Post

        

コロナ脳とオープンダイアローグ

category - オープンダイアローグ
2021/ 06/ 18
                 
コロナ脳」という言葉をよく耳にするようになりました。

ネットスラングと呼ぶのがはばかられるほど、色々なところで聞かれるようになりましたが、

どうやら「コロナ脳」というのは「コロナを非常に怖がって、何をおいてもコロナのことを最優先に考える思考、またはそうなっている人」のことを指しているようです。

テレビでは毎日のように「もう1年以上にも渡ってコロナは怖いウイルスだからしっかりとした感染対策を!!」といった内容のニュースがあの手この手で繰り返されており、

政府も、専門家も、医療従事者達も、そして国民も、いわゆる「コロナ脳」のスタンスになっている人が多数派だと思います。

確かに客観的にデータや周囲で起こっている事実を鑑みればそこまで警戒して対応するのはあまりにもバランスが悪いと思う一方で、そうした「コロナ脳」という表現に侮蔑的なニュアンスが感じられるため、私はあまり好んで使いたくない言葉です。

「コロナ脳」と言いたくなる気持ちはよく理解できます。それくらい今は「コロナ」に思考が偏り過ぎている状況だとは思います。

しかしそのような言葉を使って相手を侮辱したり、軽蔑したりすればするほど集団の分断が生まれ、時間経過とともにその溝は深まる一方です。
            

一方で私自身はコロナを怖がっていないし、コロナと呼ばれる状態が結局本質的にどういうことなのかについて自分なりの解答にもたどり着きましたので、

いわゆる「コロナ脳」の状態にある人達にその視点を伝えようといくら努力しても、結局はテレビや専門家やかかりつけのお医者さんの言うことを信じてしまい、私の努力が徒労に帰す場面にも何度も出くわしました。

理論的に正しいかどうかが問題ではなく、矛盾があるかどうかが問題ではなく、

「その人の価値観の中で受け入れられる内容であるかどうか」によって納得されるかどうかが決まっているので、

結局、大元の価値観が異なっている限りは、どれだけ話し合ったことでわかり合うことはないのです。


そんな中、話しは変わって最近私が積極的に取り組んでいるオープンダイアローグについてです。

このオープンダイアローグの中では、「そもそもあなたと私は違う」ということを前提にして話が始まっています。

つまり「価値観をどうやってあわせようか」という話ではなくて、「価値観が違うのは当然としてどうするか」という話を「対話」という形で行っていきます。

「対話」とは「会話」や「議論」とも違うコミュニケーションです。「会話」のように自由に行われるものでもなく、「議論」のように一定の結論に到達しようとするものでもありません。

一定のルールの元に、ひたすらそれぞれの意見を互いに場に乗せ合うというものになります。「目的」はありますが、「目標」はありません。ともかく相談者の「目的」に沿った発言をきっかけに「対話」を続けていくことでたまたま生まれる副産物があればいいなというスタンスで臨みます。

なぜ急にオープンダイアローグの話を引き出してきたかと言いますと、

今日本という国において、あるいは世界中の国々で、コミュニケーションの在り方が分断的となってしまっているように思います。

コロナを陰謀だとする意見も目立ってきました。コロナ脳と反コロナ脳の対立構造、マスク警察・自粛警察、ワクチンパスポート、ワクチン非接種者への差別問題など、分断につぐ分断が次々と起こってきています。

こうした現象は「他者との価値観が違っていて当たり前」という前提を持っていないが故に生まれてしまうものではないでしょうか。

価値観が違うことが前提と思っていないから、意見が違うことが許せないし、意見が違う相手に攻撃的になってしまうわけです。

そうすると「コロナ脳」という侮蔑的表現が生まれた背景もわかるように思いますし、

相手を「コロナ脳」だと思っていたとしても、かつ自分は完全に「反コロナ脳」だと確信していたとしても、

「コロナ脳」だとか、「反コロナ脳」だという枠組みで人を捉えず、単なる価値観の違いの一つだとニュートラルに理解するようにして、

なおかつ完全に自分と違う価値観に対して、自分の価値観と戦わせたり、優劣をつけたりすることなく、ただそういうものだと感じるだけにすれば、この分断的思考を予防していくことができるのではないかと思うのです。

勿論、現時点ですでに強固に「コロナ脳」だとか「コロナ脳」じゃないとかという思考に支配されている人はたくさんいると思いますが、

そういう人に対して自分も「コロナ脳」「反コロナ脳」の思考にあわせる必要はありません。

オープンダイアローグの基本を思い出して、一つひとつの異なる価値観だとして理解するように努めます。

そしてできればどうしてそのような価値観が生まれたのか、その価値観を聞いて何か自分の中で生まれるものがあるか、一見異なる価値観の中で自分の価値観に通じる何かに気づくか、

などと価値観を結合しようとしたり、排除しようとしたりはせずに、ただ漂わせるというコミュニケーションの在り方が今最も求められているのではないかと思うのです。

周りが変わらなくても構いません。まずは自分から変わってみようではありませんか。


たがしゅう

関連記事

            
                                  

コメント

非公開コメント
        

違って当たり前ですね。
自然科学的合理性、法的合理性が有ることは、それが有るかどうかを話し合えば良いですね。それ以外は違って当たり前ですね。そもそも、人は一卵性双生児以外は遺伝子という設計図が違いますし、遺伝子の発現は環境などにも左右されるから一卵性双生児でも同じではないですね。

クローン1万体作って治験して、やっと、設計図が同じ家電や自動車の有効性や安全性のチェックと同じレベルですね。
Re: 違って当たり前ですね。
金子 芳幸 さん

 コメント頂き有難うございます。

> クローン1万体作って治験して、やっと、設計図が同じ家電や自動車の有効性や安全性のチェックと同じレベルですね。

 そうですね。それくらいの人為を加えない限り、同じであるということは難しいということだと思います。家電や自動車は人為のたまものですしね。

 私たちはそんな当たり前のことも忘れてしまう社会に生きているということなのかもしれません。でもこれから気づくこともできます。気づいたら実践あるのみです。
No title
自分を変えられるのは自分だけ。
自分のことすら改められないのに
他人様を変えることなど決して出来ませんよね。
Re: No title
一読者 さん

 コメント頂き有難うございます。
 おっしゃるとおりだと思います。
No title
このサイト読んでみてくださいねー

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/
Re: No title
読んでみてください さん

 情報を頂き有難うございます。
お考え自体は支持しますが
ニュルンベルク綱領をご存じですか?
現在コロナワクチンは治験中であり、状況を考えるにたんなる合法人体実験(人口削減政策)としか言えません。
世界的に最大規模の薬害事件として大変なことになると思われます。
こちらに違反し、荷担した医師も裁判にかけられると思われますのでご留意ください。
Re: お考え自体は支持しますが
びたみん さん

 コメント頂き有難うございます。

> ニュルンベルク綱領
> こちらに違反し、荷担した医師も裁判にかけられると思われますのでご留意ください。


 そうですね、私もさんざん悩みましたが覚悟しておく必要はあると思います。

 ただ大多数の人は効果はともかくワクチンを切望しているのは事実です。
 そしてそのワクチン接種によってそれらの人達に大きな安心が感じられることもまた事実です。
 そうすると私がワクチン接種に参画しないことでそれらの人達にネガティブなストレスを与えてしまう割合が増えることになります。

 そしてすべての医療行為はメリットとリスクの天秤で判断にかけるべきだと思っています。
 ワクチンのみならず他のどの医療行為にも多かれ少なかれリスクはあるものです。医療行為を行う時点でそのリスクを踏まえておく必要はあると思います。
 
 これがもし致死率50%の猛毒物質であれば投与する場面は相当限定されます。しかし例えば0.001%であればリスクを踏まえながらこの医療行為を検討する余地はあると思います。これが許容されないのなら、ほとんどすべての医療行為は避けた方がいいという判断になってしまいます。

 ましてやその0.001%が完全な確率論ではなく、致死的になる人には把握されているかどうかは別として致死的になるだけの要因が必ず存在するということになれば、私自身が100%責任を負わないといけないという風にも考えにくいです。大事なことはリスクを踏まえながら医療行為を提供し、起こったリスクイベントの可能な限り誠実に対応することを前提におくということではないかと思います。

 とは言え、リスクは最小化したいのが人間ですし、折角リスクを背負う以上はリターンも期待したいのも人間だと思います。今回のワクチン、私はメリットはほとんどない(ストレスマネジメントになるくらい)と判断しているものだったので、その点で悩みどころがありました。要するにリターンの少ない薬をリスクを受けながら実施するのが割に合わないのではないかという悩みです。

 ところがオープンダイアローグの経験を経て「私にとっては益少なく害多きことが、別の誰かにとっては益が多く害少ない(ストレスマネジメントになる)ということがあるという考えに至りました。そこが私がコロナワクチン接種に協力しようと思った最大のポイントです。