宗教家の長寿の秘訣
2016/05/14 21:40:01 |
おすすめ本 |
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先日、鎌倉時代の前半に浄土真宗を開いた親鸞の言葉をその弟子がまとめた「歎異抄」という書物を取り上げ、
親鸞が仏教界において「常識を疑う事の重要性」を説き、パラダイムシフトを起こした先駆者であり、90歳という長命の人生を生きていたという史実を紹介しました。
鎌倉時代の平均寿命としては人骨などからの推定値で24歳とされているようですが、当時は乳幼児死亡率も高かった事が予想されますので、
たいていの人が24歳前後で亡くなったという意味ではないとは思いますが、それを差し引いて考えても90歳というのは当時にしては相当長生きです。
しかもこの時代の主食はやっぱり穀物であったでしょうし、近代医学もまだ存在していない状況でした。
一体親鸞が長生きできたコツは何だったのであろうか、と考えていたこのタイミングでどんぴしゃりの本と出合いました。
なぜ宗教家は日本でいちばん長寿なのか 単行本 – 2016/4/27
島田 裕巳 (著)
書かれているのは、宗教学者の島田裕巳氏です。
宗教というと多くの人は怪しい世界だとか、ハマると逃れられないとか、非科学的だとかネガティブなイメージで捉えがちですが、
そうした宗教の意義や構造について宗教から離れた立場で研究しているのが宗教学者ですので、客観的に宗教というものを捉える事ができます。
あまりよく知らなかった宗教のことを冷静に分析されており、非常に勉強になる一冊でした。
実は、ブログ読者のミスターTさんにも教えて頂きましたが、長命の宗教家は親鸞に限った話ではありません。
例えば江戸時代には天海僧正が108歳、白隠禅史84歳、昭和に入って山本玄峰が96歳、山田無文88歳、大西良慶107歳、山田恵諦(えたい)98歳などです。
また現代でも瀬戸内寂聴さんは2016年はじめの時点で93歳です。寂聴さんはもともと小説家なのですが、興味深い事に小説家の平均寿命は短いという事もこの本の中では紹介されていました。
一方で宗教家であれば誰でも長寿なのかと言うとそういうわけでもなかったようです。
具体的には親鸞と同じ鎌倉時代に宗教を開いた開祖で比べると、曹洞宗をひらいた道元が53歳、臨済宗を開いた栄西が74歳と親鸞よりも短命です。
その違いはそれぞれの宗教を実際的に運営する上での開祖がしなければならないマネジメントの量の差にあるのではないかと島田氏は分析しています。
つまり心のゆとり、精神の在り方が最終的な寿命にもつながってくるという指摘です。
そんな島田氏はこの本の中で、「僧侶が長生きする6つの理由」と題し、宗教家が長命となる理由を次のように考察しています。
(以下、p144-198より部分的に抜粋)
【僧侶が長生きする6つの理由】
①生活が規則正しい
:お腹がすいたらごはんを食べて、眠くなったら眠る。修行の一部である掃除は適度な運動。
②お経を読み呼吸法を実践する
:お経を読むと精神が安定してリラックスする。厳しい修行を繰り返していくことは、心身を鍛錬することに結びつく。
③質素な食事を感謝してとる
:茶は養生の仙薬、延命の妙薬。精進料理は低カロリー食。
④よく歩く
:「歩く宗教」は日本の特徴(例:四国遍路)。昔は交通機関が発達していなかった。
⑤尊敬される
:人は老いると忘れられていく恐怖を抱く。宗教家は老いることがかえって尊敬を集める
⑥じたばたせずに神仏に委ねる
:「悟り」という生きる目標が死ぬまである。すべてを委ねると長生きする。
(抜粋、ここまで)
いずれも大変参考になる内容が含まれていると思います。
まず①については視方を変えれば、動物的な本能には逆らわず、自然な生活スタイルを重視するという生き方です。
野生のライオンがそうであるように、お腹がすいたら活動し獲物を捕らえるために適度な運動をし、眠くなったら眠るという行動を動物は基本的にとっていると思います。
しかし現代の人間の生活は必ずしもそれが許されない状況です。お腹がすいていても仕事によっては食べられない状況ってざらにありますし、
逆に飽食の時代でお腹がすいていないにも関わらず時間が来たから食べるとか、糖質の中毒性によって食べさせられている人も多いです。
それに交通機関が発達し、現代では自分で求めない限り適度な運動を行う事ができない生活環境になってしまっていることは多くの皆様に納得して頂けるところではないでしょうか。
②の呼吸法も自律神経をコントロールする手段としてとても重要で、これもまたいずれ当ブログで触れたいと思いますが、お経を読む行為にはそれが自然と取り入れられている節があります。
そして気になる③の食事についてですが、宗教家の多くは肉を忌避する傾向があり、糖質制限というわけではなかったようですが、
感謝して食べるという事で食べる量自体が少なかった事と想像されます。感謝して食べるのに暴飲暴食という姿は想像しがたいものですからね。
低カロリー食はごく緩やかな糖質制限ですし、健康な食生活は栄養素の補充よりも食事によって代謝を極力乱さない事の方がはるかに重要という私の少食理論にも通じる話です。
そしてそんな低カロリーの食事なのに過酷な運動に耐える事ができるという④に関しても、現在のプラスばかりの栄養学の問題に一石を投じる重要な事実だと思います。
もっとも興味深かったのは⑤、⑥の辺りで、これが宗教家ならではの長寿の秘訣だと私は感じました。
その中で特に興味深いと感じた部分を引用してみたいと思います。
(p187より引用)
【老いているからこそ醸される人間の深み】
普通の人間は、自分が老いて社会的な地位や身分を失い、尊敬を得られなくなると、逆にそれにしがみつこうとします。
NPO法人や特殊法人などでは年を取っても辞めない人たちが多いですし、町内会の会長とかマンションの管理組合のトップとかも辞めません。
それは報酬に対する執着もあるでしょうが、それ以上にただの人になってしまう恐怖が強いため、しがみついてしまうのです。
そうなると、本人はともかく、周囲からは「醜い」と思われてしまいます。尊敬されることとは対極です。
宗教家は定年のことを気にすることもなければ、地位に執着する必要もなく(する人がいないわけではありませんが)、さらにまわりも高齢の宗教家の話をありがたがります。
おのずと信者が拝みたくなってしまうなどということは、ほかの職業ではありません。
(同じく高齢で尊敬される)政治家だと高齢になりすぎると判断を誤ったり、政治力を失ったり、権力に執着しすぎて晩節を汚すケースが多いため、やはり宗教家とは異なるのです。
(引用、ここまで)
心の在り方は確実に身体に影響をもたらします。
ストレスを悪いものだと捉えるのと、良いものだと捉えるのとで身体の反応が変わってくるという研究データも以前紹介しましたし、
心のストレスを感じ続けていると、私たちの身体はそれに対抗するためのストレスホルモンを浪費し、ストレスホルモンの産生臓器である副腎を酷使し疲れさせる事になります。
老いにネガティブなイメージを持たざるを得ない現在の社会構造はそれだけで長寿を困難なものにしているという事を、宗教家の長寿は逆説的に教えてくれているのかもしれません。
ただ老いをネガティブに捉えるかどうかは自分次第であり、自分の考え方次第でポジティブに捉える事は可能です。
そして、それを捉えやすくしたのが宗教のシステムです。
つまり宗教は究極の目標を具体的ではない「悟り」と称する領域に定め、
年をとればとるほど悟りに近づいて周囲から尊敬される、さりとて永遠に悟りの境地には達しないので終わる事はないというシステムによって老いをポジティブなものとして捉えやすくしたわけです。
しかし「悟りを開くには修行が必要、修行とは厳しく辛いもの」というのが旧来の仏教の考え方でしたが、
長寿を達成した親鸞はその考え方を抜本的に見直し、「すべての人を救ってこその仏教」と捉えた所で優れていました。
すなわち、自分で修行をしなければ到達できないという「自力」の視点から、「阿弥陀様が善人も悪人も皆救ってくれる」という「他力」の視点に切り替え、多くの人達の支持を受けることとなったわけです。
たとえ人生の中でどれだけ苦しい事があろうとも、そして道を踏み外してどれだけの過ちを冒してしまったとしても、
信心さえあれば最終的に阿弥陀様が救ってくれると、自力ではなく、超越的、絶対的な存在にすべてを委ねるという考え方は、究極の安心感、究極のストレスマネジメントになるのではないかと思うわけです。
そう考えると宗教の考え方もあながち捨てたものではありません。
よく現代人の健康寿命が延びたのは、
医療が発達したからだとか、上下水道が整備されたからだとか、食糧生産が安定したからだとか言いますが、
それがいずれもそうでなかった時代から、自然の生き方を大事に心穏やかに過ごしていた宗教家が長寿を達成していたという事実は、
現代医療のみならず、我々の生き方そのものに対する強烈なアンチテーゼとなっているような気がします。
私達が宗教家の生き方から学ぶべき事はおおいにあるように思います。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
穏やかな人が長生き?
お坊さんは、穏やかな人が多く、それが長生きにつながっているような気もします。ストレスに立ち向かうのではなくストレスを受け入れているのでしょうか?
天海僧正が108歳まで生きたというのは驚きですね。
黒衣の宰相と呼ばれたお坊さんですから、どっぷりと政治の世界に浸かって心労もあったと思うのですが。
作家の五木寛之さんも、40歳頃から仏教の勉強を始めたそうですよ。五木さんは、一切病院に行かず、薬も飲まないようです。男性の平均寿命を超えていますが、お元気そうですね。片頭痛や腰痛など持病をお持ちのようですが、自分なりの養生法で持病とうまく付き合っているみたいです。
Re: 穏やかな人が長生き?
コメント頂き有難うございます。
> お坊さんは、穏やかな人が多く、それが長生きにつながっているような気もします。ストレスに立ち向かうのではなくストレスを受け入れているのでしょうか?
ストレスを工夫して受け止めているというよりは、本によれば出家後の生活の在り方にポイントがあるようです。
俗世間と離れて、不毛な人間関係に悩まされない生き方は、自然と究極のストレスマネジメントになっているのではないかと思います。
考えてみれば、患者が医師に気を遣う、なんてのも大きなストレスの一つでしょうから、病院に頼らない行動はそういう意味でもいいのかもしれません。
10/22(土)豚皮揚げの会in京都市 開催致します
豚皮揚げを食べる会in京都市の幹事です!
さて10月22日(土)にまた京都市で開催致します。
是非ともたがしゅう先生さまもご参加頂きますようお願いいたします。
時期尚早と笑われそうですが、多忙な先生方スケジュール確保と観光都市京都のホテル確保は、今からでも決して早くありません!(笑)
宿泊の際は京都中心部をオススメ致します。
今回は江部先生に唄ってもらう為に、カラオケシステムを持込む画策もしております。
たがしゅう先生もお許し頂けるなら物まねお願いいたします。(笑)
Re: 10/22(土)豚皮揚げの会in京都市 開催致します
コメント頂き有難うございます。
またもお誘い頂けて大変光栄です。
10月22日(土)、是非とも参加させて頂きたいと思います。
モノマネの練習もしておきます(笑)。
No title
僧侶が長生きする6つの理由の中で⑤が興味深いです。最近、キレる老人が急増している理由の1つとして「年長者が敬われなくなった」と言われているようです。ですから高齢者はストレスをため、常にイライラしている・・・と解説している本がありました
実際に老人病院歯科に勤務していた時、いつもイライラして若いスタッフに当たりちらしている高齢者が多く居ました
僧侶の場合、通常の老人と逆で常に穏やか(尊敬されるから)という事なのかもしれません。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
御指摘のように「老いて尊敬されるかどうか」はその人の精神衛生に大きく関わると思います。
しかし尊敬されようと権威にしがみつこうとすればするほど逆効果だったりします。この問題は個人の問題というよりも社会全体の問題として根深いものがあると思います。
昔は地域どうしのつながりが深く、老人が自然と尊敬される社会だったと聞きます。そうしたシステムがいつの間にか消え去ってしまったのでしょうね。
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