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構造が崩れればうまくいかない
構造をそのまま活かす事の重要性を感じさせられます。
自然界にある因子から組み立てられたできた「構造」で、しかも現在まで残っているものには何らかの妥当性があると考えられるからです。
西洋医学を中心とした現代医療は専門分化の連続の歴史でした。
循環器、呼吸器、消化器、神経、内分泌・代謝、血液、腎臓、アレルギー、膠原病、免疫、感染症などの領域から、
さらに循環器の中でもカテーテルの専門家、不整脈の専門家、心不全の専門家という感じで細かく分化していき、それぞれの学会や専門医が生まれていきました。
専門分化が進み国民の健康は向上していったのかと言えば、現実は全く逆でした。
専門だけしか診られないいわゆる「専門バカ」とも言えるような医師ばかりが増えてしまったのです。
私もかつてまだ医師経験が浅い頃、肺炎か心不全か迷うような症例と出会い、
肺しかみられない肺炎の専門医と心臓しか診られない心不全の専門医へ相談した時に、互いに「自分の病気ではない」という患者のなすりつけ合いで板挟みに合って辛い想いをした事があります。
そうした専門分化で専門医医中心主義の問題が見直されるようになり、
近年ようやく何でも診られる事を基本におく総合診療医の存在価値が認められるようになってきたわけです。
この事は医者という職業の「構造」が分解されて構造の機能が正しく発揮されなくなった結果起こった、いわば「逆構造主義」によって引き起こされた弊害なのではないでしょうか。
また同じような事は薬についても言えます。
西洋医学ではさまざまな病名は存在しますので、病名に応じて使用する薬が違ってきます。
高血圧症に降圧剤、脂質異常症にスタチン、糖尿病にインスリン、花粉症に抗アレルギー薬、腰痛症にNSAIDsといった形で病気の数だけ薬が増えていく場合がほとんどです。これはポリファーマシーと呼ばれる問題の温床となっています。
一方で使用される西洋薬の成り立ちを考えてみると、
もともと西洋薬は、漢方薬のような複雑な超多成分系の薬からその中で突き詰めて単一の成分に絞って抽出されてできたものです。
という事はポリファーマシーで問題になる多くの薬は、一つひとつが構造を分解され尽くされた「逆構造主義」の成れの果てではないかと思うのです。
逆に「構造」を「構造」のまま用いる漢方薬、しかも基本的には1剤を中心に使ったとしても2~3剤に留まる事が多い漢方診療のスタイルは「構造主義」を大事にしている診療スタイルであるようにも思うわけです。
そして糖質制限食も人体の栄養素組成を考えた時に「構造」を大事にしている事がわかります。
これをみれば人体において重要なのは、水分、脂質、タンパク質であって、
それ以外はわずか、炭水化物に至ってはごくわずかしか必要ないというのが人間の構造だという事がわかります。
このように「構造」というものを意識することで、
本来のあるべき姿を推定しやすくなるという事があるように思います。
構造を崩す西洋医学をベースとした現代医療の介入は、
必要最小限にとどめなければならない事を強く感じる次第です。
たがしゅう
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