自然に対する征服欲を慎む
2017/01/25 00:00:01 |
ふと思った事 |
コメント:2件
冬が本格化し日本海側を中心に大雪となっています。
私の住む地域でも近年稀に見るほどの大雪です。私はもともと基本的に徒歩通勤なのですが、
雪が積もりに積もって膝上くらいの高さまで立ちはだかり、勤めている病院まで行くのにも一苦労です。
こう大雪だと患者さんの方も病院に行くのを敬遠する傾向があるようで、予約を延期する患者さんが続出しています。
結果雪の日の外来業務はいつもより少し楽であったりするのですが、その予約延期のしわ寄せは後日別の日にどっと押し寄せる事はわかっているので心から喜べません(^^;)。
さて、先日の地震の時にも思いましたが、私はこうした自然災害で交通網が麻痺したり、生活スタイルを変えざるを得ない状況におかれる事を経験すると、
自然をコントロールしようとする発想がいかにあさはかなものかという事を痛感させられるのです。 大雪、地震、雷、津波などの大災害を前にすると、ただただ自分の無力さを痛感させられます。
太古の昔の人々がこうした現象を神に置き換えて理解しようとした気持ちもわかるようにも思うのです。
災害が起こるのを人の力で何とか何とか防ごうという発想に無理があるというのなら多くの人に理解してもらいやすいと思うのですが、
人体というミクロコスモスに起こった病気と呼ばれる現象を薬や手術で人為的にどうこうしようとする発想も、自然に人為で抗うという意味では構造は同じではないかと私は思います。
自分が何らかの人為を加える事によって病気を完全にコントロールしようとする発想は、
何らかの人為を加える事で、雨や雪や地震が起こらないようにしようとする発想の愚かさに通じるものがあると思うのです。
仮に科学が発達して何らかの人為を加える事で、例えば地震が起こらなくすることができるようになったとしても、
加えた人為によって自然に歪みが生じて、地震とは別の新たな問題が発生するであろう事は私には容易に察しが付きます。
さりとて薬を使って病気が良くなっている事だって実際あるではないかと思われるかもしれません。
私は自然に人為を加える事自体を否定しているわけではありません。慎まなければならないのは「人為を加えて完璧にコントロールしようとする発想」です。
何が違うのか、と思われる方にお伝えしたいのは私の診療に対する基本的な考え方です。
私は西洋薬を含めて薬を使わないわけではありません。薬絶対主義には批判的ですが私も薬は使います。
しかし薬はあくまでも一時的な使用に留めるべきだと思っています。ずっと薬を使い続けるのではなく、いつかは薬がゼロになる方針で努力を続けるのです。
間違っても「自分の出している薬のおかげで病気をコントロールしている」とは決して思わないという事です。
むしろ薬でとりあえずの時間を稼いでいる間に、本来の自然の働きが戻ってくるのをただ待ち続けるというスタンスです。
これを自然災害のケースで例えるなら、大雪で身動きが取れない状況の中、長靴や防寒具、スコップで雪かきをすることで時間を稼いでいる間に天候が戻るのを待っているようなものです。
間違っても長靴や防寒具、スコップを用いる事で自然をコントロールしているとは思わないということです。
自然災害は神の仕業なんて言うと非科学的でうさんくさくなりますが、
「神とは自然に訪れる大きな流れのようなもの」と理解すれば、神は実在するように私には思えるのです。
そして神と呼ばれる自然の大きな流れには極力逆らわず、適量の人為を利用しつつも基本的には自然のありのままの在り方に身を任せるということ、
それこそが全てに通じて大切な考え方ではないかと私は考えます。
その実践のために学ぶべきことは、
まだまだたくさんあるように思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
自然と共に
大雪で大変ですね。
「里山」という言葉がありますが、私はこの言葉の響きが好きです。人間が自然の中に「住まわせてもらっている」という謙虚な姿勢を感じるからです。
実際に、里山に住んでいる人からは、自然をコントロールしようというような雰囲気を感じることはあまりありません。
一方、私の住んでいるあたりでは、近年、沢山の森林が伐採され、あちらこちらに太陽光パネルができてしまいました。あたかも自然が自分たちの「所有物」であるかのようです。
しかし、この考え方こそが危険であって、いつかそのしっぺ返しをくうことになると思います。
人間の体こそが自然であり、それを意のままにしようとしても、病気になるだけです。
「体がついてこない」などと言いますが、「体の声を聴く」姿勢が何よりも大切だと思います。
Re: 自然と共に
コメント頂き有難うございます。
> 人間の体こそが自然であり、それを意のままにしようとしても、病気になるだけです。
同意見です。
昔の人はおそらく自然に対する畏怖の念が自ずと生まれていたと思われますが、
近代になり、科学が発展し自然を「理解したような気になった」事が、そうした想いから人間を遠ざけさせたようにも思えるのです。
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