シェアの精神

2017/06/15 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:0件

私がブログを始めてからやたらと本を読むようになったという話は、

これまでにもこの場で何度かお話ししたことがあります。

それが糖質制限を通じて様々な分野の勉強に興味を持つようになったからというのは一つありますが、

もう一つはブログをやっている状態で本を読めば、読んだ内容が自分のためになるだけではなく、

読んだ内容をまとめブログ記事という形で紹介する事で自分の頭の中も整理されますし、

なおかつその整理された内容を公開することで不特定多数の読者の方々にその内容をシェアすることができるというのが大きいです。

要するにブロガーにとって本を読む行為は自分の為であると同時に「他者貢献」ともなりうるのです。 こないだも、「断食をしていると女性の美しさが際立って感じられる」という私の感想を記事にしたばかりですが、

そんな中、いつものように近所の本屋をぶらついていると、

美人のしぐさとはどのようなものなのかという事について書かれた本が置いてありました。

私は男性ですし、通常であればこのような内容の本に興味は持ちにくい状況です。

しかし断食中の経験から、「人は何を持って美しいものを美しいと感じるのか」について興味を持ち始めた私は、まずこの本を手にとってパラパラとめくります。

ざっと見て面白いような面白くないような微妙な感じだったので、これだけではこの本を買うに至る動機としては弱いですが、

ここで私がブログをやっているということが効いてきます。この本をしっかりと読みこむことで美しいと感じる心について勉強して、

自分の経験や考えと照らし合わせて、もしも新しい見解を見出し、それをブログに提示することができれば、

もしかしたら誰かの何かの役に立つということがあるかもしれない。

よしんば見解をうまくまとめられなかったとしても、考えるきっかけを与えてくれた著者の方に感謝の意を込めてお金を出せばいい。

そう考えてその本を私は買うことに致しました。

もしも読んでみて面白いことがわかればまた、皆様にシェアさせて頂きますね。


ところで、私はよく「シェア」という言葉を好んで使うのですが、

その原点は私が後期研修医時代に勤めていたとある有名研修指定病院での経験に遡ります。

そこは研修医教育に大変な力を入れている病院で、院内ではさかんに勉強会が行われていました。

定期的に勉強会が開かれるのが当たり前の環境の中で、研修医自身も自主的にあちこちで勉強会を立ち上げているのが象徴的でした。

その教育方針の中核にあったのが、「シェアの精神」という言葉です。

自分達が勉強して準備した資料を勉強会に参加した人は勿論、

都合で勉強会に参加できなかった人達も後から資料が参照できるように、

院内のイントラネットにその資料をすべて公開して、誰もがいつでも見られるようにするシステムが充実していました。

今にして思えば、それは非常にアドラー心理学的な考え方で、共同体感覚というものを大変重要視していたように思います。

当時後期研修医であった私はその考えに非常に感銘を受け、その後自分の作った資料は決して独り占めしないスタンスを基本においています。

これがもし競争原理の中で生きていれば、自分が一生懸命作った資料をそう簡単に渡せないとか、

相手よりも一歩上に行くためにこの極秘資料は大事に隠し持っておく、などといった区別の意識が多かれ少なかれ生まれてくるであろうと思います。医療業界には特にそういう人多い印象です。

しかし、こと医学にまつわる知識は基本的に共有すべきです。

なぜなら、健康は自分らしい人生を生きるための土台の部分であり、これに関わる医学の情報を隠すことは誰かの健康を失わせることにつながり、

それはひいては自分の健康をも失わせることにつながりうるからです。

夏井先生も「医学の知識に著作権はない」という事をおっしゃっていたと思います。

私はこれからも、少なくとも自分が気づいたことに関しては、

この場を中心にシェアしていく姿勢を貫いていきたいと思います。


たがしゅう
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