「不要」部分に潜む価値

2017/09/07 00:00:01 | 素朴な疑問 | コメント:2件

昨日紹介した『皮膚は「心」を持っていた!』にはこんな事も書かれていました。

皮膚が聴覚の一部を担っているという事について語られる一節があります。

音は空気の振動ですが、それは耳という器官でとらえられ神経を通じて脳へ伝えられ音として知覚するというのが一般的な認識ですが、

振動情報であれば皮膚でも直接感知しています。例えば和太鼓や花火の音を間近で聞いていればおなかに響くように音を感じると思います。

しかし耳が感知できる振動は可聴帯域と呼ばれる20~20000Hzの領域のみであり、

それから外れる超音波と呼ばれる振動は耳では感じられないけれど、皮膚では感じているというのです。 その超音波について次のように書かれています。

(以下、p28より引用)

超音波は、日常生活のいたるところにある。

風の音や潮騒の音、楽器が奏でる音や家庭内のさまざまな電化製品からも発生している。

ちなみにCDやインターネット配信されているようなデジタルサウンドは超音波がカットされている。そのため、聞いていると疲れるともいわれている。

一方、レコードなどのアナログサウンドは超音波が入っているから、音がマイルドで臨場感があるため、

聞いているとレコードのほうがなぜか心を動かされるという人も多い。

(引用、ここまで)



どうせ聞こえないからよりクリアに音を伝えるために超音波がカットされているのでしょうけれど、

実際は超音波がカットされたCDやネットでの音楽より、超音波込みのレコードや現場での演奏の方が感動しやすいというのです。


また次のような文章も書かれていました。

(以下、p73より引用)

例えば電子書籍と紙の本を比べてみよう。

電子書籍はタップで画面に触れることはあるものの、ほとんどを「視覚」に頼っている

一方、紙のほうは、同じ書籍でも1ページずつページをつまんでめくり、パラパラとページに触れて読み返すなど、「触れる」ことの多い読み方をする。

なんとなく、紙の本のほうが頭に入りやすく、記憶に残りやすいと感じたことはないだろうか。

ページをめくったときの感触を覚えていたり、「確かこの本の真ん中あたりにこんなことが書いてあったな」と思い出したりしやすいのは、紙の本ならではの特徴である。

実際、この違いを試した実験もあり、紙の本のほうが記憶に残りやすいという。

ノルウェーの研究者、アン・マンゲンの研究では、参加者に28ページの短編小説を読んでもらい、

あとから重要なシーンをどのくらい思い出せるかを調べた。

このとき、参加者の半分は電子書籍の端末で、残りの半分はペーパーバックで読んでもらった。

登場人物や設定を思い出すことに関しては、どちらのグループでも同程度の成績だった。

ところが物語の流れを再構築するよう頼んだところ、大きな違いが出た。

電子書籍で読んだ人は、14に分けたストーリーを正しい順番に並べるテストで、著しく悪い成績だった。

マンゲン氏は、「物語の進行に合わせて紙をめくっていくという作業が、一種の感覚的な補助となるのだ。すなわち、触覚が、視覚をサポートするのだ」という。

(引用、ここまで)


紙の本の厚みや、裏表に印刷されているために必要とされるめくり作業など、

不要と考えるものをそぎ落とせば便利になるはずだと考えられた電子書籍が、

実はその結果、頭に入りにくい情報源になってしまったというのは非常に興味深い話です。

なぜならば不要なものをそぎ落とすと質が落ち、ありのままを残しておいた方が良いパフォーマンスを示すという意味では、

西洋薬と漢方薬との関係もそれに近いものがあるからです。

つまり情報をそぎ落とせばそぎ落とすほど効果的にダイレクトに伝わるであろうと考える私達の考えは、

そぎ落としてしまった片割れの部分に私達が気づかないだけで実は大事な情報が含まれているという事を見落としてしまっていることによって起こる誤解ではないかと思うのです。

ついでに言えば、白米と玄米との関係にも共通構造があるかもしれません。

玄米のぬか部分があることによって腸内細菌との相性次第では食物繊維を利用して糖質と共存できる可能性がありますが、

おいしさのために米ぬかが不要だと私達が誤解しているがために、糖質の害をダイレクトに受ける羽目になってしまうのではないかと私は思います。


結局これらの話は、自然の構造が大事であるということを、

そしてそれを崩すことによって思わぬ害毒がもたらされうるということを、

私達に教えてくれているのではないかと思います。


たがしゅう
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コメント

No title

2017/09/07(木) 16:32:54 | URL | Etsuko #-
いつも興味深い記事をありがとうございます。

昨日、「寄生虫なき病」という本を読み終わりました。

こちらの本でも、
『「不要」部分に潜む価値』を考えさせられました。

人類の進化と共に歩んできたであろう細菌、寄生虫を、
必要以上に排除してきた結果、共生のバランスが崩れる。
学びの機会を失った私達の免疫系が暴走を始め、
初めてその必要性に気付く。

『結局これらの話は、自然の構造が大事であるということを、
そしてそれを崩すことによって思わぬ害毒がもたらされうるということを、
私達に教えてくれているのではないかと思います。』

上記の先生の言葉は、
細菌、寄生虫からのメッセージのようにもとれました。



Re: No title

2017/09/07(木) 17:39:58 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
Etsuko さん

 コメント頂き有難うございます。

 御指摘の通り、寄生虫との関係にも共通構造があるように私は思います。

 除菌、駆虫はその根底に自分さえよければという心があっての概念だと思います。
 自然の中で合理的に構造が組み立てられている経緯を理解し、そのバランスを不必要に乱さないようにすることがこれからの私達には求められているのではないかと思います。

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