医学論文を疑うに至るプロセス

2022/09/08 17:40:00 | 自分のこと | コメント:8件

さて、続いては糖質制限に関する医学論文の問題点について触れていきたいと思います。

糖質制限は私がこのブログを始める原点とも言える重要なテーマです。それゆえこれについて考えるために読んでいる医学論文が適切なのか否かを考えることは非常に大事なところであるわけですが、

色々論文と格闘した結果、私は「糖質制限を否定する論文に十中八九問題がある」ということに確信を持つようになりました。

「読んでもいない医学論文に問題があると決めつけるなんて非科学的な姿勢だ」と批判されるかもしれませんが、私がそのように判断するのにはもちろん明確な根拠があります。

まず第一に私自身が糖質制限の絶大な効果を自分自身の身体で体感しています。これは私にとってそれまでの人生の中で最も大きなインパクトを与える象徴的な出来事でした。

私の中ではこれだけでも十分に意義のある事実であるわけですが、私の体感を感じることのできない人にとってはこれだけだと「思い込みによるプラセボ的改善の可能性もある」と反論の余地があるかもしれませんし、実際にその可能性も全否定はできないかもしれません。

ただここで幸運だったのは、私が医師の立場で糖質制限の妥当性を医療現場の中で複数の患者さん達への診療の中で、より客観的に検証できる立場にあったということでした。 例えば、糖質制限では糖質のみが血糖値を上昇させる(厳密にはインスリンの状態によってはタンパク質でも血糖値は少し上がる)という理論があるわけですが、

カロリー制限食を提供した場合と、糖質制限食を提供した場合の血糖値の差を比較することで、その理論通りの血糖値変動を示すことと、そのことに再現性があることを確認することができました。

あるいは別の角度として、糖が入っている点滴を入れる場合と、糖が入っていない点滴(生理食塩水や脂肪製剤など)を入れる場合とで血糖値の変動がどうなるかを確認することもできましたが、これまた理論通りで再現性もありでした。

外来で患者さんに糖質制限を指導している場合、その患者さんの食事を24時間正確に確認できているわけではないので、「糖質制限しても血糖値が下がらない」という人に出会ったら、

「患者さんが糖質制限をしていると思っているけれどやり方や認識を間違えて実質的に実践できていない」という可能性と、「本当にきちんと糖質制限はできているけれど血糖値が下がらない」という可能性の大きく2つが考えられるわけですが、

ここで私は前に確認した理論の妥当性から、患者さんへ採血を実施して血糖値の下がり具合を見ることで少なくとも「糖質制限をやったつもり」か「糖質制限をできているか」については判別可能な立場にありました。

そのため、糖質制限を行うことで症状やデータがどう変化していくかという現実にしっかりと向き合うことができました。その結果、糖質制限をきちんと実施した人の8割は症状が劇的に改善する方向へと向かうという事実を確認することができました。

一方で、残り2割ほど「本当に糖質制限をやっているけれど、症状が改善に向かわない(むしろ悪化する)」という方がいるということもわかりました。その理由は様々ですが、一番多いパターンは「糖質制限+脂質制限をやってしまいエネルギー不足となってしまっている人」なので、これは厳密には糖質制限をきちんとやっている例とは言えないかもしれません。

でも稀ながらエネルギーを摂取している場合でも糖質制限で体調不良になる人はいるようで、これは「脂質代謝を何らかの理由でうまく活用できない人(先天性、後天性含む)」だという構造も次第にわかるようになりました。

つまり圧倒的大多数の人にとって糖質制限食は今ある病的な状態を改善させることができる方法であるということを、私は主観的にも客観的にも実感してきたということです。


そこで冒頭の「糖質制限を否定する論文に十中八九問題がある」という私の確信に話を戻します。

私の体験と診療経験に基づいて8割の人に効果があるはずの糖質制限食を、集団に適用してその効果を検証したらやはり8割とは限らないまでも効果が出るという結論が出なければ不自然です。

さもなくば「私が病院で診た患者さん達の8割がたまたま糖質制限に相性が良い人であっただけで世の中の大半は糖質制限が効かない人だらけである」という状況を考えるしかなくなりますが、そんな不自然な話は到底信じられるはずもありません。

ということは「糖質制限は危険である」といった類の結論を出している医学論文は、何かを勘違いしているか、研究方法に誤りがあるか、いずれにしても結論を導く方法に何かしらの問題がある可能性が非常に高いという話になってきます。私はそれゆえに「糖質制限の批判論文」を疑いのまなざしで見ているというわけです。

そしてそのようなまなざしで論文の結論だけではなく、細かい部分まで読み込むと十中八九、問題が見えてくるのです。それはうがった見方で論文を読んでいるから出てくる屁理屈だと思われるかもしれませんが、これまでも私は単なる屁理屈だと思われないようになるべく論理的にその問題点を指摘してきたつもりです。

それに単なるうがった見方などではなく、事実と経験に基づいて導いた確からしい見方であることをここまでの説明でわかってもらえると嬉しいです。

この事実と経験に基づいて医学論文を読むという視点で考えれば、糖質制限批判論文の問題をブレずに指摘することは必ずしも難しくないのですが、

少し話はずれますが、ワクチン関連論文について言えばこの視点で論文の是非を判断することは難しいところがありました。

ワクチンに関しては、ワクチン普及後に病気が激減したという確固たる客観的事実があるではないかと思われるかもしれません。何を隠そう私もコロナ前まではそう思っていて、ワクチンの問題は部分的にしか指摘できていませんでした(HPVワクチンなど)。

ただ、まずワクチンの効果を、糖質制限のように個人的に実感することはできません。なぜならばワクチンの効果は「何も起こらないこと」だからです。ワクチンのおかげで何も起こらなかったのか、ワクチンを打たなくても何も起こらなかったのか、のどちらかについてはコピー人間でもいない限り原理的に確認することができません。

だからワクチンの効果は集団に対する疫学調査で確認するしかないわけですが、これもまた交絡因子という問題が入ってきます。つまりワクチンが病気を抑えたように見えて、実は全く別の要因(例:栄養状態の改善や衛生環境の整備など)が病気を抑えていたという可能性もあるということです。

その辺りの交絡因子の存在も踏まえられて疫学調査というものは本来行われているはずですが、交絡因子というのは「交絡因子かもしれないと認識できている要素」でしか調整できませんし、特にワクチン絡みの昔の研究だと交絡因子が調整されているかどうか定かでないものも少なくありません。

とは言え、それはあくまでも可能性の話で、普通に考えればこれまではワクチンが病気を抑制していると考えても大きな矛盾のない世界だったと思います。

だからこそインフルエンザワクチンが効いているようには思えない現実を前にしても、「インフルエンザワクチンはウイルスの変異の問題で有効率は50%くらいだ」などと説明されたら一応つじつまは合うので「そんなものか」と一応は納得し、あまり打ちたくはないけれどインフルエンザワクチンを受け入れていた時代も正直ありました。

しかしコロナ禍に入り私のワクチンに対する見方は大きく変わりました

コロナワクチンの大失敗を受けて見直したわけではなく、振り返れば私がワクチンそのものを疑い始めたのは、コロナワクチンが登場よりもずっと前でした。

コロナを通じて「ウイルス感染症とは何か?」についてひたすら考え続けることによって、「ウイルス感染症とは異物除去システムのオーバーヒート状態である」「ウイルス感染症を起こす背景には自己と非自己を区別するシステムがオーバーヒートしていることがある」といった本質に気づき始めていきました。

そして「もしウイルス感染症がそのような異物除去システムのオーバーヒート状態であるとするならば、ワクチンという異物に人為的に接触させる行為は本当にウイルス感染症を抑制させることにつながるのか(むしろ余計にシステムをオーバーヒートさせることにはつながらないのか)」という疑問にもつながっていきました。

その目でワクチンを全見直ししていくと、「不活化ワクチンよりも生ワクチンの方が効果が持続する」とか「麻疹は自然感染だと終生免疫が得られるけれど、ワクチン免疫だと修飾麻疹など途中で免疫が落ちてトラブルが出ることがある」などといった既知の事実から、「自然免疫の方がワクチン免疫よりも強力」ということを確認します。

また「BCGワクチンがコロナ感染を予防する」という仮説が流布されてきた時に、BCGワクチンが自然免疫を高めたと仮定したらコロナ以外の感染症が日本で少ないとは限らない事実と矛盾するし、結核菌に対して得た獲得免疫がたまたまコロナの結核菌との類似構造を捉えて攻撃できたと仮定すると細菌とウイルスが全く別の構造体であることと矛盾するし、同じウイルス(インフルエンザウイルス、エボラウイルスやHIVなど)への抗ウイルス薬でさえ共通構造を捉えられていない事実とも矛盾することに気づきました。

つまり「ワクチンが有効である」という疫学データは、たとえ事実とはかけ離れていたとしても、医学論文上ではあたかもそれが真実であるかの如く導き出すことができる可能性が見えてきたのです。

それからは「ワクチンが有効である」という医学論文が仮に間違い(別の事象を勘違いして解釈してしまっている)であったと仮定してみた時、「ワクチンで撲滅できたウイルス感染症が天然痘だけである」という情報が妙に気になり始めました。

というのも、もしもワクチンが有効で、ワクチン学が時代とともに発展してきているのであれば、時代を経るごとにワクチンによって撲滅できる感染症が増えていって然るべきなのに、未だに撲滅できた感染症がワクチン技術が最も古い時代の「天然痘だけ」というのは非常に不自然であるように思えてきたからです。

逆にもしも「ワクチンは有効だと思い込んでいるだけ」だとしたら、「天然痘が撲滅」したように見えていることは実はワクチンのおかげではないことになり、そう考えればワクチンは何一つ病気を撲滅できていないことになります。そして、そう考えた方がむしろ自然であるようにも思えてきました。

というのも「ワクチンが異物との強制接触」である以上、「異物除去システムのオーバーヒート状態」であるウイルス感染症は撲滅できなくて当たり前、ワクチンはむしろ火に油を注ぐような行為ということになりますし、

仮にそんな異物との強制接触試練を乗り越えて自分のシステムが強化されるのだとしても、どうせ試練を受けるのであれば前述のようにワクチンよりも自然感染で受けるのが望ましいということになります。

こうした思考プロセスを経て、私にはすべてのワクチンの有効性を謳う医学論文を疑う視点が養われたように思います。

その視点を持ってからコロナワクチンが登場し、私の視点が間違っていないことが確認されるように、日を追うごとにコロナワクチン関連論文の問題が次々と明らかになっていくにつれて、

やはりこの「ワクチンの有効性を示す医学論文」を疑うスタンスには妥当性があると感じられていくようになりました。


ワクチン論文を疑うようになるのは、糖質制限の論文を疑う道のりに比べると随分長かったように思います。

しかし今や糖質制限批判論文を疑う時ほどではないですが、かなり確信を持ってワクチン推奨論文を疑うようになり、実際にワクチン推奨論文の問題点が一流医学雑誌に掲載されているものも含めて怖いくらいにボロボロ出てきています

一方で糖質制限批判論文でさえ疑えない医師が多数派である現状を踏まえると、ワクチン推奨文化が根付いた医療界がワクチン推奨論文を疑えないのは無理もないことだとも思います。まだまだワクチン推奨論文に疑問を持たない人の方が圧倒的多数派でしょう。

でもおかしいものはおかしいわけで、疑ってみた方が世の中の現象を合理的に説明することができるのだとすれば、この声はやはり上げ続けていく必要があるように思います。

糖質制限の話から随分それてしまいましたが、長くなってしまったのでひとまずここで今回の記事は終えて、

次回から具体的に糖質制限批判論文の問題点について本質的な部分に触れていきたいと思います。


たがしゅう
関連記事

コメント

ウィルス感染症

2022/09/09(金) 19:31:05 | URL | ネコプヨ #miENxvkA
ちょっと前まで自分も引っ掛かってたんですが、新型コロナが当初は毒性が強かったものの、デルタ、オミクロンと変異するたびに、感染力は強まったかわりに弱毒化した。だから対策を緩めてもいいという意見があります。
対策を緩めていいという結論はたがしゅう先生と同じですし、一見矛盾が無さそうに見えるものの、やはりウィルス側の都合で見ており、ウィルス感染症は自己システムのオーバーヒートという本質を見えにくくするのがやや問題かと思います。
これよりは、自ら毒素を出さず、塊も作らないウィルスにあるのは、例えばコロナウィルスなら気道の細胞にといったような親和性だけで、弱毒、強毒があるかは疑問。ただし不安、恐怖などの持続ストレスで重症、後遺症が増える恐れはあるというたがしゅう先生の見解を支持します。
新型コロナウィルスというものが仮にあったとしても、性質的に旧型のものと大差なくて、PCRでも両者の区別がついていない可能性が濃厚だと思います。

Re: ウィルス感染症

2022/09/11(日) 10:05:18 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ネコプヨ さん

 コメント頂き有難うございます。

 私はウイルス自体が変異することは認めているのですが、コロナウイルスがアルファ株→デルタ株→オミクロン株と変異していき、次第に弱毒化してきているという世間的な解釈に対しては、それとは別の解釈を持っています。

 つまり「ウイルスは変異を繰り返して弱毒化に向かっている」のではなく、「PCR検査体制がどんどん拡充されてより無症状者を検出する割合が多くなってきた」のだと私は考えています。前者が病原体病因論的なものの見方、後者が宿主病因論的なものの見方です。

 「ウイルスは生存確率を高めるために弱毒化して、宿主を殺さないようにしながら感染を広げていく方に変異するので感染力が高くなる」という仮説がまことしやかに言われていますが、それだとエボラウイルスがいつまで経っても弱毒化しないことと矛盾します。厳密には実はエボラウイルスであっても無症状感染者はいるのですが、少なくとも医学界でエボラウイルスが弱毒化したとは認識されてはいません。

 また医師がコロナを疑ってPCR検査をオーダーする時、「○○株用のPCR検査を」と変異株を指定して指示するわけではありません。一方でもしも現在のコロナがオミクロン株だと仮定すると、アルファ株に対するPCR検査を実施してしまうと検査が陰性になってしまう可能性があります。ただPCR検査はあくまでもプライマーと呼ばれるコロナの遺伝子全体(約3万塩基)のうちの750分の1(40塩基)しか見ていないので、株が変異してもプライマー部分の遺伝子が変化していなければ、依然として旧来のPCR検査で陽性となるはずです。となれば「必ずしも変異したとは言い切れない」状況なわけで、オミクロンの流行下だと言われる中でPCR検査陽性であっても、相変わらずアルファ株が引っかかっている可能性だってあるわけです。なのにいつの間にか皆、医療者達はデルタ株になっただとか、オミクロン株になっただとか確信的に信じて既成事実のように扱われています。なぜ確信できるのかと言えば、コロナの患者像がアルファ株の時と比べてイメージが変わってきた(重症肺炎→風邪様症状)こと、そして公的医療機関がデルタ株やオミクロン株に置き換わったという情報が流されているからです。エボラウイルスの場合にも風邪様症状の患者はいるにも関わらず、そのようなイメージ変化が起こっていないのは、相変わらずエボラのPCR検査が重症者だけに行われているからで、公的期間もウイルスの株が変異したという情報を流さないからでしょう。

 でもウイルスが時間と共に変異しているということと合わせると確かに「ウイルスは変異を繰り返して弱毒化に向かっている」という説明でもつじつまは合うかもしれません。

 でもコロナが何株に変異していようと、相変わらず重症化するのは高齢者、基礎疾患持ちがメインです。こどもでも稀に重症化していると思われるかもしれませんが、その数は極めて稀です。PCR検査を拡充したことによって、拡充前であれば見過ごされていた子どもがコロナと認識されるようになっただけとも解釈できるはずです。しかもPCRはそのこどもでたまたま陽性になっただけで、別の原因で重症化している可能性だってあります。なぜならば全体で見ればほとんどのこどもがコロナで重症化していないからです。少なくとも重症化したこどもというのがどんな背景を持っていたのかがわからない限り(コロナに限らず重症化してしかるべき要因があったかもしれないのに)、コロナは確率論的にこどもでも重症化を起こしうると判断するのは早計だと思いますし、現在の状況を見る限りはこどもにおいて特殊な事情がない限りコロナで重症化することはない(こどもにおいて特殊なシステム撹乱要因がない限り、システムのオーバーヒートは起こらない)と考える方が妥当だと思います。

 ということは、「コロナは確かに変異はしているけれども、別にウイルス側の毒性が変化しているわけではなく、重症化する人がそうなるべくしてなっているという状況は実はほとんど変わっておらず、弱毒化しているように見えているのは、そのように信じさせる情報がまことしやかに流れていることと、そして大多数の無関係な人(厳密には関係あるかどうかそもそもPCRではわからない)にもたくさん検査を実施するようになったから」ではないかと私は考える次第です。少なくともそういう解釈も成立すると思います。

 だから私は「弱毒化したから感染対策を緩めるべき」なのではなく、「そもそも自分のシステムが乱れていなければ異物(ウイルス)と接触しても適切に処理(自己化or異物排除)されるので、自己のシステムをみだすような感染対策(マスク、ワクチンなどの不快介入、3密回避・ソーシャルディスタンスなどの孤独化促進)を行うべきではない」と考えています。

 長くなって恐縮ですが、参考になれば幸いです。

2022/09/11(日) 19:20:37 | URL | T #-
アルコール消毒、症状が無くなっても数日間の強制隔離(無症状の陽性者、濃厚接触者も)なども不要と公的なメッセージを政府から出してほしいです。

Re: タイトルなし

2022/09/11(日) 21:37:38 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
T さん

 コメント頂き有難うございます。

 本当そうですよね。理解できますが、今の政府にそういうことは期待できなさそうにも思います。何か私たちにできる具体的なことはないかも考えていきたいです。

弱毒強毒

2022/09/12(月) 00:37:58 | URL | ネコプヨ #miENxvkA
確かに弱毒強毒がないとまで言いきると行き過ぎというか語弊がありますかね。
肝炎やエイズウィルスなどキャリア化するウィルスは、一生人を苦しめる可能性があるので厄介で、それ自体強毒と言えそうです。
ただそういったキャリア化なども認められず、過去人類と共に永く存在して、常に変異も繰り返していたであろうコロナウィルスが、SARSの時や3年前の武漢の場合だけ突如凶暴化したというのはやや怪しい気がします。
そこで質問なんですが、初期の新型コロナウィルスはより肺に近い下気道に感染するから重症化しやすい、オミクロンは上気道に感染するから重症化しにくいという意見を聞いたことがあるんですが、どうなんですかね?
自分が過去ブログで勉強したつもりのたがしゅう先生の見解では、コロナの重症例が肺胞性ではなく間質性肺炎という事実から、ウィルスの直接的な作用というよりは宿主側のシステムオーバーヒートであって、感染部位の細かな違いはそれほど重要ではない気がしますが。

Re: 弱毒強毒

2022/09/12(月) 15:21:46 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ネコプヨ さん

 改めてコメント頂き有難うございます。

 あるのは毒性の強弱ではなく、外在遺伝子と内在組織の相性(親和性)だと私は思っています。

 B型・C型肝炎ウイルスやHIVのようにキャリア化するウイルスは、それぞれ肝臓やCD4リンパ球と親和性がある外在遺伝子という捉え方もでき、そうした外在遺伝子が親和性のある組織の中に組み込まれること自体は、自己組織との親和性が高いからこそ必然的に起こることであって、巧妙な戦略で入り込んでいるようなものではないと私は思います。

 コロナも気道を中心にさまざまな自己組織と親和性があると考えられますが、キャリア化したウイルスのように親和性が高ければ、そこに組み込まれるだけで何の悪さもしない状態として存在し続けるということはあり得ると思います。ただその親和性がそこまで高くなければ、自己的な要素があるので入るには入れるけれども、やっぱり自己組織の一部としてはおかしいと身体に判断されると異物除去反応が駆動されるということだと思います。その異物除去反応の駆動のされ具合が弱ければ、私たちはその現象を「弱毒ウイルスのせい」、強ければその現象を「強毒ウイルスのせい」と認識しますが、実際にはウイルス側は自己と認識されるか、非自己と認識されるかだけの違いしかなく、それを弱毒だとか強毒であるかのように見せているのは、実は「私達自身の身体のシステムのオーバーヒート具合」なのではないかと考えています。

 従って、SARSウイルスは強毒なのではなく、「SARSは重症感染症だ」という認識で医者が患者を見て、システムのオーバーヒート具合が強い重症の人にしかPCR検査を実施しなかったから、あたかもSARSウイルスが強毒のように見えただけ(本当はSARSウイルスPCR検査陽性だけれど無症状・軽症の患者はいっぱいいた)というのが実情なのではないかと思っています。
 初期のコロナ(SARS-CoV-2)が下気道に感染し重症肺炎を起こすと解釈されていたのも同じで、当時のコロナが重症肺炎だと認識され、重症肺炎の人を中心にPCR検査が実施されていたからだと思います。最近のコロナが上気道に感染するというのも株が変異したからではなく、縦横無尽に発熱患者を中心にPCR検査を実施するようになって、主に検査に引っかかる人が風邪症状を呈する人がメインになってきたから、そう思われてるだけだと思います。

 要するに「病原体病因論」の立場で現実に起こっている現象(どんな人がPCR検査の陽性者に多いか)を眺めることによって、それを説明することができる病原体の特徴を後づけで作った結果、病原体の毒性の概念が生み出されたのではないかと私は考える次第です。そう考えればいまだにウイルスの毒性が何によって規定されるかがわかっていない実情にも説明がつくと思います。

 2020年3月13日(金)の本ブログ記事
 「ウイルスの感染力の強さは何で決まるのか」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-1727.html
 もご参照下さい。

何度もお邪魔してすみません。

2022/09/12(月) 20:10:33 | URL | ネコプヨ #miENxvkA
改めて丁寧に解説していただきありがとうございます。
まさにこの解説していただいた考え方が、一連のウィルス熟考シリーズなどを読んで、本質を突いているなと感銘を受けた所です!
知る限り他の論者でこういう見方をしてる人を見たことがないので、今度の著書をきっかけに広まってほしいです。

またユーチューブの方も見させていただいたのですが、あれはあれで先生の温厚な感じのお人柄が伝わって良いと思いました。
そちらは現在はお休み中のようですが、また再開を期待しています。

Re: 何度もお邪魔してすみません。

2022/09/14(水) 12:54:05 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ネコプヨ さん

 コメント頂き有難うございます。
 また御評価頂き感謝申し上げます。

> またユーチューブの方も見させていただいたのですが、あれはあれで先生の温厚な感じのお人柄が伝わって良いと思いました。
> そちらは現在はお休み中のようですが、また再開を期待しています。


 こちらも有難うございます。励みになります。

 他にやりたいことの多さやYouTubeの言論統制的な部分が気に掛かること、動画編集作業が大変に面倒であることなどが複雑に関わってお休みしておりますが、また折を見て方針を見直し、再開を検討したいと思います。その際には是非宜しくお願い致します。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する