「父滅の刃」書評

2020/11/19 13:10:00 | おすすめ本 | コメント:0件

類い希なる情報発信量で攻め続ける精神科医・樺沢紫苑先生の新著「父滅の刃」を読ませて頂きました。



父滅の刃~消えた父親はどこへ アニメ・映画の心理分析~ (日本語) 単行本 – 2020/8/1
樺沢 紫苑 (著)


ベストセラーのきっかけとなった「アウトプット大全」をはじめ、「インプット大全」「ストレスフリー超大全」「ブレインメンタル強化大全」の「大全」シリーズが樺沢先生の本のイメージとしては強いのですが、

今回の「父滅の刃」は、樺沢先生の大の映画好きの側面と精神科医としての分析能力の高さが存分に発揮されている、「大全」シリーズとはまた別の樺沢先生のすごさがよく現れている本です。

一言で言えば、「父性」という聞きなじみの少ない言葉の性質と重要性について徹底的に分析してわかりやすく解説した本ということになるのですが、

「父性」とはこれだという明快な答えが書かれているというよりは、「父性」について考える時の土台となるような内容だと感じられました。 私がこの本を読んでなるほどなぁと思ったのは次の7点です。

①ヒットする映画やアニメは社会のニーズにマッチするからこそヒットするので、映画やアニメを詳しく分析することでその時代の社会が何を求めていたか、何をよしとしていたかの傾向を読み取ることができる

魅力的な成長を成し遂げる物語の主人公は、往々にして「父性」と「母性」のバランスを保つように行動している

③1960年代から2010年代までのヒット映画やアニメを、「父性」の切り口で読み解いていくと、当たり前のように存在していた「父性」が次第に失われて、「父性消滅」「父性不要」の社会へと変わってきていることがわかる

④自分が育つだけではなく、人を育てる時にも適度にバランスの取れた「父性」と「母性」が必要不可欠である

「父性」を与えることができる人物は必ずしも父親だけであるとは限らない。しかし「父親」が「父性」を発揮するのがもっともうまくいきやすい。「母親」が「父性」を発揮して、「父親」が「母性」を発揮するような家庭はしばしばうまくいかない傾向がある

⑥「父性」も「母性」も多すぎても、少なすぎてもダメ

⑦「普通の父親」とは社会における一般的な父親のイメージをこなしているに過ぎず、他者に迎合して自分の意志や規範を持たない状態のことであり、そこに適切な「父性」は存在しない


「父性」とは一体なんなのかと言いますと、一言で言えば自分を貫く強さを象徴するような性質のことです。

「父性」に関連するキーワードとしては、「厳しい」「強い」「たくましい」「緊張」「叱る」「断ち切る」「秩序」「規範」「変化」「批判的」「外向き」「アウトロー」などがあります。

それに対して、「母性」とはすべてを分け隔てなく包み込む優しさを象徴するような性質です。

「母性」に関連するキーワードとしては、「寛容」「優しい」「温かい」「リラックス」「癒やし」「ほめる」「包含」「愛」「安定」「愛護的」「内向き」「教育」などがあります。

一人の人間の中に「父性」も「母性」も存在しているわけですが、全体的な傾向としては男性の方が「父性」強め、女性の方が「母性」強めの傾向があります。

しかし生まれたばっかりの赤ちゃんの時点では、父性も母性もなくゼロの状態からスタートです。

男の子であれば「父性」が、女の子であれば「母性」が育ちやすい傾向はありますが、それも絶対ではありません。

いずれにしても男の子であろうと、女の子であろうと、適切な成長を成し遂げるためには「父性」と「母性」のバランスが必要不可欠となります。

例えば「父性」ばかりが強調されて「母性」の少ない家庭というのは、ただひたすら厳しくてそこに全く救いの手が差し伸べられないような家庭です。

そのような家庭で育つ子は、男の子であろうと女の子であろうと著しいストレスを受け続けることを余儀なくされます。この形の究極系として児童虐待が発生することになります。

逆に「母性」ばかりが強調されて「父性」の少ない家庭の場合は、引きこもりやマザーコンプレックスの問題を生み出します。

全てを許されてしまい、安全のためだといって内側の居心地がいい環境にい続けることを許されたこどもが、率先して外に出ようと思うはずもありません。

「父性」不足の家庭で育ったこどもはメンタルを病むことが多いと樺沢先生は指摘します。

もちろん、「父性」や「母性」が少なすぎる状況も、言ってみれば育児放棄なわけですから、成長にとってよいはずがありません。


さて、そんな「父性」についてですが、樺沢先生がこれまでに見た映画やアニメを細かく分析していくと、現代社会では「父性」が極めて不足しており、何だったら「父性なんか要らない」という風潮までが見て取れるのだそうです。なぜなのでしょうか?

一つの仮説としてはそれまでの絶対的な基準となっていた価値観が大きく崩れてきた時代となってきたからではないかと私は思います。

一昔前までは父親の絶対的なリーダーシップに従ってさえいれば、たいていはうまくいくという社会であったのが、

今は典型的な会社勤めで定年まで真面目に働くようなワークスタイルが必ずしも正しいとは限らなくなっていますし、

コロナ騒動を受けて、この常識はますます崩れて、自分の頭で考えて何か新しいアクションを起こさなければ厳しい状況に追い込まれてしまう時代が加速していると思います。

そんな中で辺りを見回してみると「黙って俺についてこい!」と言って気持ちよく従えるようなリーダー的な存在が誰もいないということに気づかされます。しかもそれは世界のどこにも見当たらないのです。

政治家は不祥事ばっかりで、場当たり的な政策の繰り返し、責任のなすりつけ合いで、謝るどころかいかにごまかすかということに全力を注いでいるような始末・・・、

長らくそのような時代が続いてしまったことによって、私達の中では諦めに近いようなムードが漂って、その感覚が定着してしまった感があります。

だから社会に救いはない、自分でやるしかないけれど、どうすればいいかわからない...、

まるで父親を失って将来を憂うこどものような状態に、社会全体が陥っていると言っていいのかもしれません。

こんな時代だからこそ、現実には夢も希望もない、自分で切り拓いていくしかないんだと、

言わば外に「父性」を求めるのではなく、内から「父性」を育てようというメッセージが込められて、その具体的な形を示してくれる映画やアニメが受けているのかもしれません。

では「父性」が十分あって、「母性」も兼ね備えたバランスのとれた人物像とはどんな人物なのか、これが実は一様ではありません。

私はあまり映画を観ないので、本書の中でわかりやすかったのは、「父性」と「母性」のバランスの取れたキャラクターとして紹介された有名アニメの主人公2人です。

一人は言わずとしれた国民的漫画「ONE PIECE」の主人公「ルフィ」、もう一人は本書のタイトルの元となったこちらも爆発的な勢いで歴史的な大人気漫画となった「鬼滅の刃」の主人公「竈門炭治郎(かまど たんじろう)」です。

二人のキャラクターは全然タイプが違うと思うのですが、「父性」と「母性」のバランスの取れ具合という意味では共通していますし、何より二人とも大変魅力的なキャラクターです。

ルフィは仲間と決めた自分物とは分け隔てなく接する母性を持ちつつ、仲間のために全力を尽くす強さ、「海賊王になる!」という明確なビジョンを提示しています。

炭治郎も、鬼を切る「父性」的な厳しさを持つと同時に、切られた鬼の背景に同情して手を差し伸べる「母性」的な優しさを兼ね備えています。

こうしたキャラに多くの人が惹かれているのは、確かに時代が「父性」と「母性」のバランスを求めているという証拠なのかもしれません。

そして失われているのは「母性」ではなく、「父性」の方です。「父性」が失われた社会の中では、人は手と手を取り合って今の社会を何とか保とうと現状維持に終始するようになります。

私達がコロナ禍でリーダーシップを失って、日本人の同調圧力の強さが顕著に露呈されてしまったこと、

他人に気を遣い、なるべく波風を立てないように何とか今の社会を維持していこうとする集団の動きを、人は絆だとか団結だとか呼ぶけれど、

現実はそんな美しいものではなくて、これらの現象はまさに「父性」が消滅してしまったことの裏返しとして社会の病理として表面化した現象なのではないかと私には感じられました。

「母性」が高まったわけではない、「父性」がなくなったから「母性」でやっていくしかなくなってしまっているのだと思います。

常識が崩された状況においては、強い「父性」が必要だと思います。

どうすれば「父性」を取り戻すことができるかについては本書を読み進めればふんだんにヒントがありますので、興味ある方は是非とも手に取ってもらえればと思います。

ここまで考えて私は、さて医療においては「父性」と「母性」のバランスは保たれているのだろうかとふと疑問に思いました。

これは大変興味深いテーマであるのですが、

長くなるので、次の記事では「医療における父性と母性」について考えてみたいと思います。


たがしゅう

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