Post

        

新しい事が批判されるのは世の常

category - お勉強
2017/ 04/ 05
                 
昨日に引き続き、足立美術館訪問で感じた事を書きます。

この美術館の創設者、足立全康氏が惚れ込み美術館創設の原動力となった横山大観という人物、

正直言って私は今回こちらを訪れるまで名前をちょっと聞いたことがあるレベルの知識しかなくて、

具体的な作品名は何も思い浮かばない程の素人ぶりだったのですが、

今回学んでみるとこれが実に興味深い人物だという事がわかったのです。

まずは横山大観という人がどんな人物なのかをざっくりと説明してみます。
            

横山大観は明治元年(1868年)、茨城県水戸に生まれ、

明治22年東京美術学校の第一期生として入学し、橋本雅邦、岡倉天心らの指導を受け、美術の才能を開花させていきます。

卒業後は母校の助教授となり、明治30年に出世作「無我」という作品を発表しました。

館内にはこの作品が展示されていたのですが、非常に心打つものがありました。

というのも、描かれているのはただ単に純粋無垢な童(わらべ)の絵なのですが、

そこには無の境地を示す仏教の根本思想を、無心なこどもの姿で表すという意図があり、

その絵に描かれるなんとも言えないけがれのない視線に心を動かされる自分がいました。

大人になると打算とか作為とか思惑とか、いろいろ複雑なしがらみにどうしてもとらわれていってしまいますが、

最初はみんなこの純粋無垢な童からスタートしているのだという事を思い起こさせられます。

思わずこの作品の色紙をショップで購入してしまいました。


さて横山大観はこの作品を皮切りに順風満帆な人生であったかと言えば決してそうではありませんでした。

当時の美術界は保守的で新しい創作に対して容易に認めないところがあったようです。

そんな中、明治31年に師匠の岡倉天心が学校を辞めるのに大観も付いていき、日本美術院という施設をともに創設し、新しい美術作品の創作に取り組みました。

そして線を使わずに絵の具の濃淡によって境界を分け、独特の雰囲気を醸し出す方法を編み出しましたが、

当時の美術界からは「朦朧体(もうろうたい)」だとか「妖怪画」だとか罵倒され、決して受け入れられることはなかったのだそうです。

なんだか新しい食事療法である糖質制限とそれを受け入れない日本糖尿病学会と構造が似ていると思いませんか?

それから時を経て最終的には大観の編み出した「朦朧体」は美術表現の一つのスタイルとして定着しているのだそうですから、

私達、糖質制限実践者としても大いに勇気付けられる話ですね。

その後も大観は様々な美術作品を世に発表し、足立美術館にはその内のかなりの部分が所蔵されているのですが、

いずれも美術家としての信念を感じる力強い作品です。

それぞれの作品の魅力は文章で書くより見てもらった方が伝わると思うので、皆さんも機会があれば是非御覧になって下さい。

横山大観に関して私が注目した点は実はもう一つあります。

長くなるのでその話は明日の記事で紹介したいと思います。


たがしゅう

関連記事

            
                                  

コメント

非公開コメント
        

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます