良い医者を探すのではなく、医療者と対話できるようになる

2023/01/12 12:30:00 | 主体的医療 | コメント:10件

少し前に「上手な医師のかかり方」というテーマで数人で対話する機会がありました。

どの医者にかかるかによって患者の命運が大きく左右されると、だからどの医者にかかるかというのは非常に大事な問題なのだと。その気持ちはよく理解できます。

ただこのテーマは「どの医師が信用できるのか」という意味に置き換わりがち、言い換えれば「信用できる医師の見抜き方」というテーマに関心を持つ人もきっと多いと思います。

ただ私は相手が信用できる医師であるか否かを見抜くことは、はっきり言って不可能に近いことだと思っています。

よく言われることとしては、患者の目を見て話し、身体を触れた診察を行い、患者の疑問にも十分に答え、じっくりと話を聞いてくれる医師、などがありますね。

一方で、多くの医師は「科学的根拠に基づく医療(EBM)」と呼ばれる概念を大事にしています。

それは言わば医療の標準化、均一化と言えるような考え方です。全国津々浦々、どこの病院にかかっても医師は基本的にEBMの考えに基づいて患者を指導します。

その場合、たとえ丁寧で話を聞いてくれる医師と出会ったとしても、基本的にはEBMのレールに乗せられた治療コースへと導かれることになります。 というより、すでに今の日本社会の場合、ほとんどの場合、どの医者を選んだとしてもそのEBMコースへと導かれているという状況になっていると思います。

相手が話を聞いてくれる医師かどうかはあまり大きな問題ではないのです。結局は「EBMコースへどうぞ」という構造になっています。

それで皆が健康で幸せになっているのであれば問題ありませんが、そうではないからこそ「上手な医師のかかり方」という議論が発生するのではないでしょうか。

他方、少数ながらEBMを疑うスタンスの医師もいるにはいます。例えば、東洋医学の考え方を重視する医師達(今はこういう医師もEBMの考えに染まり過ぎている感はありますが)、あるいは私も該当する糖質制限推進派の医師達です(こちらにもEBM重視の人たちもいますが)。

では、そういう医師達に受診すればいいのかと言ったら、そうとも言い切れない部分もあります。そういう医師達は医師達でEBM中心主義ではないものの、独自の価値観を持っていることも多いので、

提供される価値観が「EBM」ではなく、「独自の価値観」に変わっただけで、本質的な構造は一緒だと思います。

なので私がかかる医師として望ましい条件は「多様な価値観を尊重し、一つの価値観を押しつけない」ということ、つまり「対話」を理解していることではないかと思います。

ただ問題は、相手が「対話」を理解している医師であるかどうかを事前に知る術がないということです。

インターネットで検索したところで、「私は対話を理解している医師です」とか「私は多様な価値観を尊重し、一つの価値観を押しつけません」などと医師が表明する情報など書かれていませんし、

仮に書かれていたところで、その台詞を信じて受診しても「対話」的に話を聞いてもらえるという保証は限りません。「対話」の理解度も人それぞれ様々ですし、完璧に「対話」を理解したと言える状況もまずないですし、そもそも1対1の環境は最も「対話」が難しい環境だと言われています。

ただ運よく奇跡的に非常に「対話」の理解度の高い経験豊富な医師に遭遇できたとしても、もう一つ別の問題があります。

それは当ブログで何度も問題にしている「先生にお任せ」というスタンスでは「対話」は決してうまく進まないということです。


そもそもなぜ「上手な医師にかかりたい」と思うのでしょうか。それはおそらく現状の医師が提案する治療方針に満足がいっていないからでしょう。

その背景には「もっと良い先生であれば、もっと良い治療をしてくれるはず」という考えがあって、だからこそ、そのまだ見ぬ「上手な医師」に出会おうと求めるわけです。

しかしそもそも自分の考え方や行動が病気の発生に大きく関係してくることに目を向けないまま、他者からの介入だけで解決しようとするのは無理があるということを、

EBMで多くの健康課題が解決できず(解決しているように見せかけて問題を先延ばしにし続けている)、延々と医療につなぎ止められていく患者達の現状が教えてくれているはずです。

これと同じ轍を踏まないようにするためには、「上手な医者を探す」のではなく、「上手に医者と関わる」という考え方を発展させていく必要があると私は考えています。

つまり逆に言えば、どの医者にかかっても構わないのです。もっと言えば医者だけじゃなく全ての医療者に当てはまる話です。

問題は自分の病気に対する考えをしっかりと持っておくこと、それと照らし合わせて医者の提案は自分にとって価値があると思えるのか、あるいは離れた方がよいと感じるのか、

はたまた不足する情報を埋め合わせ合いながら、どちらのスタンスでいくべきかをもう少し熟考すべきなのか、

そうした相互の「対話」的なやり取りを通じて、自分の進むべきオリジナルのコースを模索していくようなプロセスが必要になってくると私は思うのです。

はっきりいってそれはとても面倒くさい作業です。また素直に医者の言うことに従っていた方が利益のある状況もあり得ます(心筋梗塞や脳梗塞でカテーテル治療を受けた方がいい)。

しかしその選択肢を含めて、「先生にすべてをお任せします」ではなく、「この部分はあなたの提案を採用します。しかしこの部分は自分の考えをしばらく試してみます」などと対話の中で調整をしていく作業が、

本当に満足できる、また治療効果も得られる、そして現代医療にいつまでもつなぎ止められることのない医療、すなわち「主体的医療」を実現していくために必要不可欠なことだと思っています。

そんな面倒くさいことはしたくないという人は、きっとこれからも世界のどこかにいるかもしれない自分の病気を治してくれるであろう医者を探し続ける旅を続けるのだろうと思います。

私はそれは仕方がないことだと思う一方で、大変残念なことだとも感じています。


先日も、精神科の薬をたくさん飲み続けている40代くらいの女性が左肩が痛いということで受診されました。

「精神面は精神科の薬を飲み続けているおかげで安定している」とのことでしたが、明らかに表情は虚ろで感情の起伏が乏しいと感じられる状況でした。

聞けば、2ヶ月前に左肩にインフルエンザの予防接種を受けたとのことで、見た目は腫れているわけではありませんが、ずっとその部位を痛がっているような状況でした。

かかりつけの精神科医にはそれが相談されることなく、他所の整形外科を受診しあらゆる痛み止めを試されるも全く効かない、むしろ余計に悪化するという訴えをされていました。

私は左肩への意識と、自律神経過剰刺激状態を介した緊張性筋炎症候群(Tension Myositis Syndrome: TMS)の可能性を考慮し、

自律神経の過剰刺激状態には精神科の薬の過剰投薬状態で、薬の血中濃度変化で自律神経が刺激されたり安定されたりと揺さぶられる状況も関与している可能性があると考え、

「精神科の薬をたくさん飲んでいると、痛み止めが効きにくくなるということもあるので、精神面が落ち着いているのであれば少しずつ精神科の先生と相談しながら薬を減らしてみていかれるのはどうですか?」と提案しました。

ところがその患者さんは「薬のおかげで症状が安定しています(と精神科医から言われています)」と答えられ、その提案は却下されました。

この状況で私が何をどう説明しようとも、患者さんが薬を減らすという選択肢を考慮することは至難の業だと思います。

なので私としてはこの患者さんに対してせいぜい漢方薬でお茶を濁すことくらいしか提案できませんでした。

この状況であれば、TMSという私の仮説が必ずしも正しいとは限らないということは認めた上でですが、

もしも仮説が正しい場合、精神科医のEBMに基づいた指導こそが、「薬を減らして自力で自律神経を調整する働きを復活させる」という主体的なアプローチから遠ざけるという構造になっていると思います。

そしてその主体的なアプローチこそが痛みをなくす唯一の方法であった場合、患者の痛みをとるためには感覚を麻痺させていく方向でしか対処できないということになってしまいます。

もっと端的に構造を表現すれば、「洗脳が主体性を奪う」ということです。

一番不幸なのは、薬を飲み続けることを患者が治療だと信じて疑わないことです。まさか自分の行動を見直すことが治療につながるとは思ってもいなさそうだ、ということです。

「対話」を大事にするというのであれば、そういう感覚麻痺的に痛みをとる治療も一つの価値観として認めるべきだと言われたら、それはそうかもしれません。

ただ全ての価値観に等しく同じように共感できるわけではありません。私にも良いと思える価値観と合わないと感じる価値観はあります。

合わない価値観に遭遇した場合には距離を置きたくもなります。距離はおくけど断絶はしないというのが「対話」的スタンスなので、距離を置くまではアリだと思っています。

ただ今の世の中は、特に医療において私が合わないと感じる価値観ばかりが横行しているような状況です。だから離れてばかりもいられず、私はその状況そのものを何とかしたいと思っています。

もちろん、そうした感覚麻痺的な治療もあるのはあっていいと思います。緊急避難的にそうした治療が助けになることもあるでしょう。

ですが、治療とは何なのか、もっと良い方法はないのか、規定路線で正解が与えられるような形ではなく、患者と一緒に自分にとっての治療とは何か、「対話」的に模索できる場は少なくとも必要でしょう。


医師が患者に寄り添うだけでは主体的医療の実践は不可能です。

医者も含む医療者と患者のそれぞれの歩み寄りが必要です。

中でも患者が病気というものについて多角的に考える機会の必要性を私は強く感じています。

義務教育の中でもそれを教わる機会はほぼありませんし、

医者が過剰なまでに崇拝され、盲信され過ぎている風潮も強いです。

病気というものについて多角的に考えるという経験が、

医師と上手に関わろうとする際の役に立てばいいと思っています。

そういう場を地道に作っていきたいと思います。


たがしゅう
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コメント

弊害

2023/01/12(木) 20:02:55 | URL | だいきち #-
鳥インフルエンザとXBB.1.5のニュースを最近よく耳にします。
この「ウイルス騒動」いつ収束するのでしょうか?

と言いますのが、少なくとも私が子供の頃はウイルスの蔓延についての話題はほとんど耳にしたことがありません。

何故今になってウィルスを騒ぎ立てるのでしょうか?ウイルスの蔓延自体が当時(昭和50年頃)はなかったのでしょうか?
それとも実は密かに蔓延していたが、検査技術的が無くて「知るすべがなかった」からなのか。

前者であれば、蔓延の理由は地球温暖化または他に何かの環境変化が考えられるのか?と新たな疑問が浮かびます。

後者であれば「知らないほうが人々は幸せに暮らせた」となります。

「新発見」は人々の生活の質を向上させるとの大義の元、とりわけ医療の分野では検査技術や薬品開発に多大な費用が費やされていますが、メリットよりも弊害の方が大きくなってます。

知りすぎて不安になり、摂取し過ぎて不健康になる弊害です。

これからも新発見や新技術が更に早いスピードで広がっていく時代ですが、その際に生じる「弊害」との向き合い方で生きやすさが違うと思う次第です。

Re: 弊害

2023/01/13(金) 10:06:20 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。

> この「ウイルス騒動」いつ収束するのでしょうか?

 国民の大多数がウイルスのことを気にしなくなった時、というのが一番あり得るストーリーだと個人的には思っています。
 すでにそういう徴候は生まれ始めているように思いますので、あと数年くらいでそれまでのインフルエンザのような意識になっていくのではないかと想像しています。

> 何故今になってウィルスを騒ぎ立てるのでしょうか?ウイルスの蔓延自体が当時(昭和50年頃)はなかったのでしょうか?
> それとも実は密かに蔓延していたが、検査技術的が無くて「知るすべがなかった」からなのか。


 私は後者だと感じています。
 そして知りすぎて不安になったというよりは、「解釈の誤りが過剰なまでの不安や恐怖を生み出した」と説明する方が適切な状況だと思っています。

 今回の騒動は「弱毒化したせいで治った」という着地におそらくなると思いますが、
 そうなればまた強毒の新興感染症が登場した(例:新型エボラウイルス病とか新型結核など)と言われたら、再び同じ状況に巻き込まれてしまいます。
 そうならないように「感染症」というものの解釈を全く別のものに変えていく、少なくともその選択肢を丁寧に社会へ提示していきたいと私は思っています。

糖質制限と高フォドマップ食

2023/01/14(土) 07:12:08 | URL | ペーすけ #mQop/nM.
主題とは関係の無い話で恐縮です。
実は、糖質制限を始めて2年が経過しますが、腹にガスが溜まってオナラが出る頻度が高くなり、QOLが著しく下がっています。
いろいろと自分なりに調べたところ、どうも糖質制限者が頼る食事(チーズ・ナッツ・人工甘味料など)が、高フォドマップ色であり、これが腸内発酵の原因になっているのではないかと思うのです。

糖質制限をしていると食べられる食材が限定されるので、これらの高フォドマップ食を食べないという選択は、非常に困ってしまいます。

何か良い解決方法は無いものでしょうか?
お忙しいところ恐縮ですが、ご意見をお聞かせいただけると幸いです、

Re: 糖質制限と高フォドマップ食

2023/01/14(土) 10:57:41 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ペーすけ さん

 ご相談頂き有難うございます。
 
 2つほど意見を思いつきました。
 1つは糖質制限を一旦緩めてみる、もう1つは腸内細菌を調べる検査を受けてみる、です。

 「2年間糖質制限を続けて放屁が出る状況になっている」というお考えが正しいのであれば、糖質制限を緩めれば改善するはずです。
 一方でその状況でも糖質制限を続けておられるのであれば、ここには書かれていない何らかのメリットがあるからではないかと推察されます。そのメリットと放屁のデメリットを天秤にかけながら、糖質制限の緩め具合をちょうどいいところに調整するよう御検討なさるのが一つです。

 もう一つは腸内細菌を詳しく調べる検査を受けることで何か新たに見えてくることもあるかもしれません。興味があればネットで調べてみるのも一つだと思います。

雑多なコメントでお邪魔いたします

2023/01/15(日) 12:14:56 | URL | vincero #mQop/nM.
・記事中の対話の重要性は、おっしゃる通りかと思います。「先生にお任せ」というスタンスは望ましくない点は共感しますが、まあ仕方がない面もあるのかなー、と最近は次のような別の見方をしたりもしています。


・某サイトの拝見していると「2:8の法則」が見かけることが多く、いろいろ考えていたのですが、その説明として最近「ヒト規範のとりこ仮説」を思いつきました。
・同仮説は、手短に言えば、ヒトの脳には進化上の仕掛けがしてあり、効率性を犠牲にしつつ危険分散をして集団の存続性・安定性を図っているというものです。このため具体的には、人々の多くは考え直しにくい動物である(故に2:8様に別れやすい)というものです。

・この仮説を前提として眺めると、ヒトは4タイプに分類できるような気がします:
- 規範から外れた道では心安らかでいられなくなる傾向の人(易不安型)
- 規範から外れた道で歩きながら考えるのが苦手な傾向の人(マニュアル志向型)
- 規範内容にはない斬新な考えを軽視する傾向の人(認知歪み型)
- 「とりこ」から解脱可能な人(自由自在型。全体の1-2割)

・更にこの分類を眺めるて勝手に批評してみると、次のようになる感じかと考えています:
- 自由自在型は、理屈が通り易いので問題ないだろう
- 認知歪み型は、相手にするのは時間の無駄ではないか?
- 易不安型には、親身に世話をする姿勢を示すことが重要ではないか?
- マニュアル志向型には、いつでも相談にのる姿勢を示すことが重要ではないか?
- 易不安型やマニュアル志向型からは「先生にお任せ」スタンスが出やすいかもしれない?

・この仮説を前提とすると、社会規範の変更には世代交代が必要という身も蓋もない話になってしまうのかもしれませんが、そのためには、先ずは新しい世代に対し新旧の両論を提示していく努力も必要かと思われます。



・ついでに折角の機会ですので、横レス失礼します。
・私も糖質制限が向いていない体質のようで、片手に余るほどの試練(胃腸症状を含む)を経てきているところ、闖入いたします。また、話題の件を何故か「糖質制限上の消化吸収不良問題」の一つと整理しています。

・紙と鉛筆と多少の忍耐を使用した結果、私の胃腸症状の場合は(長くなりそうな話はまたの機会にして結論に絞ると)、未吸収タンパク質が(腸内アミノ酸発酵による)問題を起していて、体質的・腸内共生体的に総たんぱく質摂取量に制約があるようだ、と考えています。
・なので現状、タンパク質摂取量の個人的上限を超えない範囲で糖質制限をしています(体重1キロ当たりタンパク質1.35g以上だと問題が出てくるため、普段は1.2g程度で、ケトン食的は難しいので緩め制限食的に運用)。

・高フォドマップというか、未吸収となった難消化気味の糖質類の問題らしいと捉える本人見立てのアプローチに乗っかると、次のステップは品目依存性、量依存性があるか実験してみることかと思います。
・他方、糖質類よりタンパク質の方が問題を起しやすい印象ですので、この手の問題に言及していて唯一見かけた、次の記事(東京の開業医サイトの記事)を参考にしてみると良いかもしれません:

糖質制限に失敗する5つのタイプと理由
https://miyazawaclinic.net/food/carbohydrate-restriction/
>③腸内環境が悪化するタイプ
>・・・消化できなかった未消化のたんぱく質は大腸の悪玉菌の栄養源になります。つまり大腸で異常発酵して悪玉菌が異常繁殖するのです。・・・

Re: 雑多なコメントでお邪魔いたします

2023/01/15(日) 22:26:24 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
vincero さん

 コメント頂き有難うございます。
 丁寧に考えて頂き心より感謝申し上げます。

> 「ヒト規範のとりこ仮説」を思いつきました。
> 同仮説は、手短に言えば、ヒトの脳には進化上の仕掛けがしてあり、効率性を犠牲にしつつ危険分散をして集団の存続性・安定性を図っているというものです。このため具体的には、人々の多くは考え直しにくい動物である(故に2:8様に別れやすい)というものです。


 なるほど、確かにそういう側面はあるように思います。
 「働きアリの法則」のヒトの社会性を考慮したバージョンとでも言えるでしょうか。

 私はこの問題を考える時に、生物としてそういう性質があるという側面も重要だと思う一方で、ある人がある環境で1~2割に当てはまるタイプであったとしても、また別の環境では8~9割側に入ることもあるということ、そして一人の中にも1~2割的な側面と8~9割的な側面が混在しているということも同じくらい重要なポイントだと思っています。

 そう考えると、おかしいと思う他人の言動も自分と表裏一体だという構造に気づくことができ、むやみに相手を非難することは巡り巡って自分の首を絞めることにもつながるし、ひいては争いの絶えない社会、しかもそれに終わりが来ない社会へと突入してしまう構造に気づくことにもなるように思います。そういう意味で最近の私のマイブームとして、自分と他人の境界をあいまいに捉える思考法に注目しています。

ほどほど糖質制限

2023/01/16(月) 17:48:11 | URL | ファニー #-
糖質制限ですが、試行錯誤しながら自分に合った内容、ペースを探し続けることが大事かなと思ってます。私も何度か失敗しました。先日は乾燥豆なら大丈夫と過信して食べ過ぎた結果、消化しきれずに胃で腐敗してしばらく不快でした。また、1日1食でいいと色々な方が言ってますが、食が細い私には合わなかったようで今は2食食べるようにしています(栄養不足で歯茎が白くなってしまい歯医者に心配されました)。

今では緩いペースにしてます。お米とパンは食べませんが、糖質半分のパスタなどを楽しみのために取り入れてます。チーズやナッツも食べ過ぎは良くないですしストイックになり過ぎないのが継続のコツかなと思ってます。

マスクの件ですが、日本人は「ポーズ(やってるふり)」が好きなのが理由かなと思います。先日テレビのインタビュー番組で、話者の間にまな板を2つ縦に繋いだようなパーティションを挟んでるんですよ。全く意味のないパーティションでも日本では「対策してますポーズ」が大事。ちなみにそれは囲碁の番組だったのですが、一方で対戦棋士は一言も言葉を発しないのに完全マスク、解説者とアシスタントは普通に会話(感染を心配するなら別部屋でもオンラインでも方法はいくらでもあるはず)。
思い出せば、他にも色々日本社会特有のポーズってありますよね。頑張ってるポーズの残業、無駄な会議(20名で8時間というのがありました)、付き合いの飲み会、etc。マスクも同じかと思います。
私の店では一応消毒ボトルを置いてますが、実は最近は中身が全然減らないのです(皆さん使ってるっぽく見えるのですが)。マスクは見えるからするけど、消毒薬は使わずにフリだけというのが現状のようです。

Re: ほどほど糖質制限

2023/01/17(火) 18:46:31 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ファニー さん

 コメント頂き有難うございます。
 糖質制限のコメントは試行錯誤を繰り返されながら、自分流を作っていかれている様子が伝わってきます。

> マスクの件ですが、日本人は「ポーズ(やってるふり)」が好きなのが理由かなと思います。

 確かにそうにも思えますね。
 「他人様に迷惑をかけてはいけない」「困った時はお互い様」などの日本人の中で大事にされていた美徳が完全に裏目に出てしまったように私には思えています。本来は尊重されるべきスタンスなのに、「迷惑をかける」の概念が暴走した科学に占拠されてしまったことが大きいと考えています。大変皮肉な話です。

 パーテーションの無意味さもそうですが、デパートの入り口で消毒をさせられたのに、またその中の飲食店の入り口でも消毒をするとか、やっているふりの典型でしょう(そもそも消毒を1箇所にすれば解決するという話でもありませんが)。またせっかく消毒のしすぎが常在菌を死滅させてしまうことの害も少しずつ広まっていたのに、コロナで一気に逆戻りです。大変残念な話です。

 逆に言えば、この合理性のなさを疑えない人はそれはそれで責任があると思います。
 マスクを強要されるこども達は本当に気の毒に感じていますが、こんな社会の仕組みはおかしいと自ら気づいて、社会の理不尽さに負けずにたくましく育ってもらいたいと願うばかりです。

2023/01/21(土) 07:04:00 | URL | ココア #-
慈恵医大の創始者で脚気の撲滅に尽力した、
高木兼寛に関する本を読みました。

高木は実証を優先させるイギリスで医学を学び理論優先のドイツで学んだ東大の医師と対立します。

海軍の医師であった高木は脚気の原因は食事にあると見抜き、白米を減らし洋食を推奨し、そのおかげで海軍では脚気が激減しました。

しかし、陸軍のドイツ医学を学んだ東大たちは医師は脚気は伝染病でありとし、高木の説を嘲笑しました。

そのせいで陸軍では、脚気による多くの犠牲者が出ましたが、頑固に高木の説を否定し、白米こそ最良の食事であると言い続けました。

この本を読んだ時、いまのコロナに通じるものがあると、、、

Re: タイトルなし

2023/01/21(土) 10:14:20 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ココア さん

 コメント頂き有難うございます。

> 海軍の医師であった高木は脚気の原因は食事にあると見抜き、白米を減らし洋食を推奨し、そのおかげで海軍では脚気が激減しました。
> しかし、陸軍のドイツ医学を学んだ東大たちは医師は脚気は伝染病でありとし、高木の説を嘲笑しました。
> そのせいで陸軍では、脚気による多くの犠牲者が出ましたが、頑固に高木の説を否定し、白米こそ最良の食事であると言い続けました。

> この本を読んだ時、いまのコロナに通じるものがあると、、、


 なるほど。確かにそうかもしれません。

 「西洋医学の思想を疑う立場のたがしゅうはコロナの原因を糖質過剰とストレス過多を主因とした異物除去反応のオーバーヒート(ただの風邪+不安恐怖情報による修飾)と見抜き、糖質制限を基本におきつつ、ストレスを感じない心の在り方、社会の認識の仕方を改めることを推奨し、そのおかげで「宿主病因論」の立場に立てた人達の中ではコロナが激減した。

 一方で欧米の西洋医学を学んだ感染症専門のエリート達は、コロナは感染症であるという「病原体病因論」を主張し、たがしゅうの「宿主病因論」を否定し、嘲笑した。

 そのせいで感染症専門医の推奨に従った人達の中では、コロナ(及びコロナワクチン)による多くの犠牲者が出ましたが、いまだにたがしゅうの「宿主病因論」を否定し、ワクチンこそ最良の感染対策であると言い続けました。」


 たがしゅう対エリート集団の構図になるのは我ながらおこがましいですが、構造的には確かにピッタリハマってしまいますね。

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