致死率の高い感染症へのワクチンなら打つべきなのか

2022/04/24 17:45:00 | 読者の方からの御投稿 | コメント:6件

ブログ読者のタヌパパさんより以下のコメントを頂きました。

>ワクチンを打った時に、様々な副反応が生じることは当たり前なのではないでしょうか。例えばコロナワクチンで発熱するということは、抗原抗体反応の結果でしかないと思います。

>ワクチンを打つか打たないかは、打つことのリスクとベネフィットを比べて決めるべきではないでしょうか。
自分は、天然痘は怖いので多少のリスクを冒してもワクチンを打ちますが、乳幼児も殺せないコロナのワクチンを打つ気にはなれません。


今回のコロナワクチンに関しては「コロナが実は大したことのない病気だとわかったから、ワクチンを打つメリットよりもデメリットの方がはるかに大きい。だからコロナワクチンは打たない。」と判断されている方も多いのではないかと思います。

一方で「天然痘は致死率も高くて怖い病気なので、たとえコロナワクチンと同じくらい高いリスクがあったとしてもデメリットを押してでも天然痘ワクチンは打つ」という考えは理にかなっていると思います。

しかし、もし万が一「天然痘は怖い病気」という概念が根底からくつがえるのだとしたら、どうでしょうか。 私は「天然痘ワクチン」を受けた世代ではありませんし、医師として天然痘の患者さんを一度も診た経験はありません。

経験のある方にとっては無責任な発言に思われるかもしれませんが、経験がないからこそ一歩引いた目線で考えられるメリットもあると思います。丁寧に語ろうと思うので聞いて頂けると嬉しいです。


まずそもそもなぜ「天然痘は怖い病気」だと思うのでしょうか。

自分が天然痘に罹った人であれば疑いの余地はないでしょうけれど、おそらくは罹ったことのない人であってもほとんどの方が「天然痘は怖い」と確信していると思います。なぜならば、「天然痘が致死率20〜50%の感染症」だと教科書的に言われているからですし、

そして、その怖い天然痘という病気が「天然痘ウイルス」の感染によってもたらされると信じられているからです。

確かに「天然痘ウイルス」と接触して、「天然痘」と呼ばれる状態となり、不幸にも亡くなる人がいるとうのは事実だと私も思います。

しかしそもそもその「致死率」と言う数字はどのように算出された数字でしょうか。

「致死率」の定義は、ある一定期間における「(その病気で死亡した人の数)/(その病気に感染した人の数)」だと思いますが、

天然痘に感染した人」はどのような方法で求められたのでしょうか。

勿論、「天然痘の症状を出した人だ」と思われるかもしれませんが、ではその「天然痘の症状」はどうやって判断されたのでしょうか。

例えば「天然痘」の初期症状は発熱、頭痛、腰痛だと言われていますが、そうした初期症状だけがあって「天然痘ウイルスに感染している」ことが判明した人は分母に含まれているでしょうか。

おそらく今ほど検査が積極的に行われていないであろう時代、わざわざウイルスの分離はおろか、当時はまだ開発されていないPCR検査が実施されているはずもないので、「天然痘」の判断は十中八九「見た目」で行われていたはずです。

そうすると「これは天然痘に間違いない」とされる「見た目」はどうなのかと言いますと、「全身に水疱が広がって高熱もきたしているような状態」ではないかと思います。

つまり「天然痘の致死率を計算するための分母は、重症者に限定されてしまうために必然的に致死率が高くなる」ということです。ちなみに以前、「エボラ出血熱(エボラウイルス病)」についても同様の考察を行ったことがあります。

「天然痘」は世間的には撲滅されていることになっていますが、今でも例えば重度のアトピー性皮膚炎やAIDS(後天性免疫不全症候群)の状態にある人が「天然痘ウイルス」と同じカテゴリーに属するポックスウイルス科の「伝染性軟属腫(水いぼ)ウイルス」に罹患すると、まるで「天然痘」と同じような重症の見た目を呈すると言います。

その症例は「伝染性軟属腫ウイルス」のせいだとされていますが、その診断が下される際に「天然痘ウイルス」の不存在はきちんと証明されていますでしょうか。あるいは「天然痘ウイルス」が変異して「伝染性軟属腫ウイルス」だと解釈されている可能性はないでしょうか。

もしそうであるならば、症状が「天然痘」様に重症化するかどうかは、「ウイルスの病原性(毒性)」ではなく「宿主の状態」がその鍵を握っている、と言うことにはならないでしょうか。少なくともその可能性は完全否定できないはずです。

もしも今、無症状者を含めて天然痘ウイルスのPCR検査を全世界的に実施したら、「天然痘」という病気の持つイメージが大きく変わってくる可能性があるのではないかと私は思います。


無症状者へのPCR検査を全世界的に実施することで、疾患の持つイメージがどんどん変化していっていると言えば、何といっても「コロナ(COVID-19)」だと思います。

世間的には疾患のイメージが変化していっている理由は「ウイルス(株)の変異」だと説明されていますが、本当にそうでしょうか。

そう言えば、コロナが初めて登場した2020年初頭、コロナは「若い人に起こる重症肺炎」のイメージでした。

今でこそ「オミクロン株」(このどうやって証明されたか不明の概念がいつの間にか揺るがしようのない事実のように扱われていることにも私は違和感を覚えますが)に置き換わって、「風邪に近い病態」のイメージにすり替わっていると思いますが、

当初の「コロナ(COVID-19)」は、2002年に中国で流行した「SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)」を彷彿とさせるような重症肺炎のイメージだったと思います。何せ病原体もSARSウイルスと酷似していることから、「SARS-CoV-2(新型コロナウイルス2)」と名付けられたくらいです。2002年のSARSウイルスも、それはそれで当時の「新型コロナウイルス」だったわけですね。

そんな「SARS」の致死率は、統計データによって多少のずれはありますが、大体10-15%くらいだと言われています。2019年12月に初登場した今の「コロナ(COVID-19)」も当初はそのような重篤な肺炎をきたす病気ではないかと考えられていたわけです。

ただそれくらい似ている「重症肺炎」をきたしている患者であれば、少なくとも「SARSウイルス」と「SARS-CoV-2」のどちらが原因で引き起こされているのか区別がつかないはずです。

だったら少なくとも「重症肺炎」を診たら、「SARSウイルス」と「SARS-CoV-2」の両方のPCR検査を行わないと筋が通りませんが、2020年前半に日本で発表された「コロナ(COVID-19)」の症例報告のどれを見ても「SARS-CoV-2(※当時は2019-nCoVとも表現されていました)」のPCR検査しか実施されていませんでした。なぜ「SARS」ではないと言い切れたのでしょうか

話を2002年の「SARS」に戻します。今の「コロナ(COVID-19)」の原因となる「SARS-CoV-2」と同じ「コロナウイルス」のカテゴリーに入り、当時としての新型コロナウイルスであった「SARSウイルス」はワクチンも特異的な治療法も開発されませんでしたが、幸運なことに2003年7月には封じ込めに成功したとWHO(世界保健機関)によって宣言されました。

中国国内で封じ込めに成功したのかと思いきや、そうではありません。2003年7月に封じ込めが宣言されるまでの間に少なくともトロント、オタワ、サンフランシスコ、ウランバートル、マニラ、シンガポール、台湾、ハノイで「SARS」の患者が発生しています。今のコロナ禍のように世界に感染者は拡大していたのです。

それなのに「SARS」は運よく1年で終息しました。当時は今ほどマスク装着さえ徹底されていなかったご時世です。少なくともウイルス学的にはほぼ同じ特徴を持っているはずの「SARS-CoV-2」は世界中に感染拡大しているのに、「SARSウイルス」はなぜ今から比べるとゆるゆるの感染対策で無事に終息したのでしょうか。

そもそもなぜ「SARS」は今のように変異が注目されていないのでしょうか。「SARS」がいきなり人畜無害な変異を起こして注目されなくなったのでしょうか。もしそうだとして、なぜ今そういう変異が起こらないのか。そもそも「オミクロン株」は弱毒化したとかいうけれど、スパイク蛋白の何がどうなって弱毒化しているのかがウイルス学的に説明できている人は私の知る限り一人もいないように思います。

疑問は尽きませんが、これらの矛盾を解消する仮説はただ一つだと私は思います。それは「SARSには無症状感染者がいると思われていなかったから」です。

「SARS」の「致死率」は10-15%ということでしたが、これはどうやって算出された数値でしょうか。

「SARS」の定義は、『「38度以上の高熱及び咳、呼吸困難、息切れのいずれかの症状」「レントゲン検査において肺炎の症状」を呈し、この原因が不明で、ウイルス検査で陽性となった者』となっています。

つまり今の「コロナ(COVID-19)」のように、「無症状感染者」は「SARSウイルス」を保有していると思われていなかったから、そもそも検査が実施されていなかったのだと思います。

あるいは今の「コロナ(COVID-19)」のように発熱だけで「PCR検査」を実行されていた訳でもありません。いわゆる「重症肺炎」のような状態になって初めて「SARS」が疑われたという訳です。そんな重症な人は周りにそうそういない訳ですから、必然的に「たまたま重症肺炎患者が重なって発生した地域以外ではSARSウイルスのPCR検査が行われることはない」ということが起こります。

よってクラスター的な「重症肺炎集団」が確認されなくなった時点で、「SARSは終息した」と判断することができるようになったという訳です。

もしも今のように「SARS」にも「無症状感染者」がいると思われていたら、今の「コロナ(COVID-19)」のような世界的感染拡大騒動になっていたであろうことは想像に難くありません。

そして「無症状感染者」にもPCR検査が徹底されることで、今の「コロナ(COVID-19)」の致死率がどうなったかと言いますと、例えば、2022年4月8日時点の埼玉県のデータで「致死率」は0.1%という数字が出ています。

この0.1%という「致死率」も算出に用いたデータの中でどこを分母にするかによって大きく変わってくると思います。同じ「重症肺炎」をきたす病気なのに、「致死率10-15%」と「致死率0.1%」では印象もだいぶ変わってくるのではないでしょうか。


説明が長くなってしまいましたが、要するにこの「SARS」と同じ理解の仕方を「天然痘」でも「エボラ出血熱(エボラウイルス病)」でもやってしまっていて、本当は今の「コロナ(COVID-19)」のような大半が無症状や軽症の状態のものを、「致死率が高い怖い病気」だと誤認してしまっているだけなのではないかというのが私の意見です。

一方で私は「SARS」も気がつかれなかっただけで、実は世界的に感染が拡大していたとか、「天然痘」や「エボラウイルス病」も局所の重症患者だけがそうだと認識されたいただけで実はいずれの病気のウイルスも世界的に感染が拡大していると言いたいわけではなくて、その「世界的に感染が拡大している」という解釈自体が間違っていると思っています。

要するに特定のウイルス(の一部の遺伝子)に対するPCR検査を全世界的に実施すれば、どの病気に対しても似たような傾向が導き出されてしまう事になり、それは症状の因果関係を証明しないPCR検査によって演出された見せかけの世界的感染拡大に過ぎないということだと思うのです。

それは全世界的に「天然痘ウイルス」や「エボラウイルス」のPCR検査を「無症状者」や「発熱者」を中心に実施してもらえればおそらく証明できることだと思うのですが、残念ながらそんなことができるはずもなく推測の域を出ることはできません。

しかしながら、もし私の仮説が正しいのだと仮定し、「天然痘」も実は怖い病気ではなく、重症化している人の中で算出された「致死率」で怖がらされているのだとすれば、

あるいは「天然痘ウイルス」に接触することで死につながるわけではなくて、そこで自分の免疫がどれだけ乱れているかが主要な決定因子なのであって、現在の自分の免疫状態からすればそれほど心配をする必要はないのだとすれば、

はたして本当に「天然痘ワクチン」は打つべき対象となるでしょうか。

これまでにないほど強い副反応が取り沙汰されて、かつそのメリットも当初の素晴らしい有効率から日を追うごとに少なくなってきているコロナワクチンと、同等かそれ以上の副反応の強さを誇るのが「天然痘ワクチン」です。

もしも1840年代から日本でも徐々に普及し始めた「種痘(天然痘ワクチン)」が100年かけても「天然痘」を根絶できなかったのに、高度経済成長期を経てようやく1980年にWHO(世界保健機関)によって根絶が宣言されたのが、実はワクチンのおかげではなくて上下水道の整備や栄養状態の改善に伴う変化だったとするならばどうでしょうか。

1840年代当初から使用されていた生ワクチンであれば、今のワクチンとは別次元で原始的な不純物も混ざっていた可能性が否定できません。そしてそれが筋肉注射で血管内に入ることでリンパ球との接触で強烈な異物除去反応が惹起され、種痘後脳炎という重症の炎症症候群につながっていたのだとすればどうでしょうか。

色々矛盾と向き合ってきた私にとってはそのストーリーの方が確からしいと思います。

「天然痘」はワクチンで根絶できたのではなく、「SARS」と同様に、その目で患者を見なくなっただけだと私は思います。

ゆえにもしも「天然痘」の世界的なアウトブレイクが起こったという情報が流れたとしても、きっと私は「天然痘ワクチン」を打たないと思います。

「病気」という恣意的な概念のイメージに惑わされないように、

今回の私の考察が少しでも参考になれば嬉しく思います。


たがしゅう
関連記事

コメント

2022/04/25(月) 21:56:52 | URL | neko #-
なるほど、です。ありがとうございます。素人からすると医学界、科学界の専門家のしていることは完璧のように思いがちです。こんなにも「論理に穴がありすぎ」「そもそも前提条件等がメチャメチャ」な状態に驚きます。先日のLancetなども然り。人類で最も賢いとされている人たちの論理だと考えると非常に悲しいものがあります。(こういった内容がたがしゅう先生のブログ記事だけでなく、もっと活発に議論されて一般社会に認知されるべきなのに。。。)
PCRテストですが、TVドラマ「アンナチュラル」で、8年前に(米国で)埋葬された被害者の死体からPCRテストにより容疑者のDNAを発見して一件落着、というエピソードがありました。フィクションですが、PCRはこういう風に使うべきですよね。

ところで先生はコロナウィルスは自然発生だと思われますか?海外の医師や科学者で人工的に作られたと発言している人たちも複数いるようです。写真では確かに不自然に直線的な部分があり、人工的な印象を持ちました。コロナ発生からの社会現象の不自然な動きを見ているとそれもあり得るかな、とも思いますが、その辺は陰謀論的でもあり分かりませんね。

Re: タイトルなし

2022/04/27(水) 12:28:09 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
neko さん

 コメント頂き有難うございます。

>TVドラマ「アンナチュラル」で、8年前に(米国で)埋葬された被害者の死体からPCRテストにより容疑者のDNAを発見して一件落着、というエピソードがありました。フィクションですが、PCRはこういう風に使うべきですよね。
 
 確かにそういう風な使い方が望ましいのかなと思う一方で、
 2016年に話題になった本「文庫X」では、とある連続殺人事件で警察のDNA鑑定のずさんな扱い方によって無実の人が誤認逮捕され、真犯人が野放しになるという衝撃的な内容がノンフィクションで語られていたことを思い出しました。

 2017年1月9日(月)の本ブログ記事
 「小さな声を聞く、小さな声を上げる」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-836.html
 もご参照下さい。

 今回のコロナでのPCR検査の扱われ方を見ても、まさにここに通じるようなことが現実に起こってしまっていると思います。
 たとえ技術がどれだけ素晴らしくても、使う側の在り方によってそれが武器にも凶器にもなるということが身に染みて感じられます。

>先生はコロナウィルスは自然発生だと思われますか?

 はい、私は自然発生だと考えています。勿論、人工操作された可能性も否定できないとは思いますが、その可能性は一番最後に考えるというのが私のスタンスです。

 2020年7月2日(木)の本ブログ記事
 「陰謀論について考えるのは一番最後」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-1797.html
 もご参照下さい。

2022/04/28(木) 09:26:22 | URL | neko #-
陰謀論ですが、現代社会では証明されている事実でさえ「陰謀論」として片付けられてしまう場合が多々あります。例えば砂糖の業界団体に依頼されて研究された「砂糖に関する健康調査」だったり、ファイザーがスポンサーの「ワクチン効果の分析研究」だったり。社会で是とされている物事についても、陰謀論的な批判精神を持っていないと自分や家族の健康その他が脅かされる危険があると私は思っています(コロナ人工説は証明できませんが、あくまでもありえる可能性として頭の隅に置いています)。

人間誰でも悪の部分はありますが、程度の差は大きいと思います。多くの人は他人を傷つけたり殺したりしてまで自分の欲望(金や権力)を叶えたいとは思わないのでしょうか。CDCのワクチン接種後の死亡報告のリストでは、子供や若者が接種当日や翌日にバタバタ亡くなっています。やはり私は大悪は存在すると思います。

本、買いました!500頁ということで目に自信がなくkindleで。本当は紙の感触が好きなのですが、老眼を感じる今日この頃です、涙。

Re: タイトルなし

2022/04/28(木) 14:50:19 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
neko さん

 コメント頂き有難うございます。
 また本も読んで頂けるとのこと、私の読後感は複雑でしたが何かを考える良いきっかけになれば嬉しく思います。

 誰かの視点、あるいは多数派の視点から見て「悪」だと感じられることは確かにあると思います。
 一方でその「悪」だと思われている側はその側で「悪」を遂行している意識はおそらくないのだろうと思っています。あるのは善悪ではなく、「違い」なのだと私は思うようにしています。

 確かに誰かが目の前で傷ついているのに自分だけが得をしようと思う人は流石にほとんどいないように思いますが、その傷ついている事実が目の前で起こっておらず、誰かを傷つけていることに無自覚だとすれば自分が得をしようと動いている人は結構いるように思います。腑に落とすには困難を伴いますが、もしかしたら大悪も自分も似たようなものなのかもしれません。

2022/05/03(火) 09:49:17 | URL | neko #-
本についてはご紹介ページにコメントしておきました。長文ですみません。。。

>その傷ついている事実が目の前で起こっておらず、誰かを傷つけていることに無自覚だとすれば自分が得をしようと動いている人は結構いるように思います。

そうなんです!耳が痛いです。
スーパーで買い物をすれば二人暮らしなのに毎週プラゴミの山になります。海ガメが食べてしまうかもしれない。でも器を持ってお豆腐屋さんに行くような生活は現代社会では無理です。私がしていることは、外で買い物をする際はスプーンや袋はもらわないぐらいで、微々たるものです、、、

>善悪ではなく、「違い」なのだと私は思うようにしています。

大事な視点ですね。身近な人で理解できない人達については私も最近「違うから理解できないのだ」と諦めるようになってきました。ただ、ご紹介いただいた本の清水潔さんのように社会正義や人の痛みが行動の原動力になっている人と、一方で自分の利益しか考えない人がいるのも事実です。後者が全て悪と考えるのは違うかもしれませんが、前者はやはり「善」と思いたいです。

Re: タイトルなし

2022/05/04(水) 14:46:51 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
neko さん

 コメント頂き有難うございます。

> ただ、ご紹介いただいた本の清水潔さんのように社会正義や人の痛みが行動の原動力になっている人と、一方で自分の利益しか考えない人がいるのも事実です。後者が全て悪と考えるのは違うかもしれませんが、前者はやはり「善」と思いたいです。

 確かに私も「違い」で捉えたいと思いながら、清水さんの行動には確かに「善」を感じますし、連続殺人犯に対して「悪」を感じてしまいます。特に生死が関わるケースではなかなか理想通りに考えきれない難しさがあると思っています。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する