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希望を持って生きること
本の分量として決して多い方ではない一方で、一見意味を理解するのが困難な表現も多く織り交ぜられているのですが、
それはこの本が書かれていた当時は戦時での言論統制が敷かれていたからだそうです。
その制限をかいくぐって、三木清がそれでもどうしても書き残したかった想いが書き残されています。
本の最後「希望について」語られる場面で、次のような一文が出てきます。
「人生は運命であるやうに、人生は希望である。運命的な存在である人間にとつて生きてゐることは希望を持つてゐることである。」
この言葉には私は非常に共感を覚えます。
世の中には難病と呼ばれる病気がたくさんあります。
難病と診断されれば、患者は医師から根治不能であると伝えられ、治らないことが前提での治療が始まります。
それによって多くの患者さんが様々なことを諦め、その制限された生活の中で何とか小さな希望を見出して日々を過ごしているのが実情ではないかと思います。
しかし制限されれば希望は小さくなります。希望が小さくなれば生きる喜びも小さくなります。
その制限はそもそも医師の常識とされる観念の中で定められた制限です。難病を根治させるという希望を持ってはいけないのでしょうか。
従来の常識の中で生きていくならばその制限を受け入れざるを得ませんが、常識の枠組みを外せばその制限を受け入れなければならない義理はないはずです。
私はかつてうつ病にかかり、この世のすべてが灰色に見えていた時代がありました。
そんな心境の中でいくら生きる希望を持てと言われても、その言葉は決して届かなかったはずです。でも今は違います。
常識を外すという考えは、えてして従来の集団の中にいてもわからないものです。
従来のやり方で治らないのであれば、従来にはなかったやり方を行って希望を見出せばいい。
そうやって生きていく方が、よほどその人らしく生きていけるのではないでしょうか。
そしてそれを自分で選択できたなら、その結果がたとえどうであったとしても、その人は立派に生きたと言えるのではないでしょうか。
仮に今、もしも私が何らかの理由で早死にしても、私は胸を張って生きたと言い切れますが、
もしも従来のうつ病治療を受け続け、希望も何も感じられないままの状態で、もしも長生きを成し遂げられたとしても、
それでは生きていないも同然かもしれないと私は思うのです。
生きることは希望を持ててこそではないでしょうか。
希望を持てずに生きている患者さんに、
糖質制限を通じて少しでも希望を与えられるように私はなりたいです。
たがしゅう
コメント
No title
「難病]
厄介ですね。しかし付き合って生きていかなければならない。どう付き合うか、思案中です。糖質制限だけでおとなしくしてくれていればいいのですが、そうもいきません。現在の心配は、検査の数値に合わせて増え続ける服薬の副作用ですね。
状態は、落ち着いいているが、副作用は知らないうちにと思うと恐ろしいです。
自分の体のメインテナンス、薬に頼らずにできたらと思います。
新天地でのご活躍期待しております。
2017-04-27 01:49 スマイル URL 編集
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
糖質制限は難病を克服するための基本ですが、残念ながらそれだけでは不十分な場合も多々あります。
しかし同時に糖質制限は、「身体にとって不要なものを取り除く」という大切な発想を私達に教えてくれていると思います。その考えを突き詰めれば、その先に難病を克服する鍵があるのではないかと私は考えています。
2017-04-27 06:29 たがしゅう URL 編集