思考習慣病

2019/09/20 20:00:01 | ふと思った事 | コメント:0件

105歳まで御存命であられた医師、故日野原重明先生が提唱されたと言われる「生活習慣病」という言葉、

それまでは「成人病」と言われていましたが、こうした病態は何も大人に限った話ではなく、

年齢がどうのというよりも個々人の生活習慣に根ざした病であるという先生の指摘はかなり的を射ていたようで、

世の中にすっかり定着した感がありますね。

しかし私は恐れ多くも、この言葉の陰で忘れられがちなもう一つの重要な観点を示す言葉を提唱したいと思います。

それが「思考習慣病」です。 私は生まれつきの先天性疾患と外傷を除く、全ての病気は「生活習慣病」と「思考習慣病」のどちらか、もしくはその組み合わせで表現しうると考えています。

別の言い方をすれば、

「生活習慣病」は「身体の習慣病」「見える部分の習慣病」、

「思考習慣病」は「精神の習慣病」「見えない部分の習慣病」
とも言えるかもしれません。

「生活習慣病」は過食や運動・睡眠不足、深酒や喫煙、夜更かしや不規則な起床など、

社会的にも認知されている生活習慣上の問題を自分でも認識できるから対処行動にもつなげやすい側面があります。

ところが、なぜか問題ありだとわかっていても改善させるのが難しいのが「生活習慣病」の特徴でもあるのです。

その難しさの大きな要因となっているのが、見えない「思考習慣病」の存在だと私は考えています。

多くの場合、病気をこじらせているのはその人の思考のクセや価値観です。

まず自分が何をどのように感じ、どのように解釈するかということは、身体の健康状態に密接に影響しているという前提に立つ必要があります。

なぜならば人には、自分の解釈次第で、目の前に存在していない脅威を、暑熱や寒冷などの存在する脅威を受けた時と同様のストレス反応を、

慢性的かつ持続的に感じ続ける身体のシステムが組み込まれているからです。

例えば「血圧は140/90mmHg以下にしなければならない」という価値観・思考のクセがある人は、

血圧が140/90mmHg以上の状態を「血圧を下げなければならない健康的ではない状態」だと解釈し、その状況をストレスに感じ続けます。

あるいは「がんは命を奪う怖い病気」だという価値観・思考のクセがある人は、

がんが見つかるかもしれない状況をストレスに感じ、がんが見つかればがんがその場にあり続ける状況をストレスに感じ続けます。

そのストレスは自律神経過剰刺激やストレスホルモン慢性持続性分泌を介して、

実際に自分の身体に微小循環障害や自律神経失調、持続高血糖や消化吸収障害など言わばシステム異常を起こしてきます。

ところが同じ状況を例えば「困難を克服するために身体が血圧を上げて循環・代謝機能を高めてくれている」とか、

「糖質過剰や慢性持続性ストレスによる糖代謝過剰駆動状態に対応すべく、がん細胞と呼ばれる形へ遺伝子を新たに発現してまで変化して何とか状況に適用しようとしてくれている」などと解釈するようになれば、

少なくとも見えない脅威から受けていた慢性持続性ストレスの害の分はなくすことができるようになりますし、

本当に対処すべきは血圧やがん細胞ではなく、そのような困難が起こる状況をもたらしていた真の原因の方だ」という構造も理解することができるのではないでしょうか。

だから生活習慣を整えても血圧が下がらなかったり、がんができたりしてしまう人は、

生活習慣の改善方法が間違っているという可能性とは別に、そのような価値観・思考のクセが裏で糸を引いているという可能性もあるわけです。

そして「思考習慣病」の恐ろしいところは、「生活習慣病」と違って、その存在を自分では認識しづらかったり、場合によっては社会的にも認知されていない思考の問題が潜んでいたりするところにあります。

なぜ認識しづらいかと言えば、その人自身が基本的にその価値観・思考のクセが当たり前だと思って生きてきているからです。

自分にとって普通の価値観が、まさか病気の原因となっているとは到底信じがたいことでしょう。

あるいはその価値観を無意識的にむしろ大事に抱えてきた人にとっては、その価値観を変えよと言われても容易に受け止められるものではなく、

むしろ反発して依然として、あるいは余計にストレスを感じ続けて病気を起こす反応も慢性的かつ持続的に起こり続けることとなります。

だから「思考習慣病」に対処するためには、「生活習慣病」と同じく次の手順が必要です。

まずは「①問題を認識する」、
そして「②問題に対処する」。
この2段階で考える必要があるのです。

問題を認識しないことには、対処行動の取りようがないという構造は理解できると思います。

ところが「思考習慣病」の場合、「生活習慣病」と違って、①の「問題の認識」がまず難しいので、①を適切に行うためには他者の目線を使うことが大事になってきます。

よく「自分にはストレスはないから大丈夫」という人がいますが、その人が何かしらの症状があるにもかかわらずそう話しているのであれば要注意です。

なぜならば、実際には慢性持続性ストレスを受けていてその症状が出ているにもかかわらず、そのストレスの存在を認識できていないからです。

偉そうに語っておりますが、かくいう私自身もきっと認識できていない思考のクセはあるはずだと思っております。

ですが、自分が自分の思考のクセに気づくのは極めて困難なことです。その思考の問題に気付けているのなら、とっくに対処行動をとっていて然るべきですが、それができていないからこそ様々な症状に苛まれ続けるわけです。

そしてその思考の問題は時にその人の根幹を揺るがす思考改革の必要に迫られることもあるため、たとえ指摘されたとしても容易に受け入れ難い場合もあるでしょう。

しかし「思考習慣病」は「生活習慣病」とは反対に、問題そのものを認識することは難しいけれど、その問題を正しく認識でき、

なおかつ変えるべきだと心の底から自分で納得できた時には、もうその問題への対処行動を阻むものは何もありません。

その結果、どれぐらいのインパクトの出来事が起こるかと言えば、心の在り方を変えて末期がんを跡形もなく身体から消し去ることに成功したがんサバイバーの方々の姿がその答えを示しているのではないかと私は考えています。


先日も「糖質は摂るべきもの」と考えている人と「糖質は摂らなくてもいいもの」と考える人の間で糖質制限にまつわり起こってくる認識の違いについて記事にしましたが、

この認識の違いで起こってくる糖質制限実践に伴う身体の不調も「思考習慣病」の一種だと私には感じられます。

自らでは気付けない思考の問題を、第三者的な目線から捉えて、その問題を問題だと認識してもらえるように丁寧に伝え、

そして一人でも多くの「思考習慣病」を治すきっかけを与え、病気から卒業してもらえるように、

ストレスマネジメントの能力を高められるよう精進していきたいと思います。


たがしゅう
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する