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いかなる理論も押し付けない
特に、「たとえ健康に良いことであっても」という点が余計に心に響きます。
それは私が「糖質制限を無理に勧めてろくなことはない」ということを日々の診療から実感しているというのが大きいと思います。
糖質制限が様々な治療に対して絶大な効果を持つという考えは今も変わりません。
しかし糖質制限を指導して、症状が良くならないと訴える人はかなりの確率で自律神経過敏になっている人だという印象を持っています。
一番多いのは、様々な糖質制限に対するネガティブな情報にさらされて、不安にかられ続けている人です。
中には人に教えられるぐらい糖質制限の事を熟知しているのに、
ネガティブな情報に触れると、不安とともに私の意見を求めようとする人がいます。
それは、折角の無数の知識も表面的な理解にとどまってしまい、
自分の中で内省する作業を怠り、自分の頭で考える軸ができていないからなのではないかと思う事があります。
そのように不安に駆られて自律神経過敏になることもあれば、
糖質制限を無理に勧めることが相手へストレスを与え、自律神経過敏にさせてしまうこともあります。
その自律神経過敏状態は自己治癒力を弱め、折角の糖質制限の絶大なる健康効果を時には帳消しにしてしまう程悪影響をもたらすことがあるということを私は診療の中で実感しています。
だから心の問題を、ストレスの問題を置き去りにして、糖質制限を指導してはいけないのだと思います。
最近の糖質制限界においては、何かと強論が目につく機会が増えました。
〇〇しなさい、△△しろ、□□するな、▽▽してはいけない……
そういう指導は知らず知らずの内に、相手にストレスを与えてしまっているかもしれない、ということを自覚することはとても大切だと思います。
なぜならそのような物言いだと、たとえ理論的に完璧だったとしてもストレスマネジメント的には最悪だからです。
そもそも強論を展開している人に限ってろくな人はいません。
相手への配慮が欠けていたり、思慮が浅かったり、
あるいは強引に事を勧めるがあまり聞く耳を持っておらず、とてもまともな議論はできなさそうな人もいます。
一方で、強論は自分の頭で考えない人にとっては強烈なリーダーシップとして目に写る場合もありますので、
強論は支配ー非支配の関係を作り出し、グループ内に所属すれば快、所属しなければ不快という構造を作り出してしまいます。
その構造が高まれば、グループ外の考えを徹底的に排除し、ひいては攻撃、誹謗、中傷する構造にまで至ってしまいます。
そんな時も自分で考える頭を持っていない人は、強烈なリーダーシップを持ったカリスマを疑うことなく盲信してしまい、
たとえグループが本来の目的から逸脱していてもそれに気付かずにグループ内での活動が善だと思い込んでしまう怖さがあると思います。
糖質制限実践者の集団は、従来価値観の多数派からともすれば宗教的だと揶揄されることも多いですが、
それがまともな集団なのか、カルト教団的なのかどうかは、
構成するメンバーが並列的で序列関係を作らず、自由に入れて自由に抜けられるかどうか、
もっと本質的にはそれぞれのメンバーがきちんと自分の頭で考える力を持っているかどうかに由来するところが大きいのではないかと私は思います。
グループ内での他者の考えを抑圧する強論は披露されるべきではありません。
いかなる理論も他者へ押し付けないようにしたいと私は思います。
たがしゅう
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