「好き」:たがしゅう哲学カフェ in 調布の御報告
2019/02/24 21:15:01 |
たがしゅう哲学カフェ |
コメント:6件
去る2019年2月23日(土)、たがしゅう哲学カフェ in 調布を、
東京都調布市仙川町の低糖質おやつのお店「しまねこや」さんで開催し、15名くらいの方々に集まって頂くことができました。
今回のテーマは「好き」でした。このテーマは場所を提供して下さった「しまねこや」店主の遠藤かおりさんからのご発案で、
好きを基本に始めることができた低糖質おやつのお店ですが、一方で知り合いの方で趣味が高じてコーヒーの仕事を始めたけれど、それは「好き」で続けられているわけではない、と言っている人もいる、と。
はたして「好き」とは何なのだろうと思ったことがきっかけとなりこのテーマを選ばれた、とのことでした。 まず、アイドリングトークとして、参加者の皆さんへ「好きなものは何か?」という質問を投げかけるところから始めました。
犬が好き、美しいものが好き、音楽が好き、など形があるものからないものまで好きの対象は様々なものに及び、
それと同時に非常に個性を反映する感じが表れてくることを私は感じました。
さらにある方はピアノが好きという意見を述べられるとともに、
それと同時にピアノを弾いている時間も好き、あるいはピアノをお孫さんと一緒に楽しみながら練習しているプロセスそのものも好き、というように、
一つの好きの中にも重層構造、もしくは周辺のものとつながっていく構造がある様子も見てとれました。
このように好きというのは単純に自分と対象とをつなぐ一対一の関係というよりも、
様々な人生経験、周囲からの刺激、刺激や経験が繰り返されることなどを通じて、
意識的にせよ無意識的にせよ、自分の中で少しずつ形作られていく構造的なもの、という姿が見えてきます。
一方で赤よりも青が好き、ピーマンよりもキュウリが好きなどのパターンに関しては、好きな理由を聞かれれば何かしらの理由を答えられはするものの、
それは実は後付けの理由で、ひょっとしたら遺伝子レベルで規定されている「好き」というのものもあるのではないかという意見も出ました。
さらには好きなものを否定されると、尊厳を否定されるような気分にもなる、という意見も出ました。
こうしたことを見ていきますと、「好き」というのは、何かその人自身の性質や相性、ひいては根源的な部分を表しうるものという姿が浮き彫りになってくるように思えました。
次に話題はしまねこやの遠藤さんの関心事である「好きを仕事にするための条件」について考えてみることにしました。
まず、「好きは個人を形作るもの」という側面で考えると、好きなものや好きなこと自体はその人の中で完結する事象です。
誰に横やりを入れられようが好きなものは好き、そこは何人たりとも侵すことのできない領域です。
ところが「仕事」となると、仕事としての価値を生み出すためには「誰かの役に立つ」ということが大前提となってきます。
もしも誰にも役に立たない行為であれば、それは仕事としての価値を持たないことになります。
ただ誰の役に立たなくても「趣味」としてなら成立させることはできます。
自己完結しうる「趣味」と他者へ価値提供を行う「仕事」、その橋渡しをするための潤滑油、モチベーションを上げる核となる要素が「好き」というものではないかという意見が出ました。
また単に「好き」なだけでは他者へ価値提供できるとは限らず、そこには「技術」があることも必要だという意見もありました。
そしてその技術は必ずしも自分が提供できないものであったとしても、
その「技術」を持つ他者とパートナーシップを持つことで、自分とその人を含めた集団を新たな自己として認識することで、
自分だけではなし得なかった他者への価値を提供する自己へと発展させることができると、
そしてそのパートナーシップを形作る時に再び重要になってくる潤滑油が「好き」というものだということもわかってきました。
確かに「好き」なものが同じ人とは、コミュニケーションがとりやすかったりしますよね。
ということは好きを仕事にできるかどうか、そのために重要なことは、その「好き」をいかに他者に価値がある形へと整えることができるかどうかにかかっている、というところでしょうか。
こう言うと当たり前のことのようですが、
「好きなことで、生きていく」がキャッチコピーで、私が絶賛準備中のYouTuberの在り方を考える上でも、
これは大事なテーマであったように思います。
単に好きなことをやり続けるだけではダメで、どうすれば誰かの役に立てるのかということも合わせて考えることによって、
好きを仕事にすることができるのではないかと思いました。
さらに話題は「人に言いにくい好きもある」というところへも及びました。
言い方を変えれば「聞こえのよい好き」と「聞こえの悪い好き」があるということです。
わかりやすいところで言えば「性癖」です。
ライトなところで言えば、例えば女性のうなじが好きという人がいるとします。
その人の中では女性のうなじが好き、これはまぎれもない事実です。
ところがこれを公言すると、女性から「そんなところばかり見ているなんて変態」などと白い目で見られるかもしれない。
あるいは別の例で言えば特撮オタクの女性です。
「男ならまだしも、女性が、しかも大人になって特撮ヒーローものが好きだなんて変わっている」などというように、少し引いた目で見てしまう世間の風潮は確かにあるのではないかと思います。
このように好きは本来個人の中で完結するはずなのですが、
人間社会においてこの好きが社会の集団的意識や文化的価値観にさらされることによって、
個人の中での本来の好きの姿が多かれ少なかれ歪められてしまう側面があるという気づきも得られました。
今、「人間社会において」と言いましたが、人間以外の動物における「好き」と比較して考えてみます。
勿論、人間以外の動物の世界に「好き」という言葉も概念も存在しないわけですが、
人間の「好き」に相当するそれらしいものは、人間の世界でいうところの「欲求」のようなものではないかと思われます。
その欲求は周りの環境がどうであろうと本能的に規定されているその「好き」のようなものは何かに妨げられることもなく、
動物達は自分達の「好き」な環境で生存し続けるように活動しています。
言わば「好き」は動物界では歪められることはあり得ず、「好き」を歪めているものは人間界の言葉であり、概念であり、価値観であるという構造も見えてきます。
動物でみれば「好き」は本来心地よいものであるはずに、それが歪められうる唯一の生き物、人間というのは辛い生き物ですね。
しかし逆に言えば価値観を修正すれば、本来の「好き」に修正することもできる、と言えるのかもしれません。
最後に「好きなものがわからない」という意見と、「嫌いなものは何もない」というある意味で両極端な意見も出ました。
ただこれはすごく「好き」というものの本質を表している意見だと私は感じました。
さきほど、価値観により「好き」は歪められる、という言い方をしましたが、
言い方を変えれば、真っ白いキャンバスに自分次第でいかようにも「好き」を変化させられる、
「好き」にはそういう可能性や潜在性もはらんでいるということであるように私は感じました。
何も意識していなくても、自分の好きはいつのまにか形作られていくのだけれど、
そこに意識を変えたり、価値観を変えたりすることで、
遺伝的に規定されている要素があるはずの「好き」は実は自由自在に変化させることができるのだと、
それは「簡単に好きと認識しない」ところから「全てを好きと認識する」ところまで非常に幅広い可能性を持つものだという姿も見えたように思います。
主に私が印象に残った部分を中心にアウトプットして参りましたが、
他にも様々な意見が聞かれ、今回も密度の濃い60分となりました。
御参加頂いた皆様に心より感謝申し上げます。
たがしゅう
(追伸)
今回も、「実は興味があったけど参加できなかった」という方のために、
参加者の皆様の御了解を得て当日の録音データを取らせて頂きました。
もし聞いてみたいという方はたがしゅう哲学カフェメーリングリストというのがありますので、
そちらへご参加頂ければ期間限定限定ですが、今回の音声データをダウンロードして頂くことができます。
ご希望の方はたがしゅうブログメールフォームから「たがしゅう哲学カフェメーリングリスト参加希望」とのコメントを一言添えてメールを御送信頂ければと思います。
また次回たがしゅう哲学カフェは4月20日(土)の10時30分〜11時30分で場所は東京都内を予定していますが、まだ未定です。
詳しいことが決まりましたら、当ブログ及びメーリングリストの方でお知らせさせて頂きます。
(追伸、終わり)
リンク
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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御報告ありがとうございます
開始前は多くの要素が含まれていそうな『好き』について語り合うって、どんな風に話が進み、いったいどこに着地するのだろうと全く想像出来ませんでしたが、思いがけず話題になった『好きを仕事にする』は今の私にとってタイムリーなものでとても関心がありました。
『好き』は行動を起こすための、そして継続するための大きな原動力になるけれど、シャボンの泡がパチンとはじけるように消えてしまうことのある、不確かで頼りないものにも感じます。
でも、皆さんのお話を聞いて(正確にはそれを整理して下さった先生の文章も読んで)ぼんやりしていた『好き』の色々な側面のいくつかを知ることが出来ました。
不確かで頼りないと思っていた『好き』ですが、これは(自分の『好き』は本物なのかな?)という自信の無さから見えるものだという自覚が以前からあって、でもそこだけに焦点を当てるのではなく、私のある事に対する『好き』を構成している重層構造の1つ1つ(意識出来る範囲で)に焦点を当てると、案外、不確かな感情だけではない部分が見えてきます。
長くなってしまいましたが、これだけでも私1人では辿り着かなかったかも知れない気付きです。
哲学カフェの着地点は共に時間を過ごした後の個人の中にあるのだなと実感しています。(私はまだ着地していませんが!)
拙い文章で恥ずかしいのですが、カフェの間は考えが上手くまとめられず言葉に出来なかったので、コメント欄で感想をお伝えさせていただきました。
たがしゅう先生、居心地の良い空間を用意して下さったしまねこやさん、参加された皆さま、ありがとうございました!
Re: 御報告ありがとうございます
コメント頂き有難うございます。
> 不確かで頼りないと思っていた『好き』ですが、これは(自分の『好き』は本物なのかな?)という自信の無さから見えるものだという自覚が以前からあって、でもそこだけに焦点を当てるのではなく、私のある事に対する『好き』を構成している重層構造の1つ1つ(意識出来る範囲で)に焦点を当てると、案外、不確かな感情だけではない部分が見えてきます。
そうですね。
いつの間にか好きと認識している部分もありますし、
生まれてから経験を重ね、確かな実感とともに自分の中で明確になってきた好きもあります。
様々な好きが重層構造となり好きが形成されているのであり、それが故に好きは複雑でなおかつその人の根源的な所との橋渡しとなるのではないかと私は考える次第です。また新たな気づきを頂き有難うございます。
良い時間をありがとうございました!
こうしてまとめていただくと、改めてなるほどー、と思うこと多々です。音声もじっくり聞かせていただきますね。
「好き」が思いのほか奥深い言葉、感情なのだと知って、日常の何気ない場面でも考えることが増えました。
当日は発言しなかったのですが、子どもがあらかじめ持っている「好き」(好み)が母とはまるで違うことは、いつも不思議に思っていて、環境ではなく遺伝子なのかしら??と納得でもあり、まだまだ不思議でもあり…。
見ず知らずの方々が一つのことを語り合って思考を深める…哲学カフェって素晴らしいですね。
良い時間をありがとうございました!
4/20は先約があり行けないのがとても残念ですが、またしまねこやでも開催させてください(*^^*)
Re: 良い時間をありがとうございました!
コメント頂き有難うございます。
また会場をお貸し頂き心より感謝申し上げます。
おかげさまで有意義な哲学カフェとなったのではないかと思います。
哲学カフェは司会する側は、皆様が満足のいく内容になるのかどうか、やってみないとわからない側面があって、いつもドキドキなのですが、終わった後の充実感でまたやってみたいという気持ちが湧いてきます。
また御都合のよろしい時に参加を御検討下さい。
またしまねこやでの開催もまた改めて御相談させて頂ければと思います。
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