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見えない努力もいつか伝わる
華々しく活躍している人がいる一方で、見えない所で頑張っている人というのはどの世界にもいるものです。
一番わかりやすいのはサンタクロースです。
幼い頃はプレゼントをくれるサンタクロースに皆多かれ少なかれ夢中になっている部分があったと思いますが、
その陰で実は頑張っていてくれたのは多くの場合、自分の両親だったのではないでしょうか。
私は小規模病院に勤めるようになってから一つ感じた事があります。
それは大学病院などの大きな病院にいるとあまり気が付かないことです。
大学病院で働く医師はしばしば、大学医局との関連病院での派遣の仕事を与えられます。いわゆるアルバイトです。
私も大学病院勤務医時代、様々な病院へバイトに出かけていました。
その中で医局員の中で俗に「寝当直」と呼ばれるバイトが時々ありました。
「寝当直」というのはそのバイト先の病院に泊まり込みの当直をするけれど、ほとんどコールされることがなく一晩を過ごす事ができる場合が多い当直の事をそう呼んでいます。
比較的安定した患者さんが多い回復期リハビリ主体の病院にそういう所が多いのですが、
大学からの派遣医師がそのように寝当直でいられるのは、その病院の全スタッフの努力によるところが実は大きいという事を私は最近強く感じています。
何もたまたまその病院が平和だというのではなく、
当直でわざわざ来てくれる先生に負担をかけないように最大限の配慮を皆が心がけているのです。
というのも私が今いる病院の常勤の先生は2人おりますが、
二人とも細かい指示をきちんと出しておられ、万が一何かあった時の対応、書類への記載方法まで詳しく書かれています。
今まで自分がここまでの努力ができていたかと言われれば私は自信を持ってはいとは言えません。そのくらい仕事がきちんとしているのです。
また看護師さんらコメディカルの人達も非薬物的アプローチを非常に細やかに実践され、夜間せん妄が起こった時なども少々の対応は自分達の中で処理できるよう一生懸命努力されています。
こうした縁の下の努力があってこそ、バイトの医者は寝当直でいられるということ、その有難味をはたして理解できていたであろうかというを私は振り返って考えさせられます。
これは見えない部分にも常に感謝をしなさいということではありません。
見えない部分への意識自体は必要です。しかし感謝せよともなればその対象は無数であり現実的ではないからです。
ここから学ぶ教訓は、「自分がやっている努力がたとえ人に認められなくともその事を哀しむ必要はない」という事です。
見ている人は見ているし、たとえ誰にも見られていなかったとしても、巡り巡って誰かの感謝につながると思うからです。
広く人類を共同体としてみるならば、別に誰の手柄であったとしても問題はないはずです。
そう思って自分のできる努力を地道に続けていきたいです。
たがしゅう
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