快を感じる医療は適切とは限らない

2017/03/28 00:00:01 | 読者の方からの御投稿 | コメント:2件

ブログ読者のSLEEPさんより次のようなコメントを頂きました。

今の医療というのは長く生きることに特化していて楽しく生きることに対応してないですね。

良薬は口に苦し、と言いますが口に苦いのが良薬と言うわけではないでしょう。

病気になったら真面目に人生を送れ、即入院、手術だ、全力でリハビリだ、禁酒、禁煙なんて当たり前だというのもね、苦しい闘病をさらに苦しくしてどうするんだと思います。


胃瘻、人工呼吸器、気管切開、中心静脈栄養などと、

現代医療は延命治療の技術をかなり発達させてきました。

私も神経内科医としてそういう処置がなされる患者さんをたくさん診て来ました。

個人的には苦しいだけの延命治療は施す側の自己満足になるだけの思いがあるため、あまり実施したくない処置なのですが、

家族の希望や状況、ひいては病院の診療指針などを踏まえると、延命行為を勧めざるを得ない状況があるのです。 しかしこうした治療を受ける人達が幸せそうだと見える場面はほとんどありません。

多くは寝たきりで口を開けっ放しで意思疎通もできなくなったような脳梗塞や神経難病の患者さんで、

ただ単に栄養が送られ、呼吸がなされ、淡々と生命を維持しているという姿であることがほとんどです。

それでも家族によって生きている事に価値があるのだと言われれば、私にその価値観を否定する事はできませんが、

何かが違うような、何かが歪んでいるような違和感は隠し切れません。


そうした医療の歪みを見直すべく、これから新しい医療を構築していこうとするなら、

SLEEPさんが指摘されるように、ただ長生きさせるだけの医療から、楽しく長生きできる医療へとシフトさせていく必要があると思います。

ただここで考えなければならないのは、「楽しいことは身体にとって良いことなのか」ということ、

その逆に、「楽しくないことは身体にとって悪いことなのか」ということです。

例えば、タバコを吸う事は喫煙者本人にとっては大きな楽しみ、言い換えれば「快」となります。

快であるが故に依存し、止められなくなるからです。そしてこうした依存形成の背景にはドーパミン神経系の働きがあります。

きっかけは何にせよ、ドーパミン神経系が刺激されれば、その行為を繰り返すように身体が仕向けられます。

その行為がタバコを吸うという行為である場合、強烈な酸化ストレスが生み出され、多くの場合それが処理できずに様々な疾患の温床となってしまいます。

糖質頻回過剰摂取にもこれと同じ構造がありますし、これが様々な病気に関係しているという事は糖質制限を学んだ人なら異論のないところだと思います。

それ故、快であることは必ずしも健康につながるとは限らないということになります。


一方で不快であることは常に健康に悪いことでしょうか。

例えば風邪の症状を考えてみます。風邪をひいたことがある人は皆わかるようにあの症状は不快です。

しかしその症状の本質は上気道の炎症であり、それが何のためにあるかと言えば、「傷んだ上気道を修復するため」です。

つまり風邪症状は不快ではあるけれど、それを乗り越えれば健康にとって役に立つことにつながるという事になります。

もっと広く捉えれば炎症というものそのものは不快ですが、それが適切に作動している限りは身体にとっていいことです。

問題となるのは炎症が制御できなくなる事であって、この時はじめて炎症は「不快でかつ健康に悪いこと」へと変貌します。

すなわち、真の健康を考える上で快か不快かという判断基準だけでは不十分ということです。


では真の健康を考える上で、快・不快以外に考慮すべき事はなんでしょうか。

それは「客観性」ではないかと思います。

言い換えれば、「傍からみて誰が見てもこの人は健康な方向への向かっているという他者からの評価」です。

これからの医療は医師主導ではなく、患者主導であるべきだと私は考えています。

患者自身が自分の健康について真剣に考え、医師はあくまでその考えを助けるサポート役に徹します。

そして患者が自分の考えを実行に移すにつれて、間違った方向へ向かっている事に医師が気付けば、直ちに正しい方向へ向かい直せるように軌道修正します。

患者と医師の方向性が異なる場合は議論し、方針をすり合わせます。主観と客観の方向性が一致すれば、それは多くの場合正しい方向へと向かうという事になるのではないでしょうか。

ただし、この方法だと患者も医師も大間違いで一致した場合にも、軌道修正されずに進んでしまうリスクもあります。

そしてその大間違いこそが、現代医療の現場でよく見られる構造なのではないかと思います。

なぜ大間違いで一致するかと言えば、患者が自分の意志決定を放棄して、全て専門家と称する医師に治療方針を丸投げしてしまい、

その丸投げされた医師の多くが間違った治療方針に固執し、それを正そうとしていないからです。

快/不快は確かに新しい医療を考える上で大事なことです。

しかし、それだけで決めるのではなく、その先をきちんと見通せる先見性を鍛え、

自分にとって本当に良い治療方針は何かという事をきちんと自分の頭で考えること、

そしてその意見を聞いて適切に助言ができる医師のサポートを受けること事ができる体制を整えるべきだと思います。


たがしゅう
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コメント

No title

2017/03/28(火) 12:46:33 | URL | 花鳥船月 #v8QjPvAY
いつも興味深く読ませていただいてます。
通院歴10年の身、医師主導ではなく患者主導、最近よく考える事です。
スーパーではないですが糖質制限しています。薬やインスリンに合わせた食事をすることもあり本末転倒では…?とも思います。
前回の通院時、話の行きがかりで、「どうしたいの?」と呆れた感じで聞かれました。私はどうしたいのかな、実はこれこそが治療のスタートなのかもと思い始めています。こちらの思いを伝えるのも大切なのでしょうね。
今回の内容でいいきっかけをいただきました。

Re: No title

2017/03/28(火) 13:08:49 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
花鳥船月 さん

 コメント頂き有難うございます。

 他ならぬ自分の身体のことです。
 決して人任せにしてはいけないと私は思います。
 たとえわからなかったとしても、わからないなりに自分の頭で考え続ける事が大事だと思います。

 2014年12月21日(日)の本ブログ記事
 『「素人だからわからない」は言い訳』
 http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-519.html
 も御参照下さい。

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