相手の快に基づく医療を提供するには

2018/01/20 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:4件

自分の快さえも何かわからないのに、

相手の快が何かを察するなんてどうしろというんだと思われるかもしれませんが、

実は他人の快を探す手がかりは様々な所に隠されていたりします。

人は自分のことよりも他人のことの方が客観的に見ることができるものです。

在宅医療専門の先生から、初めて訪問診療する人の家に訪れた際に、

相手との信頼関係を構築するためのコツのようなものを教えて頂きました。 それは家の中に飾られているものや大切にしていそうなものを探して本人のこだわりを推測するということです。


在宅医療の現場では、相手から信用され満足してもらうというのが何より大切なことなのだそうです。

たとえ医学的には病院で行う処置に比べて、在宅では不十分な処置しか行えなかったとしても、

患者さんがその処置に満足していればオールオッケーで、医療処置を巡ってのトラブルなどは起こらないと聞きます。

「先生はできる限りのことをやってくれている」

そんな風に思ってもらうために大事なのが信頼関係です。

信頼関係を構築するためには、「あなたのことに興味を持っています」ということを伝える必要があります。

例えば、自宅にゴルフ大会の賞状やゴルフクラブのセットが置いているのを見たら、

「ゴルフお好きなんですか?」などの問いかけに始まり、相手のことへ興味を持つためのきっかけができます。

その会話を続けていく中で、さらに別のこだわりを知ることができるようになるかもしれません。

そうやって相手のことを知る作業を繰り返していくことで、徐々に信頼関係が構築されていき、

ひいては相手が何を心地よいと感じるのかという答えに到達することができるのだと思います。

ということは、相手の家に行かないと相手の快は分からないのかと言えば決してそういうわけではありません。

本質的なことは、相手の快を知るためには相手をよく知ること、その為には相手をよく観察し、よく話すということに尽きると思います。

だから在宅医療の先生が培ったそのようなテクニックは、

本質的には病院にいようがクリニックにいようが、どこにいても実践できるということになります。

どこにいても相手のことを知ろうとする努力さえ怠らなければ、

相手の快に基づいた医療を提供することは決して不可能ではないと私は思います。

相手が病院嫌いならばその理由を分析し、別の選択肢を提示すればいいし、

相手が権威を信用していればその気持ちを否定せずに、権威が扱わない治療を無理に推し進める必要もないのです。

逆に言えば、自分を知るために自分に問いかけるという行為に多くの人は慣れていないはずで、

だからこそ自分の快が何かを知ることは難しいのかもしれません。


たがしゅう
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コメント

2018/01/20(土) 10:38:15 | URL | 瀬川里香 #-
相手と信頼関係を築くのは、どの場面でも大事だと思います。
相手の好きなこと、相手が嫌いなこと、
相手の私生活を知る、コミュニケーションと洞察力が大事かもですね。
相手に信頼感を与える、笑顔を引き出しことができたらって常に思います。
たがしゅう先生も頑張ってください🌟

Re: タイトルなし

2018/01/20(土) 13:22:16 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
瀬川里香 さん

コメント頂き有難うございます。

確かに相手の自然な笑顔が引き出せるかどうかは、信頼関係が構築されているかどうかを見る一つの目安になるかもしれませんね。

医師への信頼

2018/01/22(月) 10:49:41 | URL | 多良見の竜神さん #-
1972年、NHKTVで、山本周五郎原作の「赤ひげ」が放送されました。
小林桂樹とあおい輝彦が共演し、見応えのある作品で熱心に試聴しました。

いろいろと関心のあるドラマでしたが、今でも忘れられないシーンがあります。

養生所で誤診があったのですが、赤ひげは、医師は自分が誤診をしたことを患者に認めてはならないと主張するのです。
その理由というのが、患者の医師に対する信頼と信用を損なうからと言うことです。
そういう考え方もあるのだなぁと、当時、若造の私は思いました。

Re: 医師への信頼

2018/01/22(月) 11:07:35 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
多良見の竜神さん さん

 コメント頂き有難うございます。

> 赤ひげは、医師は自分が誤診をしたことを患者に認めてはならないと主張するのです。
> その理由というのが、患者の医師に対する信頼と信用を損なうからと言うことです。


 その対応は、医師の事を絶対的に信用している患者さんに対しては不快を与えないという意味で有効と思います。
 しかし中には医師が誠実に対応することに対し快を感じる患者さんもいるはずで、そういう人にとっては誤診を認めない対応の方が不快だと思います。多様性のある人の心の問題は一筋縄ではいかないと日々感じています。

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