意図的か否かでは雲泥の差

2017/04/14 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:4件

糖質制限を広める事を難しくしているものに抵抗勢力と呼ばれる存在があります。

一言で言えば既得権益を持つ集団、糖質制限が広まることで今まで持つ利益を失う事になる集団です。

例えば一部の食品メーカーとか製薬会社とか糖尿病学会などです。

糖質制限が広まらないのはそうした団体らの陰謀だとする考え方がありますが、私は必ずしもそうとは思いません。

糖質制限を広めさせないように行動を起こしているというよりは、自らの利益を追求した結果、結果的に糖質制限を広めさせないような行動をとってしまっているという方が正確だと思います。

同じことじゃないかと思われるかもしれませんが違います。意図的なのとそうでないのとでは全然違うと思います。 例えば、交通事故では車の運転を誤って事故を起こしてしまった加害者は情状酌量の余地ありですが、

意図的に車をぶつけて事故を起こしたというのであれば重罪になります。

結果として同じ事が起こっていたとしても、それに至るまでのプロセスによって印象というものは変わってくるものです。


先に述べた団体達も意図的に糖質制限を広めさせまいと行動を起こしているわけではないと私は思います。

本質は既得権益を失うのを拒否していたり、欲望にかられてそう動かざるを得ない状況におかれたりしているだけだと思うのです。

誰だっていくら相手の言う事が正論であったとしても、今持っている自分の利益をただちに手放すのは嫌なことではないでしょうか。

欲望にかられてしまう場合も然りです。私だって糖質制限のことでなくとも欲望にかられて動いてしまう場面はあります。

それを誰かから悪い事をしていると指摘されても、すぐには受け入れがたい自分がいるのも事実です。

だから他人のことをそう強く言えない部分もあるのです。


一方でそれらの団体達の希望通りに、もしもこのまま糖質過多の社会が続いていけば彼らは幸せになるでしょうか。

その事で彼らが得た利益はどういう形で消費されるでしょうか。おいしいものを食べるでしょうか。贅沢の限りを尽くすでしょうか。

そうする事で自分自身が糖質過多による害やドーパミン神経系の虜になり、いつの間にか支配するのではなく支配される人生が待ち受けているという事にはならないでしょうか。

私は糖質制限を広める事は、長い目で見れば糖質制限が広まると困るという団体達をも救うことにつながると考えています。

勿論、一時的には既得権益を失う事による不幸を感じるかもしれませんが、

失った時に初めて気づく本当の幸せを見つけることができるのではないかと思います。

それは心身ともに健康であることを前提とした幸せです。

だから敵対するのではなく、人類の健康、人類の平和を目指して活動していく視点が重要と思います。

しかしもしも糖質制限の利点をわかった上で糖質制限を広めまいと意図的に活動している者がいるのだとすれば、

それは重罪に値する存在だと私は思います。


たがしゅう
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コメント

No title

2017/04/14(金) 07:31:51 | URL | たにぐち #lN6HqtXI
糖質制限に対する批判と無理解の状況をみるときに、いつも、ローマ教会が正式に天動説を放棄したのが、ガリレオの死後数数百年後だったという事実を思い出します。
日本では既得権益を持つステークホルダーの存在以外に、コメ(≒主食)中心の食生活に対する宗教にも近い精神構造があるのではないでしょうか。
例えば、アメリカではグルテンフリーダイエットに対して、日本での糖質制限に対するようなヒステリックな批判はないような気がします。
時に感情が論理を圧倒するように、宗教も科学と対立しがちですね。

Re: No title

2017/04/14(金) 09:09:02 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
たにぐち さん

 コメント頂き有難うございます。

> 時に感情が論理を圧倒するように、宗教も科学と対立しがちですね。

 以前、鎌倉時代の宗教書、歎異抄を学んでいた際に、
 解説の先生が「宗教は実はものすごい凶暴性や暴力性を内包している」という事をおっしゃっていました。
 その時はオウム真理教の例が引き合いに出されていましたが、今の日本人の大勢を占める米中心の思想にも通じる所があるかもしれません。

 もともと宗教も科学も、わからない事をわかろうとするためという意味では出発点は共通しています。
 その対象が宗教は見えないものをわかろうとし、科学は見えるものをより明確に見ようとするという違いはありますが、
 その過程の中で時に道を見失い、どちらかが、あるいはどちらもが暴走してしまう事が起こり得るのかもしれません。

No title

2017/04/14(金) 18:07:28 | URL | SLEEP #JHiVQ306
scienceの語源は切り刻むだそうです。つまりできるだけ客観的に誰にでも判りやすく噛み砕くことこそ科学です。キリスト教が科学に重大な貢献をした、というかつい百年ちょっと前までキリスト教の一分野として科学が発展したのでしょうけど、どうしても神様とかマリア様の処女受胎の部分がわかりやすくできなかったんでしょうね。世俗化に失敗したと言うべきか。

ですから糖質制限を広めるには徹底的に噛み砕いて判りやすくすることこそ近道であると思います。急がば回れで焦らずいくのがいいでしょうね。

Re: No title

2017/04/14(金) 20:38:27 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
SLEEP さん

コメント頂き有難うございます。

科学で細かく噛み砕く必要性はわかりますが、砕き過ぎて全体が見えなくなるリスクにも配慮する必要があります。
糖質制限は科学的に解き明かしていくのがよいですが、ヒトそのものは科学だけでなく、哲学や宗教もバランスよく取り入れて理解を試みていくのがよいと私は考えています。

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