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ウイルスには「自己」的な要素がある
ウイルスのヒトへの感染もこれと似たような所があると思っています。
何が言いたいのかといえば、プロレスが一種の興行で敵と味方が対立し合っているに見せかけて実はチームプレイとなっているのと同じように、
ウイルスとヒトもある意味チームであると思える節があるということです。
ウイルスの感染の流れは、大きく次のようなプロセスに分けることができます。
①吸着⇒②侵入⇒③膜融合⇒④脱殻⇒⑤転写・複製⇒⑥出芽⇒⑦放出
(画像は以下サイトより引用。https://www.med.kindai.ac.jp/transfusion/ketsuekigakuwomanabou-252.pdf)
よくウイルスは宿主の細胞システムを巧みに利用すると言われますが、それがあまりにも「巧み過ぎる」のです。
例えば、「①吸着」に関しても、そもそもウイルスが宿主細胞に吸着するためには、
ウイルスの外殻に複数あるとされる突起状のスパイクと呼ばれる抗原に対応する受容体というものが都合よく宿主細胞側に備わっていなければ吸着というイベントが成立しませんが、
ウイルスの方には都合よく宿主側の受容体と合致する抗原があるというわけですから実に巧妙です。
その後うまく「②侵入」した後も、リソソームやオートファゴソームなどの細胞内消化器官によって傷害されるかと思いきや、
なぜかそのシステムもかいくぐり、それどころかエンドソームと呼ばれる細胞内小器官に取り込まれる形で、その後「③膜融合」というプロセスを経てウイルスの中のDNAやRNAウイルス部分だけが「④脱殻」によって細胞質内に放出されます。
さらに細胞質内に放出された所で、ある程度部品のそろっている一部のDNAウイルスであればその場で遺伝子を複製することができますが、
部品が足りなくて細胞質では遺伝子複製できないRNAウイルスなどは、さらにそこから核内に入り込むというハードルが出てきます。
しかし多くのRNAウイルスはこの難題をなぜかクリアします。どういうわけか核内に入り込むことができて、
そこで遺伝子を「⑤複製・転写」し、核を破壊することなくこれまたスムーズに核外に増幅されたウイルスやその遺伝子より合成されたウイルス由来のタンパク質が放り出され、
また「①吸着」の逆パターンでスムーズに細胞膜を一部を滴状に変形させながら「⑥出芽」し、細胞外へと「⑦放出」されるというわけです。
まるでウイルスのために準備されているとしか思えないほど仕組みが丁寧に整っています。
これが私がウイルスに「自己」的な要素があると考える所以です。「自己」と認識していない限り宿主細胞のウイルスを入れるまでのここまでのお膳立ては不可能だと思います。
ウイルスを「自己」と認識しているからこそ複雑なメカニズムで細胞内に入り込むことができるのだと思うのです。
もしウイルスが「自己」と認識されておらず、完全なる「他者」なのだとしたら、宿主はもっと違う形の対処法になるはずです。
「他者」と認識される代表格は「細菌」です。「他者」である「細菌」に対する宿主細胞の反応の仕方はウイルスのそれとは全然違います。
細菌が宿主に感染し、自身を増殖しようと思うと、ウイルスの時のようにスムーズに宿主細胞の中に取り込まれる仕組みはありません。
宿主細胞の付近に取り付いて近くにある水分や栄養素を利用したり、毒素を産生し細胞の構造を壊したりすることによって自らが増殖しやすい環境を作り出し、自身の持つ細胞増殖システムを駆動して増殖していくことができます。
その間も悠々と増殖を続けられるわけではなく、勿論宿主にとって「他者(非自己)」である「細菌」は自然免疫システムによっても攻撃されます。
「他者(非自己)」を攻撃する手立てはそれだけではありません。例えば、白血球の中の好中球と呼ばれる一群が細菌を貪食したり、中性プロテアーゼという酵素や活性酸素を用いて殺菌したりして宿主を守ります。
さらには身体の外と内とを区分するバリアである皮膚を覆う皮脂によって侵入が阻まれたり、
眼、気道、口腔、消化管、泌尿生殖器など粘膜に覆われている部位では、粘液中に含まれる分泌型IgA抗体が「細菌」と結合して細菌の毒素を中和させたり、他の抗体と同様にマクロファージなどの抗原提示細胞を活性化し、食細胞の貪食作用を高めたりすることで「細菌」がその場に定着し続けることを防いだり、
加えてIgA抗体以外にも、粘液そのものに含まれる細菌の増殖抑制や殺菌に働くリゾチームやラクトフェリンなどの殺菌・抗菌物質も分泌されてさらなる「細菌」の増殖の壁として立ちはだかります。
ちなみに皮膚常在菌や腸内常在菌(腸内細菌)も宿主にとっては立派な異物ですが、普段は皮脂や粘液の表面に存在することによって、
抗菌物質などの存在下で無秩序に増殖が進むことなく、他の無数の「細菌」達との絶妙な勢力図バランスを形成することによって「他者」であるにも関わらず宿主に攻撃せずに済んでいますし、「他者」の侵入を阻む壁となっていますし、
それどころか、常在菌によって食物繊維を短鎖脂肪酸へ変換してエネルギーが産生されたり、ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンB12、ビタミンK、葉酸、パントテン酸、ビオチンなどのビタミン類の生成をしたり、ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質を合成したりと、
むしろ共生することで宿主にとっていくつもメリットのある状況を作り出しています。
ですがその常在菌も、バリアを乗り越えて細胞の中に侵入する状況となれば、名実ともに「他者」として攻撃対象となってしまうということは以前も記事にした通りです。
そして勿論、一度接触したことのある「細菌」であれば、白血球の中のリンパ球が司る獲得免疫システムも細菌の攻撃に力を発揮することになります。
以上のように「細菌」はこれらの複数の生体防御システムをかいくぐって自身の増殖を成し遂げなければならないので、先程のウイルスへの扱いとは一転して増殖のためにはかなり過酷な状況となっています。
このように、「自己」と判断されるか、「他者」と判断されるかで、その扱いは全く変わってくるわけですが、
ウイルスが完全な「自己」かと言われたらそういうわけではありません。
なぜならば、自然免疫や獲得免疫システムによって排除されるターゲットとして認識されている部分がありますし、
抗ウイルス薬というウイルスだけを攻撃する薬が存在しているからです。
このことを踏まえると、ウイルスには「自己」的な要素と「他者」的な要素とが混在している、という結論に至ります。
ただ世の中の感染症専門家、ウイルス学、公衆衛生・疫学の専門家には、
ウイルスに「自己」的な部分があるという発想はないと思いますし、彼らに扇動されるマスコミや、それに影響されている一般人のほとんども同様の発想を持っているでしょう。
彼らは間違いなく、ウイルスとは「細菌」と同じように完全なる「他者」である、と考えていると私は思います。
だからこそ、マスクをしたり、手洗いをしたり、抗菌・消毒を心がけたり、ソーシャルディスタンスを確保したりするのに一生懸命になるのではないでしょうか。
ところが、ウイルスに「自己」的な要素がある、という考えを一旦受け入れることができれば、
とるべき対策は全く変わってくるということに気づくと思います。
それは「自己」と「他者」を明確に区別するためのシステムを一定に保つということであったり、
むやみに「他者」を攻撃しないということであったりするのだと私は考えます。
具体的な行動で言えば、自然免疫システムを一定に保つために糖質制限+ストレスマネジメント、
「他者」を攻撃しない行動として、消毒や薬など人為的なものをむやみに使わないことになると思います。
マスクをするという行為は、ウイルスという「他者」を回避しているつもりで、自分自身という「自己」を息苦しさや暑苦しさで苦しめている行為でもあるわけですから、
本質的には「自己」と「他者」の区別がつかなくなっている状況と言えるかもしれません。
冒頭のプロレスで例えるとすれば、誰が敵か味方かがわからなくなって、レスラーが手当たり次第に周りのものを攻撃して完全に秩序が失われてショーとして成立しない状況とでも言えるでしょうか。
最も大事な発想は「自己」を整えることで、むやみに「他者」を攻撃しなくて済むようにするアプローチだと私は考える次第です。
たがしゅう
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2020-06-25 01:49 編集