病気の原因にこだわり続けた末路
2024/01/25 11:15:00 |
よくないと思うこと |
コメント:3件
嘆いてばかりいるのも正直嫌なのですが、
それでも厳然たる事実とは向き合っていく必要があります。
はっきり言って、今の医療に完全に任せていると、
自分の人生が破壊されてしまうという流れが、
私の視点ではくっきりと見通すことができています。
それまでにも医療にはそういうところがありました。
健診を導入して生活習慣病とラベリングされて、その後薬を飲み続ける終生通院につなげる流れ、
人生の困難に遭遇した際の精神面での一時的な乱れに対して、精神疾患とラベリングされてこれまた終生通院につなげる流れ、
一時期の「うつ病は心の風邪」というキャッチフレーズは、そういう流れに持っていくことを促進する非常に有効な役割を果たしていました。
そして人生の終末期に胃ろうをはじめとした延命治療を勧めたり、誤嚥性肺炎に対して何度も治療を繰り返し、本人の気持ちはそっちのけで命絶対主義を守り続けようとするスタンス、
当ブログはそれらの話題も折りに触れて取り扱ってきました。
でも今、医療の歪みが最も顕著に現れているのが、何と言っても認知症新薬と新型ワクチンだと思います。
いずれもの薬も私に言わせれば、ただの人体破壊薬、もっと言えばただの毒です。
「毒と薬は紙一重」という言葉がありますが、この二つに関して言えば、薬としての要素はどこにも見い出すことはできません。
ものごとには必ず表の側面と裏の側面があるとは言うものの、
「自分以外の人間は皆殺すべきである」という意見にほとんど賛同者がいないように、
どちらかの側面に思いっきり偏らせることは可能なのではないかと思います。
もしもこれらの毒に、薬としての側面を見い出せる場所があるのだとしたら、それは医学論文の中だけです。
EBMという医学論文を重視する医学のブームが登場して30年余りの時間が流れましたが、
医学論文は製薬会社やそれに紐づいた公的団体、はたまた国家に至るまで実に幅広い権力者達によって、
自分達の都合の良いようにいかようにも改変させられるものへと成り下がってしまったように私の目には映っています。
改変というと、流石に言い過ぎかもしれません。恣意的に表現すると言った方が適切かもしれません。
認知症の新薬、レカネマブの医学論文については以前にも取り上げましたが、
これを売りたい製薬会社からすれば、いかにこの薬の有効性をよく見せるかということに最善を尽くすはずです。
決められたルールに基づいて行った治験結果を、たとえ良くない結果であったとしても、ありのままに発表するほど人間は清く正しくはないと私は思っています。
にもかかわらず、です。レカネマブの治験結果には明確な有害事象が示されているというわけですから。
実際の有効性はいかほどであろうかと疑ってしまいますし、現にこの治験で用いられたCDRという認知機能評価スケールは主観によって評価が大きく変動しうるツールです。
けれど、ARIA(Amyloid-related imaging abnormalities:アミロイド関連画像異常)やレカネマブ用量依存性脳萎縮というような明確かつ深刻な有害事象は、流石に隠しきれないと思ったのか、明示されているわけです。
レカネマブ用量依存性脳萎縮に至っては、認知症悪化作用であり、どこが認知症新薬なんだという話です。
であれば、前身のアデュカヌマブが承認を取り消された時のように、今回も「そんな薬は認められない!」と医学界から反発の声が上がるのかと思いきや、
なぜか今回、国はすんなり承認し、医療界も「この難しい薬をどうやって使おうか」ということばかりに議論が終始しています。
もっと言えば、レカネマブだけではなく、舌の根も乾かないうちに同じ系統のドナネマブという薬もしれっと承認されています。とても厳密な審査が行われているとは到底思えません。
愕然としました。これでは何も知らずに「お医者様にお任せ」した人達は、高額な医療費を支払って毒を注入されてしまうだけではありませんか。
その高額な医療費だって、患者の自己負担だけではなく、国民みんなで集めた保険料が使われてしまいますからね。連帯責任のような仕組みがいつの間にか巧妙に仕組まれてしまっています。
でも仮に何か有害事象が起こったとしても、十中八九、認知症やもともとある病気のせいにされてしまうことでしょう。
認知症は高齢者が主体の病気です。だから何はなくとも薬のトラブルは年齢や病気のせいにされてしまいがちです。
一番最初に登場した認知症治療薬のドネペジル(商品名アリセプト)もそうでした。だからこそ薬をしっかりと減量していくアプローチが成果を上げ、脚光を浴びたとも言えるでしょう。
「もしかしたら自分達が投与した薬の副作用のせいかもしれない」と一般の医者達は思わないのです。そう思うのが難しくなるように、医者の権威やプライドが高められ続けてきたことも関係していると思います。
一方で、若い健康な人に対して薬の投与後に不調が出現したら、流石に医者も「もしかしたら自分が投与した薬の副作用かもしれない」と思うかと言えば、
一般的な薬は確かにそうかもしれません。ただコロナワクチンについてはどうでしょうか。
どう考えてもコロナでは説明できない日本人全体の大量の死亡数増加が起こっているにも関わらず、
ましてやコロナワクチン接種後まもなく死亡している事例も、報告されているだけでも数千件レベルで報告されているにも関わらず、
専門家達の集まりによって99%以上が「因果関係は不明」と判断されてしまうような始末です。
もうこの国の医療に妥当性や正当性など存在しないと判断せざるを得ないのではないでしょうか。
そうなると、まずやるべきことは「お医者様にお任せしない」こと、そのために何をどう考えていけばいいのかを「素人だからわからない」と諦めるのではなく、
この状況をおかしいと思う人達で一致団結して活路を見出していくということに尽きるのではないかと思います。
逆に言えば、この期に及んでも「お医者様にお任せ」してしまう人達は、残念ながら救うことはできず、悲惨なことになったとしても受け入れ、ともに向き合う覚悟を持つようにするしかないのかもしれません。
「まさかお医者様がそんな過ちを犯すわけがないだろう」と思う人がかなり多いであろうことは想像に難くありません。
そのことを考えるだけで私の心は苦しくなりますが、めげずにおかしさを伝え続けていくことしか私にはできません。
もう一つだけ、考えたいことがあります。
そもそも何でここまで著しく歪んでしまったのか、ということです。
この問いに対して私は一つ考えがあります。
それは医療が「特定の病因にこだわりすぎてしまったから」ではないかと思うのです。
認知症新薬であれば「アミロイドベータという異常タンパク質が認知症の原因である」ということ、
新型ワクチンであれば「ウイルスが感染症の原因である」ということ、です。
このような病因にこだわる思考体系で現代医療は発展してきたと言っても過言ではありません。認知症新薬と新型ワクチンはその象徴的な存在です。
しかし私に言わせれば「病気」という現象はもっと複雑です。様々なものとの関係が複雑に絡み合う中で結果として発生してくるという立場に私は立っています。
そんな複雑な状況の中で、「これが原因だ!」と言ってピンポイントでそれを潰すようなことを行うと、全体が歪むのはある意味で必然です。
しかし人体は何らかの原因で歪んだとしても、再び回復する力があります。これを「レジリエンス(回復力)」と呼んだりします。
ところがいくら人体にレジリエンスがあると言っても、強烈な人為を加えられてしまうと立ち上がれなくなっても不思議ではありません。
コレステロールに対するスタチンにしても、がんに対する3大療法にしても、リウマチに対する抗サイトカイン療法にしても、
全部「これが原因だ!」とターゲットを絞って、それを潰すという発想の治療です。
若い頃はレジリエンスがまだ強いから、そんな人為を加えてもまた再び立ち上がることができます。
その状況が「治療(ピンポイントな人為)のおかげで病気が治った」という風に解釈されているのかもしれませんが、
見方を変えれば「強烈な人為を加えられたけれど、何とか自分の力を発揮して整えることができた」
だから同じ発想で高齢者診療を行うと、大半はジリ貧で悪くなっていき、それどころかポリファーマシー(多罪内服状態)に陥って、まるで問題が解決していきません。なぜならば、それまでにさんざんレジリエンスを低下させられているからです。
そして認知症新薬や新型ワクチンというのは言ってみれば、レジリエンスを撲滅させるほど強い人為を加えるものなのだと思います。
そこまで極端なことをすれば流石におかしいと多くの人が気づきそうなものですが、
残念ながら医療者には医学論文上はそれらの強烈な人為が有効な治療であるかのように表現されてしまうことと、
医療を受ける患者側からは長い時間をかけて「お医者様は偉い人」「優秀な人」などの価値観・文化が根深く醸成されてしまったことが、
この強烈な人為のおかしさに気づかせないことに成功してしまったということができるのではないでしょうか。
こう言うと「原因を探さずにどうやって病気を治療するんだ」という批判が来そうですが、
それを考えるのが「主体的医療」です。少なくとも世の中で病気の原因だと扱われているものには正の側面(病気抑制的)と負の側面(病気促進的)があることを自ら考えていく必要があります。
なぜ自ら考えていく必要があるかと言えば、医療が負の側面ばかりを喧伝する文化となっているからです。ネットで検索しても負の側面の情報しか出てきません。コレステロールしかり、尿酸しかり、アミロイドベータしかりです。
とは言え、私も原因というものをまったく考えないわけではありません。
すべてのものに正と負の側面があると言っても、冒頭の「すべての意見に対して表と裏の側面を均等に考えるわけにはいかない」という話ではありませんが、
負の側面(病気促進的)に偏っている物質というのはやはりあると思っています。それが私にとっては「糖質」です。
なぜならば糖質制限をすると、あらゆる病気が快方に向かっていくという経験を、医療者の立場としても、患者の立場としてもしているからです。
「お前だって、糖質が病気の原因だとこだわっているではないか」と思われてしまうかもしれませんが、ちょっと待って欲しいのです。
「◯◯が病気の原因である」という思考は、突き詰めると「◯◯=悪」という思考につながりやすいのではないかと思うわけですが、
一つ私は「糖質=悪」だとは思っていません。糖質、というかブドウ糖は人体の主要なエネルギー源ですし、
糖質の摂取によってドーパミン産生が刺激され多幸感を生じる仕組みも、人生を彩る上では大切なことだと思っています。
ただとり過ぎると良くないということと、何も考えていないとまず間違いなくとり過ぎてしまう社会構造になってしまっていることが問題だとも思っています。
そしてとりすぎた糖質を制限すると、万病が改善していく傾向を見ていますと、
数ある物質の中でも、過剰な糖質は病気促進的な側面が強いと、言い換えれば「過剰糖質が病気の原因である」的な考えをしてもそれほどおかしくはないのではないかと私は考えます。
それに対して「コレステロール=悪」と考えて、コレステロールをピンポイントでブロックしてそこまでの改善効果が得られますでしょうか。
尿酸はどうでしょうか。尿酸を下げる薬は効いているのか、効いていないのか、医学論文上でさえ判然としないことで有名な薬です。当然自覚的にもメリットなど感じることはありません。
なのに多くの病院で尿酸を下げる薬は日常的に処方されています。やっぱり医療に妥当性や正当性などないでしょう。
極め付けは、アミロイドベータです。アミロイドベータを除去することでメリットがあるどころか、明らかな不利益を被っているわけです。なのに医学論文上は有効であるように表現されてしまい、それを盲信する医師達によって使われ続けてしまうという歪み具合です。
今の医療に決定的に欠けているのは、一見病気の原因と思われるような◯◯に対して「◯◯は善(病気抑制的な側面)」という側面があるかもしれないと考えることではないかと思うのです。
もしその側面に自覚的であれば、当然自分の投与した薬のせいで害をもたらすかもしれないという発想も出てくるわけです。良いかもしれないものをブロックするわけですからね。
でも医療にそのような謙虚さは全くない。アミロイドベータを除去することが絶対的な正義と言わんばかりの姿勢です。
もうそのような極端な思想からは離れるべきではないでしょうか。
私は宗教の考え方は好きですが、行き過ぎた宗教は嫌いです。
今の医療は後者に通じているのではないかと私は思います。
たがしゅう
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プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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ポジティヴヘルス
「ポジティヴヘルス」シャボットあかね著の書籍を通読いたしました。
オランダの医療制度は日本とはまるで違っておりました。オランダの医療制度をそのまま日本に投入する事は難しいだろうなと思いました。
ポジティヴヘルスはウェルビーイングとほぼ同意語なのかなとも思っておりますが、いかがなのでしょうか?
心の健康、身体の健康、関わりある社会的な健康、この3つがポジティブヘルスの要素になっていると思うのですが…。それはウェルビーイングでも同じことでは無いのかと思います。
シャボットあかねさんがこのご著書で書かれているところで気になった部分と言うのはやはりタイニーハウスでしょうか。
住宅事情は日本とは相当違っており、一戸建てのおうちをオランダ国内で新たに建築するのは相当時間がかかる(手続き的に)ようなのです。
だからこそ、タイニーハウス、つまり固定資産税がいらない、手続き的に面倒なことがない、がもてはやされているのかとも思いますが、これがなぜポジティヴヘルスにつながるのか理解できませんでした。
日本国内においても、今回能登地方で大地震があったときのように、タイニーハウス(トレーラーハウス)なども使われるようなのですが、恒久的なものではなく、あくまでも災害対応になっている状況ではあります。
さらに病院内で活躍する医師は、基本的には個人事業主であると言うこと、これは日本の医療制度では100年たってもありえないことだなと思いました。
そうしたオランダの医療の中で、死亡率の変遷がどうなっているのか、グラフでも表示されていないので、今のオランダの医療が、人々の命を守ることになっているのか、あるいは逆に切り捨てているのではないか、その辺の数字的なものがまるで見えてきませんでした。
ウェルビーイングにしても、ポジティヴヘルスにしても、私たち一人一人がしっかり勉強した上で、糖質制限を始めとする食生活を実行しながら深く考えていくことがさしあたって必要だろうと思いました。
国の制度や市町村の制度もしっかり活用しながらということと理解しました。
これからの生き方を考える上で大変有益なご著書をご紹介いただいたことに感謝申し上げます。
Re: ポジティヴヘルス
コメント頂き有難うございます。
丁寧に読み込んで頂いているようで恐縮です。
私も一回通読しているだけで完全に把握できていないかもしれませんが、
私の理解している範囲で応答させて頂きたいと思います。
> ポジティヴヘルスはウェルビーイングとほぼ同意語なのかなとも思っておりますが、いかがなのでしょうか?
そうですね。目指しているところは確かに似通っているように思います。
私自身はウェルビーイングに詳しいわけではありませんが、一言で言えば「いい感じの人生状態」かなと思ってます。
ポジティヴヘルスはそのようなウェルビーイングを目指すために、様々な観点から健康を捉えるという必要性と、
その具体的な方法論を本人主導で考えていくという方針を示していると思うので、どちらかと言えば哲学や考え方に近い概念だと思っています。
> シャボットあかねさんがこのご著書で書かれているところで気になった部分と言うのはやはりタイニーハウスでしょうか。
> つまり固定資産税がいらない、手続き的に面倒なことがない、がもてはやされているのかとも思いますが、これがなぜポジティヴヘルスにつながるのか理解できませんでした。
実は私もタイニーハウスには興味津々でした。
なぜタイニーハウスがポジティヴヘルスにつながるのか、についての私の理解は、
「健康のためには安定したお金があることがかなり重要な役割を占めている」ということがあるからではないかと思っています。
つまり住宅というのはお金を損失させる最大の要素で、よく家の購入は人生最高額の買い物だと言われます。
しかしもしかしたらその家の購入は同時に本来はそこまで必要のないことにもお金を費やしてしまっていたり、
あるいは家を購入してしまうことで、移動の自由を制限することにもつながったりするかもしれません。
そこで「そもそも私たちは家に何を求めているのか」、
言い換えれば「家に何があれば私たちは幸せか」を突き詰めると
タイニーハウスという発想が出てきたのではないかと私は考えています。
たとえ小さくてもぬくもりのある素材で作られていて、
寝泊まりしたり、家族でだんらんしたりするスペースがあるのであれば、
それほど大きなスペースは必要ないのかもしれないし、
あるいはタイニー(小さい)であることによって、
移動可能な構造となっていれば、家を建てることによる移動の制限も弱まります。
(とは言え、トレーラーを使って動かすのは結構大変そうだし、土地の問題もありますが)
そのように自分の健康、ひいては幸せであるために家をどうするかという問いに対して、
今までになかった選択肢を提供してくれているのがタイニーハウスだと私は思っています。
> オランダの医療の中で、死亡率の変遷がどうなっているのか、グラフでも表示されていないので、今のオランダの医療が、人々の命を守ることになっているのか、あるいは逆に切り捨てているのではないか、その辺の数字的なものがまるで見えてきませんでした。
ここに関しては異論もあるかもしれませんが、
たとえ死亡率の数字がまったく変わっていなかったとしても、
当の本人達が幸せに天寿をまっとうしているのであれば、
私はポジティヴヘルスの狙いとしては成功ではないかと思います。
もちろん、流石に死亡率が増加していたら、
「本人が幸せであればそれでいい」とは割り切れないかもしれませんし、
個人的にはポジティヴヘルス活動が広まることで多少は死亡率が下がってくれればいいなとは思いますが、
そんな風に必ずしも統計上の数字に成果が現れるとは限らないのが、
ポジティヴヘルスの難しさであり、奥深さではないかと私は思っています。
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