安心は相手に快を与える
2018/01/21 00:00:01 |
お勉強 |
コメント:2件
相手の快を知るためには、相手のことをよく知るべきという話をしましたが、
中にはなかなか快が見つけられない、あるいはその人自身何が本当の快なのかをわかっていない事もあると思います。
むしろそういう場合の方が多いかもしれませんね。
そうした快が不定の場合は、こちらから積極的に快へ導いていく工夫も必要かもしれません。
食欲、性欲、睡眠欲といった原始的な快感はさておいてです。それらの快が価値観によっては快でなくなることさえあるのはすでに述べた通りです。
快が定まっていない人を快へ導くとはどういったことなのでしょうか。 医療の現場では、様々な同意書の取得が求められる場面があります。
こうした契約事というのは、信頼関係という観点で見た時に考えるべきことがあります。
「これから〇〇という処置をします。△△というリスクがあります。説明責任は果たしたので、何かあっても了解の上ということで文句は言わないで下さいね」というのが同意書の表している趣旨です。
もしも十分な信頼関係ができていれば、わざわざ同意書を取らなくても、一生懸命やってくれた医療者へ文句などは言わないはずです。
逆に信頼関係が破綻していれば、同意書を持ち出そうが何をしようがその医療処置は受けない選択をするはずです。
従って、同意書というのは、それほど十分でない信頼関係の間柄においても、ストレスのかかる処置を行う事を成立させるためのシステムと捉えることができます。
また別の言い方をすれば、同意書中心の医療は信頼関係を構築させるのに向いていないと見ることもできます。
信頼関係は相手を知ろうとする際に最も重要とされる要素ですが、
それが本来最も尊重されるべき医療現場において、信頼関係の構築からかけ離れているのが今の医療現場の多くの実態だと思います。
しかし同意書があること自体が悪いというわけではありません。
在宅医療の現場では訪問診療の同意を得た上で、患者さんにこう切り出すのです。
「大丈夫ですよ。何かあったら24時間いつでも駆けつけますからね。」
同意書を書いてもらった後にそう言ってもらったら、多くの方は安心感を覚えるのではないでしょうか。
在宅の先生は「安全と安心とは違う」とおっしゃっいます。
「100%安全な世界を作ることは不可能だけれど、100%の安心を与える事は相手との信頼関係があれば不可能ではない」
実際には飲み会があって酔っ払って往診できないことがあったり、
出張で遠方にいるために24時間対応が直ちにできないという場面はありえることですが、それを埋めることはたいして重要なことではありません。
要はこの先生になら任せられると相手に思ってもらう交流ができているかどうかが重要なわけです。
誤解を恐れずに言えば、多少ハッタリが入っていたとしても、
相手に安心だと思ってもらうことができれば、それが相手にとって世界の全てです。
つまり「心が変われば世界は変わる」、だから安心100%は起こりえることなのです。
相手に安心を与える医療は、相手に快を与える医療です。
相手に快を与える医療は、素晴らしきストレスマネジメントの力によって、自己治癒力を高めることにつながります。
だから在宅医療の現場では、病院では考えられないような素晴らしい事が起こり続けているのかもしれません。
そうやって自分の快が何だか気付いていない人へ、
快を与える方向へと導くこともできるということを学びました。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
常に快でありたい
人が人らしく生きる上で大切なキーワードだと最近感じています。
「努力は報われる」「あきらめなければ夢はかなう」
様々な分野で頑張ることの美談が過ぎるのではと思っています。
そして、これは自分への戒めでもあります。
競争することは生産性向上のために否定はしませんが、「不快」を感じながら頑張ることは逆に非生産的ではないのかと。
私自身病気になり、生き方を振り返ってみると、「不快」な競争の連続であったような気がします。
世の成功者という方々は、恐らく「不快」に邁進してはいないはずです。
一般的に困難に見える障害をも、むしろ「快」に感じながら乗り越えた、そういうものだと。
目の前に現れるすべての事象が「快」に見える生き方
難しいでしょうか?
いや気づいていないだけかもしれません。
足元に転がっていて。
Re: 常に快でありたい
コメント頂き有難うございます。
> 目の前に現れるすべての事象が「快」に見える生き方
動物は基本的に「快」を求めて生きているのではないかと思います。
不快を回避し、快行動を繰り返すからです。
様々な通念や常識と呼ばれるものが快というものを歪めます。
しかしそれを修正する人智も私達は持ち合わせていると私は思います。
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