情報の非対称性に気付く

2016/12/29 00:00:01 | お勉強 | コメント:0件

何か大きな買い物をしてしまいやすい年末年始のこの時期に、

NHKEテレの「オイコノミア」という番組で先日、「ウマい話にだまされない経済学」と題した内容が放送されていました。

詐欺の構造がわかりやすいドラマで表現され、経済学の観点から詐欺にだまされないようにするためのポイントが提示されていました。

まず詐欺の根本的な原因には「情報の非対称性」があるというのです。

つまり一方は知っているけど、他方は知らないという状況が詐欺を生み出す温床になるという事です。

番組の例では付き合っている恋人が父親の会社が倒産して借金を抱えてしまったという理由で700万円貸してほしいというのを涙ながらに訴えられるミニドラマが紹介されていました。

しかし実は恋人が言っている事は嘘で父親の会社は存在せず、700万円の借金も存在していません。けれど言われた本人はその事を知りませんので、ここに情報の非対称性があるというのです。

まずだまされないようになるための基本として、この情報の非対称性を意識する事から始める事が勧められていました。 具体的に言えば、何かウマい話を聞いた時に「相手だけが知っていて自分だけが知らない情報があるかもしれない。そんな話は嘘かもしれない」と思うようにせよという事です。

またこうした事を考える時の基本指針として「経済的合理性」を意識せよという事も言われていました。

「経済的合理性」とは、「最大の利益を得るために効率的な方法を理詰めで考える」ということです。

例えば、もしも株での安易な儲け話を投げかけられたとしたら、そんなおいしい話が容易に流出するのは合理的に考えておかしいと考えて、その話には裏があると考えるようにするのです。それだけでも大分だまされにくくなります。

番組の中ではほかにも「損失回避行動」「保有効果」「サンクコスト(埋没費用)」というキーワードが出てきました。

損失回避行動」とは、人間は何かを手に入れる喜びよりも何かを失う苦痛を大きく感じるためなるべく失う事を避けようとすること、

保有効果」とは、人間が保有しているものの価値を高く見積もること、手放すことに抵抗を感じるということ、

そして「サンクコスト」とは、すでにつぎ込んでしまい回収できないコストのことです。

先ほどのミニドラマのケースで言えば、大事な恋人を失いたくないという「損失回避行動」がだまされやすさを生み、

恋人に「愛している」と連呼される事で自分にとっての彼女の価値が「保有効果」で高まってさらにだまされやすくなり、

そして今まで彼女に費やしてきたお金や時間という「サンクコスト」がもったいないと感じてしまって、その恋人と離れるべきという冷静な判断ができなくなってしまうというわけです。

経済学的には経済的合理性が低い事であれば、サンクコストは容赦なく損切りすべきという事を勧めています。

だまされないようにするための合理的な思考方法のコツを教えてもらって参考になりました。


さて、この話を受けて現在の医療における一般的な医師‐患者関係を見つめてみたいと思います。

まず医師と患者の間には医療情報という点で決定的な情報の非対称性が存在しています。

ですが医師は詐欺師ではありませんので、当然患者をだまそうという意図は存在していません。

しかしながら医師の誤算によって意図しない所で患者の希望する方向性からはだまされてしまうという現象はしばしば起こりえます。

例えばカロリー理論に基づいて診療する医師は、カロリー理論の根底からの非論理性に気付かないが故に、結果的に患者を健康から遠ざける事をしてしまいかねません。

だます意図はないので詐欺の定義には相当しませんが、仮に「疑似詐欺」と捉えて患者がこれにだまされないようにするためにはどうすべきでしょうか。

経済的合理性を考えるならば、ここで言う最大の利益は「症状の改善」という事になると思います。

「症状の改善」が得られない治療であれば、そこに合理性はあるのかと疑える余地がまず生まれます。

また逆に「症状の改善」が薬で得られた場合、疑う姿勢がなければ薬によって得られた改善効果を手放したくないという「損失回避行動」を生じます。

そしてそうした事を繰り返せば薬の持つ価値というものが「保有効果」によって高まり、どんどん薬が手放せなくなっていく構図になっていきます。

加えて薬を処方してもらうにもお金がかかります。薬での治療期間が長くなればなるほど多くのお金を費やす事になり「サンクコスト」はどんどん高くなっていきます。

この構造に経済的合理性があるかを冷静に考えられるかどうかが大事です。合理性があると考えればこのまま続ければいいですが、

合理性がないと考えればサンクコストを手放す決断をしなければなりません。つまりだまされないようにその薬を止め、その薬を出す医師から離れるのです。


情報の非対称性には意図的にせよ非意図的にせよ人がだまされる余地があるという事は知っておいて損のない考えだと思います。

情報の非対称性を理解しながら相手にそのまま委ねるという事は、誤解を恐れずに言えば「だまされても仕方がない」状況に自分をおくという事になってしまうと私は思います。

けれど情報は非対称で自分は不利な状況にあるという事をまずは自覚する。しかしそこで行われる事が合理的かどうかを常に自分の頭で考える事によって、だまされるに相当する不合理な状況を回避する事ができます

詐欺師は意図的にだますので、だまされた人がそれに気づいた時点で消え去ってしまっておりクレームの一つ言えませんが、

医師の疑似詐欺は意図的ではないので、だまされたような状況になった患者は言おうと思えばクレームが言える状況におかれます。

しかしそもそも意図的ではないのですからだますだまされないと同じ構造でいがみ合うのは望ましい事ではありません。

けれど詐欺を防ぐのと共通の構造を知り、そもそもクレームが生じないように患者側が賢くなれば、

たとえ医療者が意図しない過ちを冒したとしても、双方が望まない結果にならないように予防する事ができるのではないかと思います。

そして患者が賢くなるためには公平な情報を公開する事で、情報の非対称性を少しでも少なくする事が大事と思います。


たがしゅう
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