受身は自分も相手も守る

2017/08/22 00:00:01 | 自分のこと | コメント:4件

私は高校生の時、部活動で柔道をしていました。

あまり知らない人もいるかもしれませんが、実は柔道なかなか奥が深いです。

基本的に組手(くみて)と呼ばれる試合では、決められた技で相手の背中を畳につければ一本となり、一本取った方が勝ちとなるルールです。

投げ飛ばして背中を畳につければいいというのなら、力の強い人間が勝つだろうと思われるかもしれませんが、

「柔よく剛を制す」という言葉もあるように、小柄な柔道家が相手の力を利用して一回りも二周りも大きな相手を豪快に投げ飛ばしたりする場面もまれでなく見られます。

そんな柔道の練習は、基礎体力や応用動作などに加えて、精神面に関して教わることが多いというのも特徴的です。

試合の際には礼に始まり、勝っても負けても礼に終わるというスポーツマンシップに乗っ取るスタンスが私は好きでした。 その柔道の練習の中で最も基本的なものの一つとして位置付けられているのが「受け身」です。

受け身というのは、相手に投げられたときのダメージを最小限にする、自分が怪我しないようにするために投げられたときの上手な着地の仕方を練習することです。

それこそ柔道の練習をしていたときは受け身の練習は常にルーチンで組み込まれていました。他のスポーツの準備運動みたいなものだと思います。


話は飛んで、以前「相田みつを美術館」を訪れた際に、

次のような詩が書かれているのを目にしました。

「受身」

柔道の基本は受身

受身とはころぶ練習、まける練習

人の前にぶざまに恥をさらす稽古

受身が身につけば達人

まけることの尊さがわかるから



この詩を見たときに、私はあの時に何度も行っていた受身の練習の意義というものを再確認させられたように思います。

そして今改めて心に響くのは「人の前にぶざまに恥をさらす稽古」の部分です。

投げられる練習なんて情けない、投げられないように強くなればいいんだという考えもあるかもしれませんが、

どれだけ実力がついても受身を疎かにしない柔道のスタンスは、そうした傲慢な心を諫める意図があるように思います。

自分が受身をしてその痛みを知ることで、投げられた相手の痛みも知ることができます。

相手の痛みを知ることで、相手への敬意も生まれ、敬意を持たれた相手は負けても悔いなく試合を終われ、また次に進むことができます。

私は柔道をすることで、相手の気持ちを推し量るという人生において大事なテクニックを、知らず知らずのうちに教わっていたのかもしれません。

それができない人間はどんどんプライドが高くなり、我が道を突き進んでしまうことでしょう。

多くの医師がまさにそのようになってしまっているのではないかと思うのです。

投げられた痛みは受け身で再現できますが、傷や骨折の痛みを医師が自分で感じることはできません。だからうっかりすると忘れてしまうのかもしれません。

しかし再現できないからこそ気持ちを推し量らなければならないし、ひいてはそれが自分のためにもなると思うのです。

それが「受身が身につけば達人」という言葉の意味するところではないかと私は思います。


いつの間にか柔道に教わってきた大事な心構えは、

これからも医師としても存分に活かしていきたいと思います。


たがしゅう
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コメント

No title

2017/08/22(火) 09:22:56 | URL | かんな #-
たがしゅう先生、おはようございます。
いいお話しでした!
この春から子供が柔道を始めたので読ませます。
ありがとうございました。

Re: No title

2017/08/22(火) 10:37:03 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
かんな さん

 コメント頂き有難うございます。

 柔道を通じて心身ともに強くなってもらいたいですね。

武医一如のこと

2017/08/26(土) 20:22:39 | URL | やまたつ #UoJDqtOY
 柔道に関する研究は、嘉納治五郎が1932(昭和7)年から講道館医事研究会を組織し医学的課題にも取り組んだ。wikipedia 講道館より
 柔道の技の中には相手を倒す時、経絡から学んだ急所への攻撃として「当身」(これはスポーツとしての柔道は禁じ手)等の技があります。
 驚くべきことに、武術には技をかけられた相手の経絡を刺激し、病気を治す
医療行為にもなるという「武医一如」という不思議な世界が東洋にはあります。
自分が行えば「気功」や「太極拳」などの身体技法になりますが、これは治療行為としての武術です。
 嘉納治五郎が講道館を設立した当初、「武医一如」について研究するため、
上記の講道館医事研究会を立ち上げたときいています。
 先生が今回考察されている「受け身」には相手の痛みを知るという診療行為の基本としての意味以外に、体の機能を強化する効果(骨格に対し一定負荷を与える)があるのかもしれません。
「受け身」が持っている行為の複雑さから、基本としての重要性が強調されるようにも思います。

Re: 武医一如のこと

2017/08/27(日) 08:31:28 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
やまたつ さん

 コメント頂き有難うございます。

> 経絡から学んだ急所への攻撃として「当身」
> 驚くべきことに、武術には技をかけられた相手の経絡を刺激し、病気を治す医療行為にもなる


 なるほど、勉強になります。その側面に関しては無知でした。
 強い作用を持つ薬物が薬にも毒にもなるという話と共通構造を持っているようにも思えました。

 また受け身の動作自体も確かに複雑です。身体強化の観点から、今にして思えばもしかしたら普段使わないインナーマッスルトレーニングとかにもなっていたのかもしれません。奥が深いですね。

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