最後まで続けなくてもよいのか

2019/10/30 23:05:01 | よくないと思うこと | コメント:0件

長年続けてきた治療を「もうこれ以上は無理だから」という理由で止めにする場面が時々あります。

例えば、今までさんざん高血圧に対して処方され続けてきた降圧剤を、加齢に伴い認知機能が低下し飲み忘れが多くなってきて、そうした患者さんが90代であったりしようものなら、

「もう高齢だから薬は中止にしましょう」などといわれるパターンがあると思います。

あるいは糖尿病のインスリン注射も自分で打てているうちはまだよいですが、自分では管理できなくなってきたらインスリンの単位を弱めるというような対応があると思います。

しかしこれって、考えてみると治療方針として一貫性がないのではないでしょうか。

もし本当にしなければならない治療であれば、管理ができなかろうが何だろうが、最後までその方法が完遂できるよう努力すべきではないでしょうか。 なぜそのような、言わば「あきらめの治療方針」が選択されると言えば、その治療によって良くなっていく見通しが得られないからではないでしょうか。

同じ違和感は夏井睦先生の著書「傷は絶対消毒するな」を読んでいた時にも感じました。

この本は消毒の有害性、無益性について論理的に解説されているのが主たる内容となっているのですが、

外科の世界では手術で縫合した後の傷には消毒の処置を毎日行うのが慣例となっていて、それは消化管の手術においても例外ではありません。

例えば大腸の一部を切除する手術をした際も、手術中で開腹されている時には縫合された腸管の継ぎ目に消毒をします。

しかしその後はお腹を閉じてしまうので、縫合された腸管に消毒をすることはできません。それでも腸管の傷は問題なく治っていくということに疑問を感じたという事がその本には書かれていました。

本当に消毒をしなければ縫合された傷が治らないのであれば、科学技術を駆使して閉腹後も消毒をし続けられるような装置なり手法を開発していかなければなりませんが、誰もそれをしようとしません。

なぜならばそれをしなくても問題は起こらないからです。

薬を高齢を理由に途中で止める例と、消毒を閉腹を理由に途中で止める例。

もし薬にしても消毒にしても、それを行うことで圧倒的な治療効果が得られるのであれば何とかしてその治療が継続しようというインセンティブが生まれるはずですが、これらの治療にはそれほどの効果がないのです。

それどころか止めることによってトラブルどころか調子がよくなっていくことの方が多いと来た始末です。

ということはこの治療の方法論自体が間違っているのではないかという考えに行き着くことができます。

この間違いに気づくためには、事実をよく観察することが大切です。

目の前で起こっている現象を真摯に見つめ、つぶさに捉える姿勢です。

そうすればできるための方策を探そうというインセンティブが働かない治療のおかしさに気付けるのではないでしょうか。

予防と治療は別物だという考え方がありますが、

私は病状の初期だろうと末期だろうとどういう段階にあろうとも挑戦し続ける価値のある治療が本当の治療だと考える次第です。


たがしゅう
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