それでもウイルスは敵ではない

2023/01/05 18:00:00 | 医療ニュース | コメント:4件

もういい加減、コロナの話題は取り扱いたくはないと思っているのですが、

未だに医学界の中には「コロナは怖い感染症で、ワクチン接種で制圧すべき」という考えを盲信している勢力も多いですし、

その根拠に医学論文ばかりを使用してくるケースが未だに多いので始末に負えません。

最近の論調としては、「ワクチンのおかげで重症化はあまりしないけれど、軽症でも後遺症化することがあるのでコロナ感染は防ぐべし!」といった内容が多いでしょうか。

私の意見としては後遺症が出るかどうかは、以前にも記事にしたようにウイルスそのものの性質よりも宿主側の要因がはるかに大きいと考えています。

それはさておき、いつも見ている医学情報サイトの「ケアネット」から以下のような医療ニュースが流れてきました。

コロナ死亡例、脳を含む広範囲に長期ウイルスが存在/Nature
提供元:ケアネット
公開日:2023/01/05

(以下、ニュース記事より一部引用)

研究者らは、COVID-19の感染後に死亡した44例の患者の完全剖検を行い、
うち11例の患者の中枢神経系を広範囲に採取し、感染から症状発現後7ヵ月以上までの、
脳を含む人体全体のSARS-CoV-2の分布、複製、細胞型特異性のマッピングと定量分析
を行った。

組織および症例間のSARS-CoV-2 RNAレベルを定量的、統計的に比較するために、
呼吸器系および非呼吸器系組織の観点から結果を分析した。

死亡時の病日により剖検例を早期(14日以内:n=17)、
中期(15~30日:n=13)、後期(31日以上:n=14)に分類し、
後期の症例においてSARS-CoV-2 RNAが存在する場合を持続と定義した。

 主な結果は以下のとおり。

2020年4月26日~2021年3月2日に44例の剖検を行った。
検体はすべてCOVID-19に感染して死亡したワクチン未接種者のものだった。
女性が30%、年齢中央値は62.5歳(四分位範囲[IQR]:47.3~71.0)、61.4%が3つ以上の併存疾患を有していた。
PCR陽性は42例で死前、2例で死後に確認された。11例で脳のサンプリングが行われた。

・発症から最終的な入院、その後の死亡までの中央値は
それぞれ6日(IQR:3~10)、18.5日(IQR:11.25~37.5)であった。
死亡から剖検までの中央値は22.2時間(IQR:18.2~33.9)であった。

・SARS-CoV-2 RNAは84の異なる解剖学的部位と体液で検出され、
早期~後期のいずれも非呼吸器組織と比較して呼吸器組織で有意(p<0.0001)に高い値が検出された。

脳のサンプリングを受けた全症例において、
中枢神経系組織からSARS-CoV-2 RNAが検出
された(10/11例、検出不能を除く)。
ここには、230日目の死亡例を含んだ後期症例のすべてが含まれ(5/6例、検出不能を除く)、
脳におけるウイルスの持続性が確認された。
高いウイルス負荷にもかかわらず、
脳における病理組織学的変化はほとんど認められなかった

SARS-CoV-2 RNAの持続性は、
血漿では検出されなかったものの、
すべての後期症例で複数の組織にわたって確認
された。

(ニュース記事引用、ここまで)



泣く子も黙る天下のNature論文です。

Natureと言えば医学のみならず「科学」全体の領域で、世界で最も引用されているジャーナルと言われている雑誌です。

私なりに今回の論文の要旨を改めて表現しますと、

”ワクチン未接種でコロナで死亡した症例を解剖(剖検)で調べたら脳を中心にウイルスの持続感染が認められた”

という内容だと思います。

この結果を額面通り受け取れば、例えば「だからワクチン接種を積極的に勧めるべきである」とも言えますし、

「コロナ後遺症の原因はウイルスの持続感染が原因かもしれない」と言うこともできるでしょう。なにせ天下のNatureが言っていることですからね。

ただここでまず疑問に思うのは「なんでワクチンの未接種者だけを調べたのか」ということです。

研究期間が2020年4月26日~2021年3月2日ということですから、コロナワクチンが出来て間もない時期ということもあるでしょうけれど、

それにしてもコロナワクチン接種後の死亡者が一例も含まれていないのは不自然です。日本でも8割、調査対象のアメリカでも7割の人がコロナワクチンを打っている状況ですから、コロナワクチン接種後の死亡者を入れることはそう難しくないと思います。

もしコロナワクチン接種後の死亡者も入れていたら、コロナワクチン接種の有無で持続感染に違いがあるかどうかも一部検証できた可能性さえあるのに、です。

それなのに一例も入っていないということは「ワクチン未接種だとこんなひどいことになってしまう」と言いたいがための論文ではないかとどうしても思ってしまいます。

そこまで恣意的ではないとしても、コロナ後遺症の原因を探るために研究者達がワクチン未接種者に共通の原因があるはずだという先入観を持って真面目に研究していたという可能性は十分にあるでしょう。その結果、ウイルスの持続感染という可能性が出てきたと。

これは後遺症が「ウイルスが原因である」という「病原体病因論」の立場に立っているからこその研究姿勢です。

その立場で考えているとまた不自然な現象が起こっています。人を死に至らしめるほどにウイルスが増殖し暴れたであろうにも関わらず、一つは「脳における病理組織学的変化はほとんど認められなかった」ということ、もう一つは「SARS-CoV-2 RNAの持続性は血漿では検出されなかった」ということです。

要するに「脳も含めて呼吸器を中心に全身にコロナの持続感染は指摘されたけれど、なぜか血液の中にはそれが全く観察されないし、脳にはウイルスによって荒らされた形跡がまるでない」ということです。ウイルスが暴れたにしてはおかしくはないでしょうか。

そもそも持続感染の定義は何かと言うと、「発症から31日以上経過した後期症例においてSARS-CoV-2 RNA(コロナの遺伝子)が存在する場合」と書かれています。

では「どうやってSARS-CoV-2 RNAが存在するのか」と言いますと、ここでもおなじみのPCR検査です。

PCR検査は当ブログで何度も取り扱っていますように、陽性であるかどうかは症状との因果関係を証明しません

PCR検査が示すのは、症状の出現に関係しているかどうかはわからないけれど、そのPCR検査がターゲットとする遺伝子が確実に存在するということを示しています。

この話はウイルス粒子はどれだけ調べても観測されなかったけれど、ウイルスDNAがあることでウイルスの存在を示したというHPV(ヒトパピローマウイルス)の話と似ています。

もしもコロナウイルスが持続感染したせいで重症化なり、後遺症なりを引き起こしているのだと仮定したら、このウイルスは相当奇妙な動きをしています。

なぜならば、脳や呼吸器をはじめ、全身の細胞にコロナの遺伝子を残しながら、血液にも脳にも一切その痕跡を残すことなくターゲットを死に至らしめることに成功しているからです。

犯罪でたとえたら実に大胆不敵、一切の証拠を残さずに家中のものを盗み切るような大怪盗で完全犯罪とも言える行為です。

しかしそんな完璧な犯罪を見た時に、普通もう一つ考えなければならない可能性があります。それは「ウイルスが犯人ではない」という可能性です。

「宿主病因論」の立場に立つと、ウイルスは病気の原因ではなく自己と他者の中間体です。またウイルスは自己細胞との親和性を有する外在遺伝子だという考え方もできます。

コロナウイルスは人間の呼吸器細胞と親和性のある外在遺伝子だと仮定すると、両者が接触すると容易に遺伝子の組み入れが起こります。

その際、コロナウイルスの自己性が重視されれば、コロナウイルスは何の阻害を受けることなく自己細胞に侵入して細胞の増殖機構を利用してコロナウイルスの遺伝子を増幅することができます

ここでウイルスは血液中に放出されて全身に広がるイメージがありますが、血液に一つの痕跡もないのだとすれば、実はそんなことは起こっていないのかもしれません。

実際には自己細胞に組み込まれたコロナウイルスの遺伝子が、自己細胞の細胞分裂とともに増幅されるだけで細胞の中に止まり続けているのかもしれません。

そう考えれば脳に持続感染していたのに脳には病理学的変化が一切起こっていないことにもつじつまが合います。

しかしコロナウイルスの他者性が重視されると、同じように自己細胞に組み込まれたコロナウイルス、というよりもコロナウイルスの遺伝子を自己細胞ごと排除する仕組みが駆動されてしまい、

「アレルギー」→「自己免疫疾患」→「サイトカインストーム」の流れを経て、人体を崩壊の方向へと導いてしまう、つまり死に至らしめられてしまうというストーリーも考えることができます。

そう考えると、脳に病理学的変化が起こっていないという情報は、ウイルスの完全犯罪を示唆する所見ではなく、

その他者への攻撃性が高まった環境において、全身のコロナウイルス遺伝子が組み込まれた細胞を排出しようと正当な異物除去反応を駆動していただけだという傍証にも見えます。つまりそもそも犯罪など存在していなかったという見方です。


少なくとも宿主が死ぬほどの事態に陥ったことを「ウイルスが原因だ」と証明したいのであれば、

血液中にウイルス粒子があることを示してもらいたいものです。それができないのであれば私には「宿主病因論」の方がよほど説得力を持ちます。上記の現象に矛盾を生じないからです。


ちなみに、このNature論文のAcknowledgements(謝辞)の部分を読んでみますと、次のように書かれています。

「本研究は、米国国立衛生研究所(NIH)臨床センター、国立がん研究所がん研究センター、国立歯科・頭蓋顔面研究所、国立アレルギー・感染症研究所の学内研究プログラムによる資金援助・支援を受けて実施された。」

つまり、アメリカの公的機関が資金面で全面的に支援しているということです。

言い換えれば「病原体病因論」はもはやアメリカ医療界の常識として支持されていることを示しています。

まるで天動説を覆そうと奮闘したガリレオ・ガリレイの気分を想像します。

「それでも、ウイルスは敵ではない」

私はそう唱え続けていきたいです。


たがしゅう
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コメント

目に見えないから怖い

2023/01/06(金) 22:19:21 | URL | だいきち #-
目に見えない事物は、その実体のフォルムの形成を人の想像力に委ねます。

想像を支援するのはイメージ画像です。
画像は、人々の恐怖を煽ったり幸福感を与えたり…世の中を煽動できたりと汎用性高いツールです。

テレビでのコロナウィルスの画像や抗菌薬cmで用いる手に付いた細菌や口腔内細菌の画像。
また、軍事ロケットと軍隊のモンタージュ。

日常の肉眼ではまず見たことがないあの「禍々しい未知なる感」が満載の画像は、SF映画から刷り込み得た「得体の知れない物に対峙した時の恐怖」体感をスムーズに支援するには大変勝手良いツールです。

何しろ見たことがないから、他者にイメージを与えるには「与える側のさじ加減」で如何様にも衝撃の増減は可能です。

インターネットが普及し、あまりにもツールとしての「視覚イメージ」が乱用され過ぎて、世間は実体を知る前に「知ったつもりになる」傾向があります。

ウィルスも菌も既に大昔から人々と共生していた、敵は外では無く内から己が生み出す物である…この真実を再確認する時期ではないでしょうか。
 
他に侵入していきなり牙を剥く野蛮な生き物は、人以外にいないのではと感じます。

いつもありがとうございます

2023/01/07(土) 05:43:40 | URL | なおにゃん #-
新年あけましておめでとうございます。
本年も記事から学ばせて頂いております。

「宿主病因論」というのが、こちらの記事の数々を拝見しながら私が最もハッとさせられた内容でした。

仰るように多くの常識とされているものは「病原体病因論」なのでしょうが、そういう切り口もまた未知の事実や人体、世界の神秘に迫る大切な視点なのではないかと思います。

人間は利権や名誉欲、メンツなどに左右される愚かさと無縁ではいられませんが、そういう時こそ一つの科学や分野を盲信せず、人類の歴史から学ぶ姿勢が大事なのではないかと考える日々でした。

田頭さまもどうぞお身体大切に、2023年をお過ごし下さいませ。

Re: 目に見えないから怖い

2023/01/07(土) 08:10:33 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。

 「見えないからこそ怖い」というのは本当にそうだと思いますし、
 「見えないからこそ何でもあり」にさえしてしまうことに、ご指摘のようにイメージ画像は大きく貢献していると思います。

 もちろん、「何でもあり」と言いながらも、まずは既知の理屈をもとに語られることにはなりますが、
 見えないことによって、説明する中で生まれる多少の不合理性は、新たな理屈を増設することで飛び越えていけます。
 「病原体病因論」における「集団免疫」や「無症状感染者」などの概念がそれに相当すると思います。

 逆に言えば、見えないからこそ、今の社会の説明のされ方は本当に適切なのかどうか、矛盾を生み出していないかどうか、丁寧に見て見直していく姿勢が大事になってくると私は思っています。

 他に侵入する野蛮さが他の生き物にはできない革命を起こす良さもあるとは思いますが、その行いがいきすぎてしまっていないか、適宜見直して軌道修正し続けていく社会になっていけばいいなと思います。

Re: いつもありがとうございます

2023/01/07(土) 08:18:04 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
なおにゃん さん

 コメント頂き有難うございます。

> 仰るように多くの常識とされているものは「病原体病因論」なのでしょうが、そういう切り口もまた未知の事実や人体、世界の神秘に迫る大切な視点なのではないかと思います。

 それは確かに大切だと思います。
 ご指摘のように「病原体病因論」に基づいた研究が世界の謎を解き明かしてきた側面も大きいでしょう。
 批判的に考えていると、ついつい忘れがちになる視点です。

 「病原体病因論」にしても、「宿主病因論」にしても、おそらくどちらかが絶対的に正しいというものはないでしょう。
 「宿主病因論」の中でも「宿主」の状態次第では、「病原体に病気をうつされたとしか思えない状況」は存在します。ただ片方の理解だけを絶対的だと思ってしまうと、矛盾する事象はきっと出てきます。その時に自分の考えが片方だけに偏っていたのではないか見直せるかどうかが運命の分かれ道なのかもしれませんね。

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