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科学という名の宗教

category - ウイルス再考
2020/ 04/ 16
                 
新型コロナウイルス感染症に対する特異的な治療薬が世の中にないという状況の中で、

新しいインフルエンザ治療薬の「アビガン(一般名:ファビピラビル)」というのが、新型コロナウイルス感染症に効く可能性があるとの情報を受けて、

日本政府は緊急経済対策の1つとして「アビガン」の備蓄量を今年度内に200万人分まで拡大することをすでに決定しています。

この情報を聞いて、私が考えることは大きく二つあります。

ひとつは「私はアビガンによる治療を絶対に受けない」ということ、

もう一つは「科学という名の宗教が今の世の中を色濃く支配してしまっている」ということです。
            

「アビガン」による治療を私が受けない理由は、失策続きの政府への単なる反発心などではなく、

割と論理的に考えて到達している意見です。一言で言えば「私が抗がん剤治療を受けない理由」に通じます。

まず、私のウイルスに対する捉え方は「ウイルスとは動植物細胞の複製エラーである」というものと、

「ウイルスとは病原体としてがん細胞(自己的)と細菌(他者的)の間の存在である」という考えに基づいています。

「アビガン」という薬のインフルエンザの作用機序は、推定も含めて複雑な話がいろいろとあるのですが、主たるメカニズムとしてはウイルスのRNA依存性RNAポリメラーゼの阻害ということが考えられているようです。

RNA依存性RNAポリメラーゼとは、あるRNAを鋳型にしてそれに関連するRNAを複製するための酵素なのですが、

一般的な動植物細胞では「DNR⇒RNA⇒タンパク質」という流れがあるので、RNAを合成する場合にはDNAを鋳型にする、すなわち「DNA依存性RNAポリメラーゼ」を使用していますので、

RNAを鋳型にしてRNAを作り出すような、一般的な流れとは異なる流れでRNAを作り出すような酵素を持っているのは、ウイルスならではということで抗ウイルス薬のターゲットとなっているわけです。

一方でこのRNA依存性RNAポリメラーゼが、ヒトも含めて動物達には全く存在していないのかと言われたらばそんなことはなく、

真核生物(動物も植物も包含する細胞に核を持つ生物の総称)にもまたRNA依存性RNAポリメラーゼがあり、RNA干渉と呼ばれる現象に関わるマイクロRNAの一種(siRNA)の増幅に関与していると言われています。

難しい話はさておき、要するにヒトの細胞とウイルスに共通する構造がこの治療薬のターゲットとなっているということです。

「アビガン」はこのようなメカニズムを持っている薬なので、DNAウイルスには効かないものの、インフルエンザだけではなくエボラウイルスやクリミアコンゴ出血熱ウイルスなど「RNAウイルス」のカテゴリーに入るウイルスに共通して効く可能性が指摘されており、

新型コロナウイルスが含まれる「コロナウイルス」も「1本鎖RNA +鎖(プラス鎖)ウイルス」であるので有効かもしれないと言われているわけです。

ただ実際に「アビガン」の有効性がエビデンスベースでも示されたわけではなく、少なくとも催奇形性をきたすので妊婦もしくは妊娠の可能性のある女性への投与は禁忌とされている状況です。

私がアビガンの服用を拒否する理由の最たるものは「ウイルス特異的な作用を発揮することができていない」ということです。

様々なウイルスに効く可能性があるという話だけ聞くとよい薬である印象を受けるかもしれませんが、

実際にヒトの動物細胞にも共通し、なおかつRNA干渉というエピジェネティクスにも深く関わる部分を一緒に阻害するということになると、

要はがん細胞だけを攻撃しようとして正常細胞をも一緒に攻撃して本質的に全細胞攻撃となってしまっている抗がん剤治療と同じ構図を示しているということになります。

勿論、抗ウイルス薬のすべてがそうだというわけではなく、「他者」的な要素の強いウイルスに対してウイルス特異的な部分にうまく標的を絞ることができている薬もあるわけですが、

今回の「様々なRNAウイルスに効果が示されるから、新型コロナに使ったらいいかもしれない」という発想はいただけません。様々に効くということは自分の細胞にも効いて攻撃してしまうということなわけですから。

ましてや催奇形性をきたすような薬です。胎児に使うと危険だけど、出生後のヒトに使ったら安全、なわけがありません。


もう一つ、そんな効果の検証が不十分な状況であるにも関わらず、

政府がすでに「アビガン」を200万備蓄という目標を掲げ動き出しているというのは理解できない所ですし、

そこには色々な利権が絡んでいるという陰謀論的な話もありますが、

一方で「アビガン」のような、「不確かかもしれないけれど新型コロナウイルスに効果があるかもしれない薬」を多くの人が求めているということもまた事実です。

「EBM(科学的根拠に基づく医療)」は一体どこに行ってしまったのかとさえ思える状況を目の当たりにして、私に感じられたことがあります。

人々は、これは医療従事者を含めてのことですが、科学的根拠を求めているのではなく、

科学的とされる世界の治療形式を盲信しきってしまっている、言い換えれば「科学が宗教化してしまっている」という風に思えるのです。

勿論、科学的事実そのものを疑うつもりはありません。リンゴが重力に従って地球の中心に向かって落ちることを今更疑う余地もないでしょう。

問題は科学的な事実をどのように解釈しているかというところです。

科学的事実は「ウイルスはDNA, RNA, タンパク質などで構成される自己複製不能な0.1μmサイズの物体である」であって、

ウイルスは人を致死的状態に至らしめる排除すべき未知でかつ恐怖の病原体である」というのは科学的事実ではなく、科学的事実なら導かれた解釈の一つです。

同じ科学的事実からも私のように「ウイルスは動植物細胞の複製エラーである」という様々な解釈ができるわけですが、

アビガンは新型コロナウイルス感染症に対して効果を有する可能性を持つ期待の新薬である」というのも一つの解釈に過ぎません。

科学的事実はどう転んでもただ一つですが、この科学的事実に対する解釈は千差万別であるにもかかわらず、

世間の多数を占める多数ある解釈うちの一つでしかないとある解釈が世の中を席巻し支配してしまっているこの状況は、

科学が「科学という名の宗教」と化してしまっているように私には思えるのです。

本来であればそんな中でも多様な解釈が生まれて、それぞれの解釈に対して賛同者が集まり集団を形成していくのが常でしたが、

今回の新型コロナウイルスにまつわる一連の騒動は、科学に対する絶対的な信頼感を背景に、そこから付随する多様となりうる解釈の中の一つが強固に信じ込まれていて、なおかつ訂正の入る余地のない状況となってしまっているように私には思えるのです。

その強固さたるや、世界の名だたる天才・秀才と呼ばれる人達を持ってしてもそこに従属させるほどの強さを持っていてもはやなす術なしといった状況にまで至ってしまっています。

もはや世界の誰がどう言おうとも、自分の中で納得のできないことに対して他ならぬ自分自身が答えを求めて決断していく覚悟が求められる時代へと突入してしまったように思います。

ただ誤解されないでほしいのは、私は宗教自体を悪いとみなしているのではありません。

宗教はわからないものとの向き合い方を教えてくれて、人生の道標にもなってくれることを私なりに理解しているつもりです。

私が問題だと思うのは宗教の中で「盲目的に信じ込む」というその姿勢です。

世界が「ウイルスは敵である」という解釈に支配され過ぎていやしないでしょうか。

科学という名の宗教」とは、事実を歪んで解釈し、こうだと信じて疑わない姿勢のことです。

たとえ世界がその姿勢に賛同しようとも、私はその姿勢だけには断固として反対したいと思います。


たがしゅう

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コメント

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No title
アビガンについては、医学ど素人の私も
もや~とした不安を感じていました。
素人のなんだかわからないけど、不安、、
この感じって大事だと思います。

フランケンシュタインの誘惑という番組がありました。
科学というものの恩恵と功罪、科学が人類に幸福と共に、最大の不幸をもたらすのであることが解ります。

科学絶対、なにかにつけてエビデンス、エビデンス、専門家が~専門家が~
そんな言葉ばかり聞こえてきて、そちらのほうが不安です。
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Re: No title
ココア さん

 コメント頂き有難うございます。

> 科学というものの恩恵と功罪、科学が人類に幸福と共に、最大の不幸をもたらすのであることが解ります。
> 科学絶対、なにかにつけてエビデンス、エビデンス、専門家が~専門家が~
> そんな言葉ばかり聞こえてきて、そちらのほうが不安です。


 そうですね。
 科学はもともと世界に存在する謎を解き明かすスタンスで発展してきた学問なのに、
 わからないことをわかったかのように決めつけて世界の全てが動かされている現象が私にとってはとても気味の悪いものに思えてしまいます。特にこれしかないと決めつけられる風潮が最も恐ろしいです。科学的なスタンスは本来もっと謙虚なものだと私は考える次第です。