日で今の職場を離れ、また別の場所でお仕事をすることになりました。
今日までいた病院でも私のできる範囲で糖質制限普及活動をしてきたつもりですが、
結果的には十分に広めることができたとは言い難い状況です。
ですが、糖質制限を実践されなくても、優しくて親切で思いやりのある人がたくさんいる職場だったと思います。
- 関連記事
信念が先か、欲望が先か
category - ふと思った事
2017/
03/
30私が糖質制限をし始めの頃には、
自分が周りに糖質制限を勧めても、ほとんどの人が理解してくれなかったので、
そんな中糖質制限を始めてくれる人は、自分の頭で考える力を持っている良い人だと思っていました。
ところが5年以上経過した現在、まだまだマイノリティとは言え、糖質制限という言葉が世の中に大分周知されてきた状況の中で、
糖質制限をしている人が必ずしも良い人ではないと感じる事が増えてきたことも感じてきています。
糖質制限を利用して商売に走る人、糖質制限を通じてつながりを求める人、糖質制限を推奨して自らの権威を高めようとする人・・・
それらに共通しているのは「欲にまみれている」ということではないかと思います。
自分が周りに糖質制限を勧めても、ほとんどの人が理解してくれなかったので、
そんな中糖質制限を始めてくれる人は、自分の頭で考える力を持っている良い人だと思っていました。
ところが5年以上経過した現在、まだまだマイノリティとは言え、糖質制限という言葉が世の中に大分周知されてきた状況の中で、
糖質制限をしている人が必ずしも良い人ではないと感じる事が増えてきたことも感じてきています。
糖質制限を利用して商売に走る人、糖質制限を通じてつながりを求める人、糖質制限を推奨して自らの権威を高めようとする人・・・
それらに共通しているのは「欲にまみれている」ということではないかと思います。
不自然な物質への依存の怖さ
category - 医療ニュース
2017/
03/
29いつも見ているケアネットニュースで、こんな記事が紹介されていました。
オピオイドとベンゾジアゼピンの併用はリスクか?/BMJ
提供元:
ケアネット
公開日:2017/03/28
オピオイドというのは簡単に言うとモルヒネなどの麻薬とそれに準じる薬物の総称です。
がん性疼痛など難治性の痛みに対して最も強力な鎮痛作用を有すると言われているのがオピオイドです。
オピオイドを適切に使用すればどんな痛みでもコントロールする事ができると言われている反面、問題となっているのはその過剰投与です。
例えばモルヒネを使用すれば便秘の副作用は必発ですが、
それ以外にも意識混濁、精神興奮、呼吸抑制、口腔内乾燥、皮膚掻痒、排尿障害、痙攣など、
痛みを抑えたいがために使い過ぎると様々なトラブルを引き起こしてしまう諸刃の剣なんです。
オピオイドとベンゾジアゼピンの併用はリスクか?/BMJ
提供元:
ケアネット
公開日:2017/03/28
オピオイドというのは簡単に言うとモルヒネなどの麻薬とそれに準じる薬物の総称です。
がん性疼痛など難治性の痛みに対して最も強力な鎮痛作用を有すると言われているのがオピオイドです。
オピオイドを適切に使用すればどんな痛みでもコントロールする事ができると言われている反面、問題となっているのはその過剰投与です。
例えばモルヒネを使用すれば便秘の副作用は必発ですが、
それ以外にも意識混濁、精神興奮、呼吸抑制、口腔内乾燥、皮膚掻痒、排尿障害、痙攣など、
痛みを抑えたいがために使い過ぎると様々なトラブルを引き起こしてしまう諸刃の剣なんです。
- 関連記事
-
- 不自然な物質への依存の怖さ (2017/03/29)
快を感じる医療は適切とは限らない
category - 読者の方からの御投稿
2017/
03/
28ブログ読者のSLEEPさんより次のようなコメントを頂きました。
胃瘻、人工呼吸器、気管切開、中心静脈栄養などと、
現代医療は延命治療の技術をかなり発達させてきました。
私も神経内科医としてそういう処置がなされる患者さんをたくさん診て来ました。
個人的には苦しいだけの延命治療は施す側の自己満足になるだけの思いがあるため、あまり実施したくない処置なのですが、
家族の希望や状況、ひいては病院の診療指針などを踏まえると、延命行為を勧めざるを得ない状況があるのです。
今の医療というのは長く生きることに特化していて楽しく生きることに対応してないですね。
良薬は口に苦し、と言いますが口に苦いのが良薬と言うわけではないでしょう。
病気になったら真面目に人生を送れ、即入院、手術だ、全力でリハビリだ、禁酒、禁煙なんて当たり前だというのもね、苦しい闘病をさらに苦しくしてどうするんだと思います。
胃瘻、人工呼吸器、気管切開、中心静脈栄養などと、
現代医療は延命治療の技術をかなり発達させてきました。
私も神経内科医としてそういう処置がなされる患者さんをたくさん診て来ました。
個人的には苦しいだけの延命治療は施す側の自己満足になるだけの思いがあるため、あまり実施したくない処置なのですが、
家族の希望や状況、ひいては病院の診療指針などを踏まえると、延命行為を勧めざるを得ない状況があるのです。
便利をあえて捨ててみる
category - 自分のこと
2017/
03/
27断捨離を鋭意実践中の私ですが、
本を友人にあげるという以外にも試みてみた事があります。
それは「椅子を捨てる」というものです。
ヒトは二足歩行に適応し、立って活動することを基本にしている動物です。
しかし椅子というものが人為的に作り出され状況は変わってきました。
ちょっと腰を下ろして座る程度のものであれば、先史時代でも手頃な岩などに座ることはできていたでしょう。
しかし、椅子を作り、その座り心地をよくする技術を高めていった結果、
ヒトはただ座るだけではなく、「楽に座る」ということを覚えてしまったのです。
本を友人にあげるという以外にも試みてみた事があります。
それは「椅子を捨てる」というものです。
ヒトは二足歩行に適応し、立って活動することを基本にしている動物です。
しかし椅子というものが人為的に作り出され状況は変わってきました。
ちょっと腰を下ろして座る程度のものであれば、先史時代でも手頃な岩などに座ることはできていたでしょう。
しかし、椅子を作り、その座り心地をよくする技術を高めていった結果、
ヒトはただ座るだけではなく、「楽に座る」ということを覚えてしまったのです。