内容でなく形式で考える

2016/09/14 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:0件

ドイツの哲学者、イマヌエル・カントは、

著書『永遠平和のために』の中で、「道徳とは内容ではなく、形式で考えるべき」と述べました。

私達は道徳的なことを「ウソをついてはいけない」とか「人を殺してはいけない」といった内容で考えがちです。

しかし内容で道徳を捉えていると、どのようにやっていても例外というものが出てきてしまいます。

例えば「ウソをついてはいけない」という事で言えば、

ある人にプレゼントをもらったとして、そのプレゼントが自分にとって気に入らないものだったという状況を思い浮かべて下さい。

その時あなたはウソをつかずに、もらったプレゼントが気に入らないものだと正直に相手に伝えますか? そしてその行動が自分にとっての道徳的な行動だと思えるでしょうか。

本当に道徳的だと思える行動とは、自分の感想がどうであれ「プレゼントをどうも有難う」と相手に伝える事ではないでしょうか。

このように道徳を内容で捉えてしまうと、例外のリスクがどうしても生じてしまいます。

かたや道徳を形式で捉えるというのは、「誰もが行ってよいと思えるような行動をとる」ということです。

このように道徳的な行為を考えれば、例外なくいわゆる道徳的な行為が行えるのではないかというのがカントの主張です。


この「内容でなく形式で」という考え方、

言い換えれば「例外が生まれないようにするためのルール作り」というのは、

実は大変重要な考え方であるように思います。

EBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づいた医学)という考え方が医療界を席巻し久しいですが、

このEBMによって行われているのは、「ある条件においてAという集団とBという集団を比べて何らかの現象の差を比較した結果がこうである」という内容、すなわち論文の蓄積です。

ここの論文の結果がいわゆるエビデンスと呼ばれるわけですが、

このエビデンスを蓄積するという行為は「医療を内容で考える」という事であり、

それはつまり、その行為をどこまで突き詰めても例外のリスクは決して消えないという事であると私は思うのです。

冒頭の「ウソをついてはいけない」という内容が多くの状況で道徳的になりうるけれど、それでも例外が存在するのと同じように、

どのような医学のエビデンスであっても、全体として論文の結果のような傾向が見られるといくら言ったところで、そこから外れる例外のリスクは決して消えはしません。

多くの医師はエビデンスが地道に蓄積されれば、今は治療に悩む症例も徐々に少なくなり、いつか病気が制御がされる時代がやってくると、

そこまで明確には思っていなくとも、おそらくEBMの向かう方向に違和感を感じることなく従っているのではないかと思いますが、

私はEBMが主流である限り、いつまで経ってもそんな時代はやって来ないと予言します。

また他にも、西洋医学での医療の特徴である「病名をつける」という行為も、「医療を内容で考える」行為の一つです。

病名は無数にありますが、おおざっぱな病名ならつけることはできても、正確にその患者の病態を表現する病名をつけようとすればあらゆるパターンができうるため、いくら病名を作っても際限がありません。

それに病名自体恣意的な概念でありすべてがその規定概念にきれいに当てはまるとは限りませんし、例外が生まれてしかるべきシステムです。

例外のリスクをなくすためには、医療もまた「内容」ではなく、「形式」で捉えるべきだと私は考える次第です。


では「医療を形式で考える」とは、具体的にどういうことでしょうか。

私は誰もが認める普遍的な原理を利用して医療を行うべきだと思います。

ピタゴラスの定理など、数学における定理を疑う人はいないと思いますが、

医療においてもできるだけ原理に近い領域の学問、例えば生理学とか生化学、解剖学など、

さらに言えば物理学、有機化学、分子生物学などの原理を利用するべきだと思います。

そういう風に言うとややこしく思われるかもしれませんが、かみ砕いて言えば「誰もが認めるルールを利用する」という事です。

例えば糖質を摂取すれば血糖値が上昇するというのは疑いようもない生理学的事実です。

それならば個々の事例でエビデンスが出るまで待たずとも、糖質を制限すればひとりの例外もなく普遍的に血糖値を下げる戦略として利用できることになります。

もう一つは、カントの言うような「誰もが行ってよいと思えるような行動をとる」という視点に立てば、

「有害になるものを取り除く」という方法も治療戦略の一つです。害になるものを除くわけだから例外なく良い事が起こると期待できるのではないでしょうか。

より具体的には、禁煙や断酒などがこれに当たりますし、

糖質の本質を理解し、本来なくてもいいものだという事が理解できれば、糖質制限もこれに当たるということがわかると思います。

考えてみればかの医聖ヒポクラテスは「First, do no harm(まず、害をなすことなかれ)」という言葉を残しています。

彼が二千年以上前に真理に到達していたことにただただ敬服するばかりです。


こうして考えると糖質制限がいかにすぐれた治療法かという事がよりよくわかるように思います。

そのような新しい医療を構築していく必要があると私は強く感じています。


たがしゅう
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