自然なのは糖質摂取か、糖質制限か
2019/08/24 22:30:01 |
読者の方からの御投稿 |
コメント:20件
ブログ読者のジョーさんから次のようなコメントを頂きました。
> ところで、糖質制限派にとって不都合な真実もあります。
それは、肥満型の人が減量によってインスリン抵抗性を取り戻す場合を除けば、2型糖尿病の人が糖質制限をどれだけやろうと、耐糖能を改善させた前例はないということです。
もちろん糖尿病の合併症は改善されます。でも糖質制限をいくらやっても耐糖能がもとに戻ることはないのです。
つまり、糖質制限は対症療法に過ぎず、2型糖尿病の根本治療ではないということです。
このコメントを頂いて私ははっと気が付きました。糖質制限の捉え方というのが大きく二つに分かれるということに。 ジョーさんは、糖質摂取をしても血糖値が上昇しないことが糖尿病の根治と捉えておられます。だから糖質制限は対症療法に過ぎないのだと。
確かに考えてみればほとんどの人はそのような考えの下に糖質制限を捉えている所があるかもしれません。
ところが私はどうかといいますと、「そもそも糖質は摂取する必要のない嗜好品」という認識です。従って、再び日常的に糖質を摂取することを前提に動いていません。
デフォルトが糖質を摂らない生活なので、そもそも糖質を摂取した時に血糖値が上がらないような生活を目指していないのです。
糖質とは摂取したら血糖値が上昇するもの、おいしくて病みつきになる性質があるもの、食べ過ぎると中毒に陥り健康を害するものという認識でみているのです。
従って「糖質を摂ることが自然」と考える人にとって糖質制限は対症療法ですが、「糖質を摂らないことが自然」と考える人には糖質制限は根治療法だという認識になると思います。
だからいろいろとかみ合わない部分があったのかもしれないと理解するようになりました。
この違いをわかりやすく例えるには、同じく嗜好品のアルコールを考えるとよいと思います。
前者はアルコールを飲むことを前提に生きている人で、アルコールを飲んでいても肝臓などを傷めないで済む方法を必死に考えますが、
後者はアルコールを飲まないことを前提に生きている人なので、付き合いでアルコールを飲むことはあるけれど、その害に十分に注意してアルコールと付き合っているということです。
前者の方から後者の方へ「アルコールを飲まないのは対症療法であって、医師ならばアルコールを上手に飲める方法を勧めるべきである」と言われているような状況を想像してみてほしいと思います。
後者にしてみれば、「アルコールを飲み過ぎて具合が悪くなるのは当たり前」という感覚だから、そう言われても困ってしまうというわけです。
アルコールを飲まない人はそれで十分体調がよいので、わざわざアルコールを害なく飲む方法を検証しようとは思わないし、だからと言ってアルコールを飲む人を批判して「アルコールなんて絶対に飲ませない」などと言うわけではありません。
あくまでも「飲みたい人は好きに飲んで、私は飲まない(もしくは時々だけ飲む)けど」というスタンスです。糖質制限についても同じことだと思います。
糖質を摂取したい人は、アルコールと同様にリスクを承知の上で自己責任で好きなように摂ってもらえばよいのです。
問題はリスクも知らされずに無条件で必要なものと教え込まれてきたこれまでの環境にあったのではないかと思っています。
私は糖質制限の観点を踏まえて糖質摂取のデメリットは勿論ですが、メリットについても情報提供を行っています。
その上で私は自分の頭で考えて糖質制限推進派の立場を取っているということですが、これを強要するつもりは毛頭ありません。
いつも述べているように自分の頭で考えてもらいたいと思っています。
別の言い方をすれば、
糖質制限を知り「糖質を摂ることが自然」と考える人は従来のパラダイムのまま糖質制限を捉えており、
糖質制限を知り「糖質を摂ることは不自然」と考えるようになった人は新しいパラダイムへと移行した人だということです。
パラダイムシフトとは単に今までになかった新しい考え方という意味ではありません。
今までの概念とは共存できない全く異なる革命的な考え方の変換のことを言います。
だからこそパラダイム前の人とパラダイム後の意見はかみ合わないのだと思います。
私には「糖質を摂取しても血糖値が上がらないようにするための方法を考えてほしい」というのが、「アルコールを飲んでも酔わないようにするための方法を考えてほしい」と言われているのと同じような違和感を覚えるのです。
それは確かにあまり酔わなくて済ませる方法はあるかもしれませんが、
根本的にはアルコールは基本的に酔う性質のものだから、量を控えたり、ウコンと一緒に飲んだり、ビタミン剤や漢方薬を併用したり、
とにかく自分でうまくバランスを取って生きていくことしかできないのではないかと私は思います。
それでもお酒をたくさん飲んでいても健康長寿であった横山大観のような人もいますから、
アルコールを飲むこと自体を全否定することは致しません。合うという人も時にはいると思います。
私のような糖質制限実践者のスタンスはこれに近いものがあるのです。
とは言え私も医師として旧パラダイムの中にいる人に糖質制限指導を行うことも多々ありますので、
だから糖質を摂取して血糖値が上昇しなくて済む方法を考えることを放棄しようというわけではありません。一緒に考えていきたいとは思います。
だからこそ鈴木先生の意見も参考にはしています。腸内細菌の具合によっては水溶性食物繊維が糖尿病の病態に改善をもたらすことは十分に有り得ることだと思います。
また旧パラダイムにある人だからこそ「本当は糖質を摂取したいのに」という想いが払拭しきれず、
糖質制限をし続けることにストレスを感じ続けて、自律神経過剰刺激でストレスホルモンが慢性的に持続分泌させられ、
糖代謝が過剰に駆動され続けて、ステロイド副作用の延長線上にあるような様々な身体トラブルに見舞われるという事が起こり得るのだと思います。
だからそうなるくらいだったらそんな患者さんにはストレスマネジメントの観点から糖質を摂取してもらった方がよくて、
その上でなるべく血糖値の乱高下を起こさなくて済む方法を考えるであろうと思います。
でも目の前にいる患者さんに糖質制限を指導して旧パラダイムのままなのか、新パラダイムへ移行したのかを見分けるのはなかなか困難な作業です。
だからこそ自分で実践してもらい、体調がよいかどうかで判断してもらうことを私は強く勧めています。
〇〇先生が勧めたからとか、そういう余計な情報は考えなくてよいから、自分の体調をバロメータにして判断してもらうように勧めています。
それで体調が良くなって自分から糖質を止める方向へ興味が向くのが新パラダイム、いつまで経っても糖質を制限することにストレスを感じ我慢して糖質を制限し続けている人が旧パラダイム、ということになるのではないかと思います。
それは私が決めることではなく、患者さん自身が決めることです。
だからこそ病気の治療には主体性が不可欠なのだと私は考える次第です。
たがしゅう
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プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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糖質制限の捉え方
根本治療とは何か
ではなぜ、糖質制限を推奨する先生方は、糖質制限に加えて、運動しろともっと「強く」言わないのでしょうか。個人的には運動の耐糖能改善の効果は、素晴らしいと思っていますし、そもそも糖尿病の治療は食事療法、運動療法が薬物療法に優先します。
例えば、私は30年ほどスキーをしていますが、2泊3日ほどでスキーに行けば、3日目には「ライスとナンがついたカレー」の昼食で食後ピークは140以下になります。普段はと言えば、うどん1杯で200を超えます。
スキーの運動スタイルは、例えて言えば、1日中スクワットを連続して行っているようなものです。ある意味、筋トレです。
バーンスタイン医師も糖質制限と同時に運動を勧めており、運動の効果は、運動中のみならず、その後1週間続くとおっしゃっています。私のスキーの場合の耐糖能改善効果もその後3日ほど続きますが、これは個人差でしょう。
このような経験から、毎日、そこそこの強度の運動をすれば、普通に現代の糖質量が多い食事を食後ピークを正常値内で食べられそうです。もしかしたら、そのまま完治するかもしれません。しかし、毎日、運動することができないので今は、糖質量を制限した食事になっています。
以上のことから、どちら(運動すれば糖質摂取で正常値、しなければ、糖質制限が必要)が本来の私の体(体調)なのかと言う疑問がわいてきます。
本来の自分の体調を取り戻すための治療が根本治療だと思います。
糖尿病発症に至るまでに食べていた糖質量はその人にとっては当然、多すぎると思います。しかし、糖尿病発症後に制限した糖質量は、本来(生まれつき)のその人にとっての糖質摂取可能量(食べ続けても糖尿病を発症しなかったであろうと思われる量)に比べて非常に少ないのではないかと感じるのです。
私はスーパー糖質制限以下の40g/日ですが、その食事でないと現在は正常値を保てません。しかし、糖尿病を発症していなければ、もう少し多くの糖質を摂取できたのではないでしょうか。
以上のような考え方、捉え方をもとにすれば、糖質制限は治療食であり、その人の本来の食事ではないと感じるのです。
だから、糖質制限は根本治療ではないと思われる方が多いのではないでしょうか。
糖尿病と言う病名
極端に言えば糖尿病とは、HbA1cとか早朝空腹時血糖値の数値が悪くなる病気です。膵β細胞がどうなっているかとかは、レセプトに病名を記入するにあたって何の関係もないと思います。あえて極端な表現をしますが。
ならば糖質制限でHbaA1cや早朝空腹時血糖値は改善します。
しかし、糖尿病の判断基準にはOGTTがありますが、糖質制限では改善しないので糖尿病の病名がついたままです。この状態で「本来の食事」と言われても糖尿病患者であることは何も変わりません。合併症と言う将来のリスクを回避するための治療食であると言いう位置づけは払拭できません。
これが糖質制限が対症療法だと言われる原因を作っているのでしょう。
しかし、診断基準があり、その基準値の数値によって病名をつけるルールですからそのルールにのっとって完治、寛解を診断しなくてはいけないと思うのですが糖質制限ではOGTTはクリアできません。診断方法、病名の付け方に問題があるのかもしれません。しかし、糖尿病とはそもそも耐糖能不全が根本的な病態なのでそれがクリアできない方法は根本治療ではないのは明らかだと思います。
完治する治療方法は現在存在しませんが
糖質制限は「本来の食事」を「逃げ道」に思考停止し、完治を目指す姿勢が見えないことも批判の対象だと思います。
少なくとも私が実践する、スーパー糖質制限以下の糖質量(40g/日)が本来の食事であるとは思えません。山田医師が推奨するロカボぐらいなら本来の食事と言ってもよいかもしれません。あくまでも私の感覚です。
現状では、いろいろな方法の中で自分に一番合っていて、続けられそうな糖質制限を選択しているのが実情なのです。
Re: 糖質制限の捉え方
コメント頂き有難うございます。
> 特定の病気において糖質制限は対症療法か根本治療かなどはまず話題になりません。
私も目指すべき境地はそこだと考えています。
健康も未病も病気も恣意的な概念で、ちょうどよい状態を目指すためにそれぞれが自分に合った方法を取り入れている状態です。その中で大多数に当てはまり実績のある方法はその理屈とともに多くの方にシェアされるべきであり、それが糖質制限とかケトジェニックといった手法だと私は思いますが、勿論それだけが全てではないとも思います。
Re: 根本治療とは何か
コメント頂き有難うございます。
血糖値を正常に保つの概念は旧パラダイム内のものであるように私は思います。
だからこそ糖質制限は治療食という考え方につながるのだと思います。
ところが血糖値をとにもかくにも正常化しようとする発想は、正常化すればいいですがそうならない場合に慢性ストレスの原因と化し、さらにストレスホルモンの持続分泌の悪循環で実害をもたらしえます。
新パラダイムは血糖値に捉われず、糖質を摂らない生活をデフォルトとし体調に留意して健康管理をしていく発想だと私の中では思っています。一方でこの辺りは立場や経験により人それぞれ変わってくる余地のある所だとも思います。
2017年7月15日(土)の本ブログ記事
「血糖値に人生に支配されない」
https://tagashuu.jp/blog-entry-1029.html
も御参照下さい。
> なぜ、糖質制限を推奨する先生方は、糖質制限に加えて、運動しろともっと「強く」言わないのでしょうか。
運動のメリットは勿論ありますが、やり過ぎると酸化ストレスとなるデメリットもあります。
また運動が楽しいと思う人によって運動は健康長寿の秘訣ですが、運動が嫌いな人に運動を勧めても慢性持続性ストレスの下です。それこそ価値観の違いを理解し、本人に決めてもらうのが一番よいと私は考えます。
2014年8月26日(火)の本ブログ記事
「何のために運動をするのか」
https://tagashuu.jp/blog-entry-400.html
2018年1月16日(火)の本ブログ記事
「代謝に見合った食事と運動が健康長寿へ導く」
https://tagashuu.jp/blog-entry-1222.html
も御参照下さい。
糖質制限に潜む2つの目的
コメントを記事にしてくださりありがとうございます。先生の論考を読ませて頂き、パラダイムシフトまではいかないとしても、自分の命題の立て方に自己矛盾が潜んでいることが分かりました。
というのも、現代の食生活・食文化が2型糖尿病に罹患させる最大の元凶であることを認めていながら、その食生活に回帰したいという欲求があることに気づいたからです。
それは、薬物中毒で廃人になってしまった人が、その原因を自分の精神力の弱さのためだと考えて、精神を鍛え直して、もう一度、薬物に挑戦したいというような矛盾した欲求と言えるかもしれません。
糖質制限を始める時、糖質過剰食生活を本来あるべき姿として回帰を求めているのか、それとも、糖質制限の食生活が、本来あるべき姿だという認識へパラダイムシフトするのか、そこが問われているのでしょう。
一方で、現代の食生活を本来あるべき姿と認識している人にとっては、糖質制限派のアドバイスは、時に、自分たちの文化を全否定する批判と感じられるので、糖質制限に対する誹謗、中傷となって現れることがあるのでしょう。
一日の糖質量を極力抑える糖質制限が、人類の目指すべき本来の姿なのか?とる立場によって、これからも議論はつきないでしょう。
但し、耐糖能を落とさず、増強させる食生活については、「糖尿病はグルカゴンの反乱だった」を契機にその探求が盛り上がってきているようなので、これからも期待したいと思います。
Re: 糖尿病と言う病名
コメント頂き有難うございます。
多様であるけれど自然界のルールに従って一定の秩序を持ちつつ動的に変化する現実世界を
恣意的な基準を持って可視化した状態が「病気」であり、その基準が「診断基準」というものだと思います。
しかし生物はそのような基準ですっぱりと二分できるような存在ではなく、実際にはもっと流動的な存在でグラデーションが存在します。それを基準の価値観で世界を眺めると対症療法、根治療法という概念が生じてしまうのではないかと思います。ある意味で糖質制限のようなクリアカットな理論やその数値上の目安が、その概念を強固なものにしていると思います。
私個人としては糖質制限を対症療法だとは思っておりません。自分の食べたものが身体がどれほど大きな影響を受けるのかということがわかり、血糖値や将来の病気の事に捉われることなく、今の体調をバロメータに上手に人生を生きていくという価値観で生きていく世界へ移行することができたからです。検査値や画像所見などの瞬間的なデータはあくまでも体調を理解するための補助的な存在として利用するべきだということもよく理解できました。たとえデータが悪いと思えても体調がよい時は、そのデータの解釈が誤っている可能性が高いということもよく理解できました。
そういう意味では今話題のグルカゴンの解釈も大きく見直す必要があると私は考えています。
糖質制限の目指すもの(パラダイムシフトも含め)
先の投稿で書きましたように、現在の医療において、糖尿病と言う病名は一定のルールに基づいて診断され、そのルールをクリアしない限り、その人は糖尿病患者である。すなわち、寛解ないしは完治ではない。
ルールの一つである75gブドウ糖負荷試験での診断ルールを糖質制限メソッドはクリアすることができていないし、耐糖能改善を追求もしていない。
したがって、糖質制限では寛解しないと言う批判を生むと言う事は、これまでのこのブログでのやり取りで私が申しあげた事です。
しかし、たがしゅう先生は、それは、旧パラダイムでの思考だと説明されました。。
当たり前の事だと思いますが、みんな糖尿病を直したい、完治したと言うお墨付きをもらいたいと思っているのでしょう。
そして、完治したら、昔ほどではなくても、もう少し、自由に食生活が送りたいと考えるでしょう。治療量と維持量と言う事ですが、糖質制限にも、たがしゅう先生のパラダイムシフトにもこの治療用と維持用と言う考え方がありません。
治療中なので、その間は我慢するけど、治ったら少し自由にしたい。誰もが願うことだと思います。それが例え、嗜好品であったとしてもです。思いの強さは人それぞれですが、多くの人がそう思っていると考えるのはおかしいでしょうか。
しかし、糖質制限はそれに答えていない、または、そういうものではなく、パラダイムシフトした考え方なのだという説明もされていません。
パラダイムシフトした考え方の下では、糖質制限(=通常の食事)下で血糖コントロール(と言いう事すら新パラダイムにはないとおっしゃっていますが)が正常なら、少なくとも糖尿病に関しては健康体であると解釈できるということになります。
それなら、なぜ、その状態にある私を含め、保険適用で受診できるのかと言う社会通念上の矛盾も生じます。これは糖尿病の定義すら違っていると言う事になります。
旧パラダイムの人が考える糖尿病とパラダイムシフトした人が考える糖尿病が概念の違うものであれば、議論がかみ合わないのは当たり前ですが、そのようなことを議論しているのではなく、多くの議論や批判は、今現在の糖尿病の定義において糖質制限はどう言う立ち位置なのかを議論しているのではないでしょうか。
事実、江部先生のブログなどを見ても、反対派に対しては、糖質制限を肯定するエビデンスをもって説明されようとしていますが、これは、たがしゅう先生が言われるパラダイムシフトでの説明とは全く違います。
要するにパラダイムシフトなどではなく、江部先生自体が旧パラダイムなのだと思わざるを得ません。その旧パラダイムで議論する以上、現在の糖尿病の定義上で寛解や完治と言う目標に向かわざるを得ません。それに対して糖質制限派はどう答えるかと言う事だと思います。現在の定義上では寛解や治癒を目指すメソッドではないのであれば、そのように説明する必要があると思います。そう説明すれば、それ以上の無用な議論はなくなります。
私は、糖質制限を批判するものではなく、完治するメソッドが他にもない現在のパラダイムでは、十分に効果のあるものだと思い、実践しております。
Re: 糖質制限の目指すもの(パラダイムシフトも含め)
> 治療中なので、その間は我慢するけど、治ったら少し自由にしたい。誰もが願うことだと思います。
> 思いの強さは人それぞれですが、多くの人がそう思っていると考えるのはおかしいでしょうか。
別にそのように思う事を私は否定しているわけではありません。
現在普通に医療を展開するならば、保険診療のルールに従わなければなりません。
保険診療とは病名を診断するための明確な基準を作り、それに該当する人に等しく医療を提供しやすくするためのシステムです。だから私がいくら糖質制限は根治療法だと主張した所で、実際には保険診療で患者さんと接する際には血液検査を行って、保険診療のルールの中で数値が改善したとか、基準にもう少しで到達するなどと言った指導を行うのです。
でも私の心の中では「糖質とは本来不要なもの」というパラダイムシフトが完了しているので、私自身の中では血糖値は参考程度ですし、体調をバロメータにする生き方が心地が良いという風に思っているという話です。そうした私の考え方と江部先生の考えとは無関係で、あくまでも私の考えを述べているに過ぎません。
西村さんが糖質制限を糖尿病が完治する治療法には劣る対症的な治療法だとお考えになるのを私は否定しませんし、同じようなスタンスの患者さんを診ることがあればその考え方の下、どうすれば御本人が体調を快方に持っていけるかを一緒に考えます。ただ私自身は病気の有無に関わらず、糖質を摂らない生活を基本におき体調を整えようとする考えだ、ということです。そしてこの考え方が私のオンラインクリニックへの理念へとつながっていきます。
Re:Re: 糖質制限の目指すもの(パラダイムシフトも含め)
糖質制限には、それを体系化し、普及された江部先生の
スーパー等糖質制限、スタンダード糖質制限、プチ糖質制限
山田先生のロカボ(=プチ糖質制限)
等があります。
たがしゅう先生のパラダイムシフトされた糖質制限は上記とは、別の次元のものと理解しました。
また、山田先生が監修し、サッカーの長友選手が実践するファットアダプトと言うものがあります。
食後血糖値を正常値に保てるMAXの糖質をとってアスリートとしてのパフォーマンスを向上するメソッドです。結果、長友選手は180g程度の摂取量だと思われますので、糖質制限ではないかもしれません。
要するに糖質を必要なものとしています。パラダイムシフトした考え方からは、この行為はパフォーマンスのために毒になるものを摂取するドーピングだと考えなければいけません。
たがしゅう先生が考える糖質制限と糖尿病は
(1)糖質は人間にとって不要なもの(ないしは嗜好品)
(2)インスリン抵抗性やβ細胞の状態にかかわらず、糖質を摂取せず、正常値が保てるならそれ以上のこと(耐糖能の改善等)は臨床として目指す必要がない。その時点で寛解と言える。
(3)したがって、保険診療における糖尿病の定義と、パラダイムシフトした糖尿病の定義とは異なる。
と理解しましたが、
そもそも、この議論はジョーさんの「糖質制限は耐糖能を改善できない」と言うコメントから始まったものですが、
私の「多くの議論や批判は、今現在の糖尿病の定義において糖質制限はどう言う立ち位置なのかを議論しているのではないでしょうか。」
と言う質問に対しては、パラダイムの違う者同士は議論にならないという事をおっしゃりたいのだと理解しました。
いまだ不明なのは、結局、糖質はゼロで良いのでしょうか。ゼロではないとすればどこかに損益分岐点とその理由があるはずです。
Re: Re:Re: 糖質制限の目指すもの(パラダイムシフトも含め)
あくまでも私の考え方だと念を押しておきます。普遍的に誰もに当てはまる考え方ではございません。
「パラダイムシフト後の糖尿病の定義が違う」のではなく、糖尿病の定義は同じですが、糖尿病であろうとなかろうと、◯◯病であろうとなかろうと、糖質を摂らない生活は、アルコールを摂らない生活と同じくらい私にとっての健康を守る基本的な行為だということです。
だからといって私がアルコールを一切飲まないかといったらそんなことはありません。糖質もそれと同じ接し方をしています。
ある人にとってはアルコールゼロが一番調子がよいでしょうし、ちょっとアルコールが入った方が調子がよい人もいるでしょう。糖質ゼロも同じことで、絶対的な解はなくそれぞれが自分の人生の中で考えることだと私は思います。
自転車
対症療法なのか根治療法なのかという議論において私の持論を書かせていただくと、
根治療法は存在しないと考えています。
では対義語の対症療法しか存在しないのか?という問いに対する答えは「対処療法は存在する」そう考えます。対症ではなく対処です。誤字ではありません。
「病」と引用される社会の闇・家族の闇・人の闇・身体の闇がもたらすひずみ。
これらは人が生を受けた途端にひずみが始まっていて、それは極小から始まり必然に増加に向かう。つまりエントロピー増大の法則が支配している。
そこに対処療法で対処しながら進んでいると思うのです。
現代医学では、先生のおっしゃるグラデーションの存在を認めない限り罹患を使いたがりますが、実は人が生まれて社会が生まれてすでに罹患に向かっていると考えれば、根治か対症かなんて意味がなくなります。
自転車で安定に立つには前に進むしかないという例えが言い得ているのではないでしょうか。
初めから舗装された道を選び凹凸を避けていたため突然現れた障害物に対処しきれなかったり、長い間電動機に任せっきりで電源が切れた途端に体力不足で疲弊した。
しかし、そういったひずみが既に或るものとして心構えてスタートを切れれば、終わってみれば上手く生き抜いていた。この考えに糖質制限を当てはめれば糖質制限は「安定化療法」なのかもしれません。
Re: 自転車
コメント頂き有難うございます。
「対処」療法ですか、なるほど。
私もここ数日のやり取りの中で「そもそも根治とは何なのか」について想いを巡らせておりました。
人間が恣意的に定めた基準をクリアし続けることが根治なのか、あるいは価値観や生き方を変えた瞬間が根治なのか、そしてそもそも根治とは存在しないのか。本当の意味で根治が存在するのなら、人は死なないはずですものね。そうなってくるともはや根治とは空想上の産物で、人それぞれ違ってイメージされるものなのかもしれません。
少なくとも私にとっての根治とは病苦に苛まれなくて済む状態です。たとえ他人に私が病気だと決めつけられようとも、その価値観に妨げられることなく生きていくことができる状態のことです。それでも私はいつか死にゆくのですから、「根治」など全くしていないとも見ることができます。なかなか深いですね。
> 自転車で安定に立つには前に進むしかないという例えが言い得ているのではないでしょうか。
> 初めから舗装された道を選び凹凸を避けていたため突然現れた障害物に対処しきれなかったり、長い間電動機に任せっきりで電源が切れた途端に体力不足で疲弊した。
> しかし、そういったひずみが既に或るものとして心構えてスタートを切れれば、終わってみれば上手く生き抜いていた。この考えに糖質制限を当てはめれば糖質制限は「安定化療法」なのかもしれません。
とてもわかりやすい例えですね。
自転車が倒れることが「死」とみなすならば、どんな安定した自転車も永久に倒れずにいさせることは不可能です。けれどなるべく倒れずに済むように工夫を凝らすことはできるでしょう。
舗装された道とはガイドラインや科学的根拠ありとされる道のこと。一見心地良さそうですが、自由な方向には進めませんし、舗装されてない道を突き進むための能力は廃れるばかりです。障害物はガイドラインでは正しいとされていたのに実は存在していた糖質摂取の害といったところでしょうか。
そして自転車の電動機は「先生にお任せ」の受動的姿勢ですね。すごく楽に進めますが、故障した時に途端に前に進めなくなって倒れてしまうという流れへつながります。まさに言い得て妙です。
私の価値観における根治を、この自転車の例えで表現するならば、
「自分の力で自転車を漕いで、自分の行きたい方向に進み、困難な道を進む時には時には先人の知恵や工夫の助けを借りながら、たとえどんな結末を迎えたとしても自分の行きたい方向へ自分の足で進み続けること」ではないかと思いました。
話がずれて恐縮ですが、糖質制限食を続けていても体の悩みはあります。また、精神的ストレスでもやもやした気分の時は体調を崩しがちです。いろいろ情報を集め改善を図っていますが、他者のご意見も伺いたく、オンライン診療に期待しております。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
御指摘の通り、糖質制限は万能ではありません。しかし糖質制限で対応困難な部分の多くはストレスマネジメントで補えると私は考えています。指導内容に多様性があり、糖質制限のようにシンプルにそのノウハウをお伝えすることは困難ですが、エッセンスだけでも情報発信しつつ、オンライン診療を具体的実践につなげるための場にしていきたいと考える次第です。
すっきり
私が糖質制限を「よし、やるぞ」と、思ったきっかけも、やり続ける意義もインスリンを沢山使わない!が土台にあります。
それは、一型だから外因性のインスリンを過剰に打たない。とかではなく、
例え二型や罹患してなくとも分泌させないことに重きをおくと思います。
画期的なことがおきて、この病気が治っても続けると思うのです。
乱暴な云いかたですが、耐糖能とか私には最早どうでも良いことです。
ですから、同じ糖質制限をされている方でも、血糖値を下げることを重視しているの人もおられるでしょうし、
腫瘍等と闘う為に行っている人もおられます。
てんかん等で取り組んでおられる方もいるかと思いますが、
糖尿病で糖質制限を行っている方も、続ける思いは多種多様だなぁと、日々感じていました。
あちこちで目にする糖質制限者の記事を拝読するにあたり、時々感じる私の違和感が腑におちました。
ありがとうございました。
Re: すっきり
コメント頂き有難うございます。
「見えない人の価値観が、特定の治療内容に対する実際の身体の変化に大きな影響をもたらしている」と一般化することもできると思います。
まさに「病気とは価値観」です。他人の価値観は変えられないかもしれないけれど、他人が変わるためのきっかけとなる情報を与え続けて少しでも他者貢献ができる医師になりたいと私は願います。
いつも勉強させていただいています。
私はアラフォーの主婦ですが、糖質断ちできません。
糖質断ちした人生を送りたいのに食べてしまい自己嫌悪の日々です。
徐々にではなく、スパッとやめたい、のにできない。
禁断症状に負けてしまう。イライラするとお菓子に手が伸びてしまう。
「強い意志」でしか克服できないですよね。
どうすれば糖質を欲さないところまで行けるのか、毎日悩みます。
Re: タイトルなし
御質問頂き有難うございます。
> どうすれば糖質を欲さないところまで行けるのか、毎日悩みます。
毎日真剣に健康のために糖質を欲しないようにどうすればよいか、悩んでおられるのですね。
まずはそんな自分を肯定する所からスタートするとよいと思います。
つまり糖質を欲する自分も、糖質を控えようと奮闘する自分も両方をありのままを認めることをおすすめします。
間違っても「今日は糖質を摂ってしまった…ダメな自分だ…」などと自分を責めないことです。
その上で糖質を摂る時と摂らない時とでメリハリをつけてみてはどうでしょうか。
どちらかと言えば糖質を摂らないと身体はどうなるのかを実験してみる感覚です。
例えば、夕方だけ糖質を抜いてみて、あとはいつも通り過ごすとどうなるのかを日記に書いてみる、といった方法です。
あくまでも一例ですが、いろいろ試して自分の合うやり方を模索してみるとよいと思います。
それでももしどうしても無理ならば、健康を保つための方法を糖質制限にこだわる必要はないと私は思います。
突然書き込んだ者にも誠実に回答してくださる先生に感謝の気持ちでいっぱいです。誰かに相談もしづらく、自分の中だけでグルグルと同じ考えがループしていたので…
自己受容からスタートですね。
それって意外と難しいです。
自分で決めた約束も守れないないて、クズ人間め!!って思ってしまいがちなので。
糖質断ってみて、自分の心身がどのように変化するのか、人体実験を面白がってみます!!
本当にありがとうございました。
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