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食べない先駆者たち
百歩くらい先を進んでいる人達がいます。
不食と呼ばれる「概念」を実践している人達です。
食べない人たち (「不食」が人を健康にする) [単行本(ソフトカバー)]
秋山 佳胤 (著), 森 美智代 (著), 山田 鷹夫 (著)
提唱者の山田鷹夫さん曰く、
不食というのは「全く食べない状態」ということではなく、もっと広い考え方であり経験であるとのことで、
「人は食べなくても生きられる」という考え方を持ち、
食べないことに徐々に慣れた結果、あるいはそれに適応した結果、
心と身体が到達する最終的な状態だ、と定義されています。
こちらの本は、その不食を実践されている3名の方の体験記が記されており、
その内容が非常に参考になるとともに、驚かされます。
一人は6年間水も呑まずに過ごされている「スピリチュアル弁護士」と呼ばれる秋山佳胤さん、
もう一人は当ブログでも何度か紹介させて頂いた、脊髄小脳変性症を何回もの断食で克服し、以後18年間1日青汁1杯の生活を続けておられる鍼灸師の森美智代さん
そして不食提唱者の山田鷹夫さんの3名です。
3名の実践者は口をそろえておっしゃいます。「不食とは少食の延長線上にあるものだ」と。
一見、「できるだけ食べないようにする」という意味では、断食と似たようなものと思われがちですが、
そして山田さんは一般的に行われている断食と、不食の考え方は明確に違うと述べておられます。
すなわち食べる事を基本において一時的に食べないことが「断食」であり、
食べないことを基本において一時的に食べる事を許容することが「不食」だということで、
同じ事をやっているようで、向かっているベクトルが180度異なる、ということです。
そういう意味では私も最近、「食べることはリスクであり、少なく食べて現状を維持できるに超したことはない」という考えに達してきていますので、
今やっている事は断食というよりも不食への挑戦という事になるのかもしれません。
そういう意味では1週間の断食そのものよりも、
断食終了後の私がどう振る舞うかということの方が大事ですね。
先日、栄養学を抜本的に見直さなければ、という話もしましたが、
森さん、山田さんは現在の自分たちの状態を現在の栄養学では説明することはできないと主張されてます。私もまさにその通りだと思います。
こうした事実を無視するのではなく、間違いを素直に認め、栄養学のどこが間違っていたのかを真剣に考えていく必要がある時代に差しかかっていると思います。
秋山さんは水も飲まずに「プラーナ」と呼ばれる気のエネルギーで生きているとおっしゃいます。
一方で植物は光合成をしますし、ヒトは光合成はできませんが、光からビタミンDを合成するところまでは解明されています。
私達の知らない未解明の世界がまだまだ広がっているような気がします。
3名の偉大な先駆者の方々が記された貴重な経験です。
仮に怪しいと思っても一概に否定せず、自分の頭で考える力を携えながら、
そうした世界を見つめるようにしていきたいですね。
たがしゅう
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