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夢の薬は追い求めない方がよいのか

category - 読者の方からの御投稿
2021/ 06/ 17
                 
前回の「夢の薬が今までにできた試しがあるか」という記事について、

ブログ読者の方から次のようなコメントを頂きました。有難うございます。

今回の記事を読んで、「幸せの青い鳥」を思い出してしまいました。
いたずらに夢を追うよりも、現実をちゃんと直視して、そこからいいとこ取りをした方が良いということでしょうか。


シンプルではありますが、非常に考えさせられるコメントです。受け取る人によって解釈は変わるでしょうが、一つの解釈の仕方によってはこう言っているようにも受け止められます。

「”夢の薬なんてないんだからさっさと諦めて、無難なことをやり続けて夢なんて持たずに生きろ”ということなのか?」

まるで夢を追いかけるこどもに対して、よく安定志向の親がその子を諭すように言う典型的コメントのようです。確かに私が主張していることはそういう生き方へ誘導しているように受け止められても仕方がない内容であるかもしれません。

私は夢を追うこと自体を否定したいわけではないので、もしもそのように受け止められるのであれば不本意です。

ただ少なくとも「夢の薬」を追い求めるのであれば、従来の価値観で追い求めない方がいいということは言えます。

それはとりもなおさず、「そもそも薬とは何なのか?」について抜本的に見直すことに他なりません。
            

以前にもテレビのニュースで頭のいい小学生が特集されていて「将来、難病を治す薬を開発したい」と純粋に語っていたニュースを取り上げたことがありますが、

その子の頭の中では一体どんな薬がイメージされているでしょうか。おそらくそれは多くの人がイメージする「夢の薬」と同じようなものではないかと想像されます。

つまり「飲めばたちどころに身体の不調が取れていき、また元気な姿に戻ることができる薬」なのではないでしょうか。

しかし、これまでに様々な優秀な研究者達が薬の開発に挑戦してきましたが、前回の記事で見てきましたように、今までの薬の歴史の中で「夢の薬」に到達した薬は皆無で、「夢の薬」に近い薬(ステロイド、インスリン、抗生物質)もすべて自然界にもともと存在していた物質です。

中でも「夢の薬」に最も近い位置にある薬は「ステロイド」だと私は思っています。抗生物質と薬としてのインスリンは確かに有益ですが特定の状況にある人にしか益をもたらしません。

しかしステロイドはかなり多くの病気に有益性をもたらす薬です。これほど多くの病気に適応があって、劇的に改善をもたらす薬は他にないでしょう。

一方でこの「ステロイド」という薬は、様々なことを教えてくれます。

・万能性はあるが、多く長く使い過ぎると非常に多彩な副作用を生じる
・ステロイドはコレステロール(脂質)を材料にして合成され、ストレスによって分泌刺激される
・ステロイドが枯渇する(副腎不全になる)とミネラルのバランスが崩れたり、皮膚の色がくすんできたり、人体の恒常性が保てなくなる


つまり「ステロイド」には最適量があり、多すぎても少なすぎてもダメなのだということ、

「ステロイド」の利用は脂質代謝が十分に利用できるか無意識のストレスにさらされていないかによって影響されるということ

そもそも「ステロイド」が行っていることは人体の困難克服システムを駆動させている行為であり、これが枯渇してしまうと人体のあらゆるシステムが維持できなくなってしまうということです。

そして「内因性ステロイド」といって、人間は皆、自分でステロイドを分泌できているわけなので、

すべての病気の治療は「内因性ステロイド」をいかに上手に無駄なく使わせるかということに帰結するといってもいいくらいです。それゆえ私の治療方針は「食事療法(糖質制限食)」と「ストレスマネジメント」に重きを置いています

紀元前400年頃に活躍したとされる医聖ヒポクラテスの名言に「人は身体の中に100人の名医を持っている。その100人の名医とは自然治癒力」という有名な言葉がありますが、

「ステロイド」という薬の適応の広さと効果の高さを踏まえますと、自然治癒力の重要な部分を「ステロイド」が担っているということが想像されます。


そんな「ステロイド」の特徴を踏まえた上で、もう一つ「夢の薬」というものを考える上で知っておきたいのが「漢方薬」と「ホメオパシー」です。

「漢方薬」と「ホメオパシー」のことを非科学的で評するに足らないと考える人もいるかもしれませんが、ひとまず私が実際に見聞きしたり、実際に使用してみた経験から言えることを書きますので、ひとまず読んでもらえればと思います。

漢方治療やホメオパシー治療に携わっていると、時々著効例を経験することがあります。

しかもすでに西洋薬中心のいわゆる標準治療でさんざん色々な治療を受けてうまくいかなかった人の病状がよくなる治療経験です。

それはプラセボ効果なのかもしれませんが、まずはそういう現象が起こっているという事実があります。

ただ一方でそれらの現象には「再現性が乏しい」という特徴があります。Aさんに施して著効した漢方薬やホメオパシー治療が、別のBさんにも著効するとは限らないという現象がしばしば起こります。この辺が漢方薬やホメオパシーが非科学的だとみなされる要因のひとつでしょう。

ただ、漢方薬にしてもホメオパシーにしても、理由はともあれそれまでの状態が劇的に改善するという出来事が起こったのであれば、少なくとも恩恵を受けたその患者さんにとっては「夢の薬」だと言えるのではないでしょうか。

一方で漢方薬やホメオパシーの薬がどのように生み出されているかと言えば、共通していることは「自然界にある物質をそのまま利用している」という部分です。

それもそのはず、漢方薬は数千年以上前から、ホメオパシーは18世紀末のハーネマン医師の着想から始まった治療ですが、化学物質の解析・分離・精製技術がない時代に始まっているので、「自然の構造物をそのまま使う」以外の選択肢がなかったから当然のことだと思います。

その代わり、これらの治療は徹底的にトライ&エラーを繰り返してきた歴史があります。誰に何の薬が効くのかについて試行と検討を積み重ね、その結果、この薬はこういうタイプの人に効きやすいという一定の傾向が浮かび上がってきました。

その一定の傾向が漢方薬で言えば傷寒論や金匱要略といった古典で、ホメオパシーの場合はマテリア・メディカと呼ばれる治療経験集によって示されて、これらを参考になるべく成功確率を上げようとするというのが両者の治療戦略に共通する部分だと思います。


以上を踏まえますと、「夢の薬」としていい線言っている物質はやっぱり自然界にある物質ベースだと言えそうです。

ただ「ステロイド」と「漢方薬」「ホメオパシー」との決定的な違いは、「自分の中にある自然物質を使うか、自分の外にある自然物質を使うか」だと思います。

「自分の中にある自然物質」に「夢の薬」を見出すのであれば、いかにして最適量をキープするかという問題を克服しなければなりませんし、

「自分の外にある自然物質」に「夢の薬」を見出すのであれば、いかにして最適な患者をピックアップするかという問題を克服しなければなりません。


多分皆が求めている夢の薬は「誰が飲んでもたちどころに症状がよくなる薬」なのでしょうから、「ステロイド」のラインで「夢の薬」を探すのが妥当なのかもしれませんが、

「ステロイド」という薬を使う上でもう一つ重要な事実は、長く使えば使うほど自力でステロイドを産生する能力が衰えていくということです。

それであれば、自力のステロイド産生が減っていくのに合わせてステロイドの量を増やしていけばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そうすると今度はなぜか厄介な副作用に悩まされていってしまいます。

つまり生涯を通じてステロイドの最適量は一定に決まっているのではなくて、実際の最適量は条件とともに常に変動しており、しかも年齢を経ていくにつれて最適な治療域はどんどん狭まってきてしまうのです。

これはパーキンソン病に対して行うドーパミン補充療法においても同じ現象が見受けられます。その人に応じた最適量を補えばいいという単純な話にはなりません。どれだけ量を微調整しても、多すぎる症状が出るか、少なすぎる症状が出るかのどちらかにしかならないという状態になってしまうのです。

それにはおそらく「ステロイド」にしても「ドーパミン」にしても、薬が効いて反応するための受容体の絶対数が減っていってしまうことが関係しているのではないかと推察されますが、

ともあれ、「夢の薬」の投与量を常に最適にし続けるアプローチは極めて難しい、という問題が浮上してきます。

一方で再現性が少ないとは言え、「漢方薬」や「ホメオパシー」の著効例も「夢の薬」候補としては魅力的です。

それらの著効例を詳しく解析し、研究開発を進めることで、少なくとも一定の条件における人にとっての「夢の薬」を見つけるアプローチも検討する余地があるかもしれません。

もしもある薬が劇的に効くための使用条件を、科学的に明確に提示することができれば、その条件を満たす人にとっては確かに、飲むだけで症状が消え去る「夢の薬」となりえるのかもしれません。

ただ、そうなるとその「夢の薬」は人類の数分だけ探し出さなければならなくなる可能性があります。なぜならばただの一人として全く同じ特徴の人間は存在しないからです。人間の特徴が変わればそれだけで「夢の薬」の条件が変わる可能性があります。

とは言え、ある薬の多くの人に共通する使用条件というものはあると思うので、それをターゲットに薬を開発するのは一つでしょうけれど、それはすでに漢方医学が試してきたアプローチです。

例えば、風邪のひきはじめ、背筋がゾクゾクっとする時に葛根湯という漢方薬を飲めばかなりの確率でよく効きます。これは体質に関わらず多くの人に共通して当てはまる傾向です。

ただ多くの人に当てはまる特徴に対して使った薬の効果は、一般的には難病が治るといった劇的な効果のものではありません。それこそ「風邪の症状がよくなる」といったごくありふれた薬の効果が示される程度です。

そういう意味で個人に劇的な効果をもたらそうと思えば思うほど薬の使用条件が厳しくなり、多くの人には当てはまらないという構造が生まれてしまうので、やはりこのアプローチで「夢の薬」を開発するアプローチにも厳しいものがあります。

そもそもその漢方薬やホメオパシーで劇的な改善効果がもたらされたという人も、その薬の何がどう作用して劇的な効果がもたらされたのかという理屈はまったくわかりません。

しかしステロイドによって起こる治療効果を見る限り、劇的な改善効果はもともと自分の中にあるシステムの大きな部分を駆動されてこそ起こるように思えますし、

人体にもともと備わったステロイドでさえ出来なかった所業を、漢方薬であろうとホメオパシーであろうと外から持ってきた自分の中にはない外部物質がうまく駆動させるなんていう離れ業は到底できるとは思えません。

そうなってくると、その人にとって肌に合う薬効がもたらされた可能性はあるけれど、その後一緒にプラセボ効果、つまり無意識の自己的なストレスマネジメントによって人間のシステムが一気に連携駆動させられていった可能性はどうしてもつきまとうように思えるのです。

そのように突き詰めて考えると、結局「夢の薬」というものがあるのだとすれば、それは「自分の身体の中にしかない」ように私は思います。


それではやっぱり「夢の薬」なんて探さない方がいいのでしょうか。

「誰が飲んでもたちどころに症状がよくなる薬」という意味で「夢の薬」を捉えているのであれば、それは探さない方がいいと私は思います。

結局、「病気とは自分自身」という視点に立てば、薬が自分の中にあるのは当たり前の話で、いくら外を探しても自分の中にあるものには勝てない、勝ったように見えても後々バランスを崩す付け焼き刃の薬ということになってしまうでしょう。

ただ、「夢の薬」の定義を変えれば、「夢の薬」を探す価値は十分にあると私は思います。

つまり「薬というものは、根本的な自己解決をもたらすまでの一時的な時間稼ぎを上手にしてくれるもの」と位置づければどうでしょうか。

そもそも薬に根本治療は期待しません。薬に期待するのはリスクを踏まえつつも一時的に状態を立ち上げてもらうことを期待します。

人は余裕が生まれないと病気の根本治療につながる自分の食事や思考について見直すことはできません。余裕がない時に主体的に動かないと行えない根本治療の話をしたところでのれんに腕押しです。

それならば理由はともかく身体が一時的に元気に立ち上げることのできる効果が高い、しかもそれを使うことのリスクが小さいという薬ができれば、それは患者さんの根本治療に非常に役立つ薬になるのではないかと思います。

そしてその効果が高くて、リスクが小さくなればなるほど、それは「夢の薬」に近づくのではないかと思うのです。

そういう意味で薬を捉え直すと、死ぬまで飲み続ける現行医療での降圧剤やスタチンなどの薬の使い方はその時点で「夢の薬」からはほど遠いという話になります。なぜならばどんな薬も飲み続ければ飲み続けるほど自己調節能が弱まり副作用のリスクが高まっていくからです。

どんな良い薬も「ずっと使い続けることが前提」である時点で、「夢の薬」にはなり得ません(唯一の例外は先天的な酵素欠損症に対する酵素補充療法でしょうか)。

認知症の新薬「アデュカヌマブ」もずっと使い続けることが前提の薬です。その時点でこれが仮に認知機能を改善したとしても「夢の薬」とはなりえません。その改善はやがて必ず歪みを生じます。

現代の高齢者医療で散見される、例えば「痛み止めを飲んでいたけれど、だんだん薬が効かなくなって次第に薬の量が増えていく」というポリファーマシー問題は起こるべくして起こっていると私は思います。なぜならば薬というものをずっと飲み続けることを前提で捉えているからです。


「夢の新薬を作りたい」という研究者を目指す天才的なこども達へ老婆心ながら私からアドバイスを送るとすれば、

「まずは自然の中にある物質をよく観察すること、そしてずっと使い続けることが前提で薬を考えないように」となるでしょうか。

でもよく考えればそのアドバイスはすべての人に通じるものだと思います。


たがしゅう

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