知らず知らずのうちに人の主体性を奪わない

category - オープンダイアローグ
2021/ 07/ 24
                 
前回の記事で、「統合失調症は主体性が失われた状態である」という私の見解を述べました。

今回はその一見突拍子もない私の意見と同じ見解を述べている方を見つけたので、まずはその方のコメントを紹介するところから始めたいと思います。



精神医学 2021年5月号(増大号) 精神科クリニカル・パール 先達に学ぶ 雑誌 – 2021/5/24
「精神医学」編集委員会 (編集)


精神医学63巻5号 2021年5月
私のクリニカル・パール 統合失調症について
小島卓也(医療法人社団輔仁会大宮厚生病院)


小島先生が書かれたこの論文の中には「統合失調症の基本障害は主体性の障害である」と明記されていたため、思わずこの本を衝動買いしてしまいました。
            
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統合失調症とは主体性が失われた状態である

category - オープンダイアローグ
2021/ 07/ 23
                 
以前より私はオープンダイアローグと哲学カフェの「対話」という手法の共通性に注目しています。

どちらも「対話」という手法が基本となって行われるもので、

何か特定の結論を導いたり、多数の意見の中のひとつに固めようと集約させようというのではなく、逆に集約させずに多様な意見を出し合い、その多様性に触れ合える環境を人為的に作り出しています。

要するに目的を持たない行いです。それだと開催する意味がないではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。

多様な意見に触れ合うことで、自分の新たな側面に気づかせるという狙いがあります。

目的と狙いは似て非なるもので、目的は「〇〇するため」ですが、狙いは「〇〇になればいいなぁ」といった感じです。

オープンダイアローグにしても、哲学カフェにしても、目的は持たないけど、何か起こることを狙うという意味でとても似ているのです。

ところがある人がこんなことを言いました。「オープンダイアローグは病気の人に対して行うもので、哲学カフェは健康な人に対して行うものです。同じ対話でも意味がまるで違いますよ。

・・・はたして本当にそうなのでしょうか。
            
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むきだしの主体性を見失わない

category - 主体的医療
2021/ 07/ 22
                 
「死」というものが私の身近な生活からいつの間にか切り離されてしまっており、

しかもそれを取り戻せなくさせる受動的医療の概念が私達の心を支配してしまっている構造について前回お話ししました

要するに「自分のせいで死なせてしまったと思われてしまうかもしれない」という不安に多くの人が耐えられないのです。

それもこれも病気というものを「何か自分以外の別のものせい」にさせ続けてきた西洋医学の概念の影響が大きいと私は考えています。

ところで以前、医師でジャーナリストの森田洋之先生がかかれた「うらやましい孤独死」という本を紹介させて頂いたことがあります。

在宅診療の現場において、誰にでも訪れる死への覚悟があって、しかも家族や施設介護者も皆そのことを理解している状況であれば、周りからみて「うらやましい」とさえ感じられる安らかな死を迎えることができるという、そんな話でした。

そのようなうらやましい死は「認知症」であっても成し遂げることができるということを本の中では実例をもって示されていたわけですが、

よくよく考えると、「認知症」であることは主体的な「死」を遂げるために非常に重要な要件であるように思えます。

なぜならば、「認知症」と呼ばれる方々の中には「むきだしの主体性」があるからです。
            
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死の権利を本人から奪わない

category - 素朴な疑問
2021/ 07/ 15
                 
私は本業のオンラインクリニックがまだまだ生計を立てられるような状態にないので、

別のクリニックで在宅診療のアルバイトをすることがあるのですが、コロナ禍で介護施設に入居する高齢患者さんの実情は大変なことになっていると感じています。

一言で言えば施設の「刑務所化」です。とにかく入居されている方の自由が制限されています。

コロナに感染するといけないからろくに外出することもできません。

コロナに感染させられるといけないから息子・娘・孫といった近しい家族との面会でさえ禁止されていたり、面会できたとしてもオンラインかガラス越しの面会といったような事態が慢性的に続いています。

勿論、介護施設の職員さん達は防護服をつけて必死だと思います。入居者の方を守ろうとよかれと思ってやっていることでしょう。

しかし、何かおかしいという気持ちを感じざるを得ません。

            
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コロナの不安・恐怖をコントロールするコツ【後編】

category - ストレスマネジメント
2021/ 07/ 10
                 
前回はコロナに感染する不安・恐怖を私がどのようにコントロールしているかについてお伝えしました。

今回はコロナに関する不安・恐怖の中でも、感染することそのものの不安というよりはその周辺環境、例えば「感染者」というレッテルを貼られることによる不安・恐怖や、コロナワクチンに関わる不安・恐怖について考えていきたいと思います。

具体的に考えるのは次の⑤〜⑧についてです。①〜④については前回記事をご参照下さい

⑤万が一でもコロナにかかろうものなら、村八分状態となってしまう恐れがある
⑥万が一でもコロナにかかろうものなら、職場や家族など関係各所にあらゆる迷惑がかかる
⑦コロナワクチンは副反応が出る可能性が高く、稀に若くして死亡する場合がある
⑧コロナワクチンを受けなければ、今の仕事が継続できなくなる可能性がある(いわゆるワクチンハラスメント)


⑤⑥⑧は自分が不安というよりは、「自分を取り巻く周囲の環境が激変することへの不安」と言ったところでしょうか。

⑦は新規ワクチンに関する予測不能性が不安・恐怖の源泉になっているように思えます。やはり「わからない」というのはやはり「不安・恐怖」を考える上でポイントになっているんですね。
            
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