自分の中の欲と真剣に向き合う
2017/02/19 00:00:01 |
ふと思った事 |
コメント:6件
とある海外の大企業のトップが政治家に賄賂を贈ったとの疑いで逮捕されたというニュースを耳にしました。
疑いという事なので、真偽の程は定かではありません。しかし、私がこういう話を聞いていつも思うのは、
「お金への欲望は際限がなく、しばしば人間をダメにする」ということです。
より多くの欲を満たそうと邁進するのではなく、少しの欲で満足するということ、
何か商売をするにしても儲けに走るのではなく、他者貢献を第一義におくということがとても大事な事であるように思います。
大ヒット映画、「君の名は。」をプロデュースした川村元気さんの言葉が妙に頭に残ります。
「死、お金、恋愛、この3つは人間にコントロールできないものである」
金銭欲にまみれたくないとは思いますが、お金がないと生きていけないというのも事実です。
そのはざまで悩みながら少欲を心がけていきたいと思いますが、
例えばもしも、宝くじが当たって10億円急に手に入ったという状況が訪れたら、自分は少欲を守りきる事ができるでしょうか。 ひょっとしたら、これだけお金があるのなら良い家に住もうとか、良い車を買おうとか思ってしまうかもしれません。
今の生活でたとえ不自由がなかったとしてもです。そこに落とし穴があります。
川村さんが言った3つの要素のうち、「お金」と「恋愛」がコントロールできない最大の理由は自分のエゴにあるのではないかと思います。
良い暮らしがしたい、良いものが欲しい、素敵な恋人と付き合いたい、一緒になりたい・・・・
全部「私は」を主語にした、自分自身の中にある根源的な欲求です。
ヒトに限らず動物は本質的に楽を求めているような気がします。
動物が頑張らなければならない状況は、他の動物に襲われるなど基本的に必要に迫られた状態です。何も好き好んで頑張りたいわけではありません。
頑張らなくて済む状況を手に入れるために、動物は様々な策をそれぞれ練ってきました。
オスという危険行動を求める種を産み出して、生命の本質であるメスにとってより安全な状況を産み出す戦略を作ったのもその一つです。
根源的に楽を求めているからこれらの欲に対抗できないという仮説はどうでしょうか。
例えば素敵な異性に出会ったとして、
その人に好意を寄せたけれども、もしも自分の身近にいる別の誰かとすでに付き合っていて幸せそうにしていた事がわかったとすればどうでしょうか。
本当にその異性の幸せを願うならその状況を歓迎すべきなのに、なぜ嫉妬の感情が沸き起こるのでしょうか。
それは相手に幸せになって欲しいのではなく、「自分が幸せになりたい」と思っていてその夢が打ち砕かれるからではないでしょうか。
自分が幸せになるための条件は、何も遠くにあるものではないように思います。
たくさんのお金を手に入れる事でもなく、素敵な異性と結婚する事でもありません。
自分の内側に潜む根源的な欲求とどう向き合い、どのように捉えるかという事にかかっているように思うのです。
せっかく人間として生まれた幸運があるのだから、
人為でもって己が欲求に立ち向かえるようになりたいです。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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少欲のこと
性欲について、我々は男女の性行為から生まれてきたことは、どうしても否定出来ないのが事実です。
異性にモテたい=性欲の肯定、についてどう理屈を捏ねくり回しても結論は性欲の肯定に落ち着くと考えます。異性にモテたいを性欲と切り離せば、別の論理が成立するかもしれません。
金銭を含めた所有欲は、ルールや秩序を成立させる重要な社会的要素です。
禅の有名な公案に「父母未生以前の自己如何」というのがあります。父や母が生まれ、出会い、性交渉もしていない時点で、お前の存在を考えてみよ。という無茶振りを師匠から与えられて、ウンウンと頭を捻る。たがしゅう先生の少欲のススメにはこの公案に通じる難しさ(求道者のストイックさ)を感じました。
じゃ、お前はどうなんだ?と訊かれれば、所有欲や性欲にのたうちまわる自分を肯定する=許してやる。と答えます。
楽が幸せ?
人間、楽な方に流されるとよく言われますし、確かにその傾向はあると思います。
只、これは今の状況が楽でないから、楽であることに魅力を感じるのではないでしょうか?
宝くじで10億円当たって毎日楽な生活をしている人にとって、楽な生活は苦痛にすらなりえると思います。
欲望に従って行動することを「思い通り」と勘違いする人がいますが、カントは「欲望の奴隷になっている」だけだと言っています。
人は最終的には幸せになりたいのだと思いますし、それは無いものを求めるのではなく、今あるものの「有難さ」に気づくことではないでしょうか。
Re: 少欲のこと
コメント頂き有難うございます。
欲求はそのものは御指摘のように肯定するより他にありません。
しかしヒトならではの秩序を保つためには欲求に人為を加える必要があると私は考えます。
人為は必然的に「不自然」ですが、「不自然」=「悪」ではなく、適切な「不自然」とでも言える領域があるように思うのです。
「歎異抄」について学んでいた時に、
『仏様が最終的には全ての人間を救って下さる(→欲望に捉われても大丈夫)、
だからと言って、どうせ救ってくれるからと悪行の限りを尽くしてはいけない(→他者を顧みず欲望の赴くままに生きてはいけない)』という趣旨の話がありました。
適切な人為を加えた理想の生き方には、どちらにも着地させてもらえない難しさがあるような気がします。
Re: 楽が幸せ?
コメント頂き有難うございます。
> 今の状況が楽でないから、楽であることに魅力を感じるのではないでしょうか?
それを仮に生物が持つ根源的な欲求だと仮定しますと、
金銭欲に際限がなくなっていく人達の様子を見ているとここに起因しているように思うのです。
即ち自分の欲求に対する「無頓着さ」です。問題は何が楽か楽でないかは主観によって決まるという事です。それゆえ無頓着さは致命的になるのだと思います。
> 人は最終的には幸せになりたいのだと思いますし、それは無いものを求めるのではなく、今あるものの「有難さ」に気づくことではないでしょうか。
その通りだと思います。
私が好きなアドラー心理学の教えでも、「人は今この瞬間から幸せになる事ができる」というものがあります。理想論とも捉えられかねませんし、実際にはそうはいっても幸せだとは到底思えないという状況もあると思いますが、本質をついている言葉ではないかと思います。
自由
今回のテーマを読んでいますと、先日の”自由”を思い出しました。自分の中の欲に振り回されていては自由に生きているとは言えないのだと思います。欲と向き合い、自分を律することが大切だと思います。
言うは易し、そういう人間になることは難しいと思いますが。
Re: 自由
コメント頂き有難うございます。
自由というのはなかなか辛く、厳しいものですね。
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