ナイチンゲールは本質を見ていた
2016/11/09 00:00:01 |
偉人に学ぶ |
コメント:6件
皆さんは、ナイチンゲールについてどれくらい御存知でしょうか。
私が医師の仕事をする時に大変お世話になる看護師さん、その象徴的存在がフローレンス・ナイチンゲールです。
ものすごく有名な人物ですが、恥ずかしながら私は医師なのにナイチンゲールの事はそんなに知りませんでした。
せいぜいクリミア戦争へ参加し、まだ看護が広く知れ渡っていなかった時代に、戦地で正しい看護学の基礎を創り上げた祖、といったくらいの認識です。
ところが先日、糖質制限を通じて知りあった先生から一冊の本を頂き、私は初めてナイチンゲールの思想について知る事になりました。
病いとかかわる思想【第2版】 単行本 – 2006/3/16
森本 芳生 (著)
その結果、ナイチンゲールは生命の本質に目を向けて病と向き合った偉大な人物であったという事がよくわかりました。 例えば、ナイチンゲールが書いた「看護覚え書」という本には次のように書かれている箇所があります。
(以下、引用)
看護とはこれまで、せいぜい与薬とかパップを貼ること程度の意味に限られてきている。
しかし、看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること―こういったすべてのことを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えることを意味すべきである。
[『看護覚え書』現代社 1863/2000:2-3頁]
(引用、ここまで)
この文章だけ読んでも、ナイチンゲールが看護というものを、
表面的な技術の集合としてではなく、病める人を健康な状態に戻すための本質的なアプローチに目を向けていたという事がわかります。
言い換えれば、「Do no harm」を重んじていたとも言えますし、自然治癒力に着目していたとも言えるかもしれません。
表面的な事とと言えば、この本にはこんなことも書かれていました。
(p16-17より引用)
【アトピー性皮膚炎をめぐって】
1993年、タイムリーな社会問題を扱うNHKテレビ「クローズアップ現代」で「なぜ増える・成人アトピー」が放映された。
そこにゲストとして登場した順天堂大学皮膚科学助教授(当時)の吉池高志は、アトピー性皮膚炎が以前より治りにくくなっていること、成人層に増えていることを「文明病」「現代病」という語彙を用いながら説明していた。
(中略)
生活文化に関心のあった私は、この「文明」、それを享受している私たちの現代生活に対してどのような変革への提言がなされるのかと期待して聞いていたのだが、それに関しては最後まで一切語られなかった。
結局吉池がいっていたことは「アレルギー反応を根本から押さえる新薬開発への期待」「信頼できるお医者さんをみつけ、自分で判断せず十分に相談すること」「ステロイド剤は上手に使うこと」であり、
最後には「必ず治ります」と力を込めて締めくくっていた。
大学病院の専門医が「必ず治ります」といってみたところで、私には白々しい言葉としてしか聞こえなかったのである。
これらのことをいうために「文明病」「現代病」などという大仰な言葉がなぜ必要となるのであろうか。
(中略)
「新薬開発」「信頼できる医者さがし」「薬の使い方」など、発病してからあとのことをいっているだけで、
これでは成人アトピーが増えている事態には何ら対応できないではないか。
(引用、ここまで)
著者の森本先生は教育学が御専門の先生で、医療関係者ではありませんが実に鋭い指摘です。
このアトピーの話に限らず、現代医学が病を治そうとするアプローチのほとんどが対症療法、すなわち表面的な対応に終始してしまっているのです。
森本先生が指摘するように、文明病が原因だというのなら、その文明のどこが問題で何をどうすれば治療につながるのかという事を言わないといけないはずなのに、
原因の問題を置き去りに対症療法の選択肢だけをやたらと発展させてきたというのが現代医療の本質とも言えるかもしれません。
しかしナイチンゲールは湿布を貼るような表面的な事ではダメで、もっと本質的な所に目を向けるべきだという事を肌で感じていた人だったのだと思います。
そしてナイチンゲールの方がテレビに出た偉い先生よりもよほど文明病の本質を捉えています。
文明が人類に利便性や快適性などと引き換えにもたらした病の原因たりうる負の側面、それが空気、光、気温、音、食事といった生命を育む本質的要素への悪影響だったと彼女は指摘したわけです。
そうした視点があったからこそ、彼女は換気や清拭、リネン類・寝具の取り換えといった今では病院看護の常識となった方法論を確立することができたのだと思います。
そう思うと本当に、医者よりも看護師さんの方がよっぽど病人を治していると思います。
単なる日常業務としてそれらの日々の看護を捉えるのではなく、「患者さんの治る力を邪魔しないために行っている行為」として捉えるとまた見えてくるものが変わってくるのではないでしょうか。
もう一つ看護師と言えば「白衣の天使」というキャッチフレーズがありますが、
この言葉はクリミア戦争の戦地で献身的な看護業務を統率して行ったナイチンゲールの働きぶりから、彼女が「クリミアの天使」と
呼ばれたことに由来したと言われています。
「天使」だなんて褒められたら普通の人なら喜びそうなものですが、彼女はそうではなくむしろそのようなイメージで見られることをあまり快く思っていなかったそうです。
それが証拠にナイチンゲールは「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」という言葉を残しています。
先日褒めることの罠について取り上げたばかりですが、
褒められようが、褒められまいが、何が正しいかを自分の頭で考え続けて既成概念を覆す新しい考えを広めていったナイチンゲールは、
歴史に名を残すべくして残した偉人の一人だと私は思います。
なおこの本にはそれ以外にも様々な勉強になる事が書かれています。
また折に触れ紹介していきたいと思います。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
http://www.stat.go.jp/teacher/c2epi3.htm
Re: No title
情報を頂き有難うございます。
「戦争で死亡するのは戦争での負傷でに決まっている」と決めつけずに、事実を下に新たな解釈を作り上げていったと。
ナイチンゲールが一貫して「自分の頭で考える人」であった事がうかがえるエピソードですね。
No title
> 「戦争で死亡するのは戦争での負傷でに決まっている」と決めつけずに、事実を下に新たな解釈を作り上げていったと。
昨年の夏ごろだったとおもいますが、東京新聞に次のような記事があったのを思い出しました。
「元日本兵の70年たっても消えない心の傷」
現在この記事は削除されていましたが、拾って下さった方がいて、以下引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アジア太平洋戦争の軍隊生活や軍務時に精神障害を負った元兵員のうち、今年七月末時点で少なくとも十人が入通院を続けていることが分かった。戦争、軍隊と障害者の問題を研究する埼玉大の清水寛(ひろし)名誉教授(障害児教育学)は「彼らは戦争がいかに人間の心身を深く長く傷つけるかの生き証人」と指摘している。(辻渕智之)
「自殺したい」「殺してくれ」「人の顔を見るのが嫌だ」など
元兵員の訴えが記録された国府台陸軍病院の病床日誌(コピー)
=「資料集成戦争と障害者」(清水寛編)から
本紙は、戦傷病者特別援護法に基づき、精神障害で療養費給付を受けている元軍人軍属の有無を四十七都道府県に問い合わせた。確認分だけで、入院中の元兵員は福岡など四道県の四人。いずれも八十歳代後半以上で、多くは約七十年間にわたり入院を続けてきたとみられる。通院は東京と島根など六都県の六人。
療養費給付を受ける元兵員は一九八〇年代には入通院各五百人以上いたが、年々減少。入院者は今春段階で長野、鹿児島両県にも一人ずついたが五、六月に死亡している。
清水氏によると、戦時中に精神障害と診断された兵員は、精神障害に対応する基幹病院だった国府台(こうのだい)陸軍病院(千葉県市川市)に収容され、三八~四五年で一万四百人余に上った。この数は陸軍の一部にすぎず、症状が出ても臆病者や詐病扱いで制裁を浴びて収容されなかった場合も多いとみられる。
清水氏は同病院の「病床日誌(カルテ)」約八千人分を分析。発症や変調の要因として戦闘行動での恐怖や不安、疲労のほか、絶対服従が求められる軍隊生活への不適応、加害の罪責感などを挙げる。
診療記録で、兵士の一人は、中国で子どもも含めて住民を虐殺した罪責感や症状をこう語っている。「住民ヲ七人殺シタ」「ソノ後恐ロシイ夢ヲ見」「又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル」「風呂ニ入ッテ居テモ廊下ヲ歩イテイテモ皆ガ叩(たた)キカカッテキハシナイカトイフヨウナ気ガスル」
残虐行為が不意に思い出され、悪夢で現れる状態について、埼玉大の細渕富夫教授(障害児教育学)は「ベトナム、イラク戦争の帰還米兵で注目された心的外傷後ストレス障害(PTSD)に類似する症状」とみる。
清水氏は「症状が落ち着いて入院治療までは必要のない元兵員が、偏見や家族の協力不足などで入院を強いられてきた面もある」と説明。また今後、安全保障関連法案が成立して米国の軍事行動に協力すると、「自衛隊でもおびただしい精神障害者が生じる」と懸念する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の記憶では、ベトナム戦争時(歳がバレル)、米軍が兵士にマリファナを支給(違法のはずだった)していたことは有名な話でした。
現在海外ではマリファナがPTSDの治療に有効という研究が進んでいるとのことで、少数ですが臨床試験も実施されてるようです。
先日の大統領選挙で、州単位でのマリファナの合法化の選挙も実施さあれました。結果は合法化の大勝だったようです。
選出された大統領と同じように「パラダイムシフト」は確実に進んでいるようにおもいます。(残念なことにアメリカでのことですが・・)
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
> 診療記録で、兵士の一人は、中国で子どもも含めて住民を虐殺した罪責感や症状をこう語っている。「住民ヲ七人殺シタ」「ソノ後恐ロシイ夢ヲ見」「又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル」「風呂ニ入ッテ居テモ廊下ヲ歩イテイテモ皆ガ叩(たた)キカカッテキハシナイカトイフヨウナ気ガスル」
> 残虐行為が不意に思い出され、悪夢で現れる状態について、埼玉大の細渕富夫教授(障害児教育学)は「ベトナム、イラク戦争の帰還米兵で注目された心的外傷後ストレス障害(PTSD)に類似する症状」とみる。
想像を絶する世界ですね。こうした症状に悩まされる兵士の方々はさぞや辛いことであろうとお察しします。
こうした世界が来ることを望みませんが、医療大麻が解禁されれば同質のPTSD症状に対する治療として新たな道が開ける事でしょう。日本での道のりはまだまだ厳しいでしょうけれど。
一方で罪にさいなまれる人々を宗教が救ってきたという側面もあると思います。『歎異抄』の「悪人こそ救われる」という言葉が身に染みます。
2016年4月20日(水)の本ブログ記事
「苦難を乗り越えるために」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-683.html
も御参照下さい。
ナイチンゲールの<do no harm>-その後
ここ3年ほど母親の付き添いで月一度経過など看てもらう以外、お医者さんと直接話をすることなどありませんので、貴重な体験をさせて頂けたことを感謝します。
また拙著を、このような場で取り上げて頂いたことにも感謝申し上げる次第です。糖質問題の「ト」の字も知らない頃の思索の一端で、恥ずかしさが多くありますが、当時の私の偽らざるレベルだということです。
かつて看護学の薄井坦子(ひろこ)氏の仕事に出会い、ナイチンゲールの読み方・活かし方を知り感動しました。若気の至りで、某看護学校の教育学15回の授業をすべてナイチンゲール看護論に割いて、周囲から顰蹙を買い問題視されたことなど懐かしく思い出しておりました。
くわえて戴帽式用「ナイチンゲール誓詞」の暗誦練習-精神主義に傾く傾向を横目で見ながら、「それもいいけど先にやることが・・・」などと、ナイチンゲール主義を自称する小生、言わなくてもいい事まで言っちゃったりしてきました。
『病院覚え書き』(1863)序文冒頭で、彼女の<do no harm>はこうです。
病院がそなえるべき第一の必要条件は、病院は病人に害を与えないことである、とここに明言すると、それは奇妙な原則であると思われるかもしれない。
It may seem a strange principle to enunciate the very first requirement in a Hospital is that it should do the sick no harm.
しかし、<この原則は是非とも最初に打ち出しておかねばならない>、と。
それから数年後、母方の従兄弟(H.B.カーター ナイチンゲール基金)宛の手紙(1867)では、21世紀を展望し、全ての病院・診療所が廃止されることを期待する、とまで書く事になります(M Baly 1997)。ナイチンゲールにとって、何はともあれ、人間が医療の対象とされる=客体化される場でもある病院は、社会発展の「中間段階」に位置する過渡的施設で、それは家庭での養生・看護によって乗り越えられていくのだと見定められていたからです(「病人の看護と健康を守る看護」1893)。
1980年代になって教育学も少なからず影響を受けた、I.イリッチ(脱病院化論・脱学校論)顔負けの革命思想だと思わずにはおれません。イリッチが紹介されていた頃、その空想性・観念性が、しきりとしたり顔の「研究者」によって「指摘」されました。
<否々、げんに、日本でも明治以降の食育・食養・断食等の民間健康運動があるじゃないか>
というのが、この度取り上げて頂いた本で主張したかったことの一つです。
いまにして思えば、そのハードルもかなり高いものでした。科学的主食論の欠落が大きな要因だったと思われます。しかし昨今の糖質制限食の広がりの中には、もちろん全てではないにしろ、確かな手応えを感じている次第です。
たいへん遅くなりましたが、お礼かたがた書き込ませていただきました。
またいつかお会いできる日を楽しみにしています。
Re: ナイチンゲールの<do no harm>-その後
コメント頂き有難うございます。
こちらこそ先日はお話を聞かせて頂き有難うございました。
あの本の何を恥ずべき事がございましょうか。本質を鋭く貫いた良書と私は感じました。
むしろ糖質制限の観点ない時代にも関わらず本質を見抜いておられた先生の洞察力に感服するばかりです。
ナイチンゲールがそんなにもすごい人であったことは浅学にしてその時初めて知りました。病院をなくすべきという発想は今の私ならよくわかります。その時代からナイチンゲールはちゃんと気が付いていたのですね。
そこを鋭く指摘され、その後に先生が糖質制限の流れに乗るようになったのも必然であったと私は思います。
まだまだいろいろとお話がしたいですね。
私のような異端の医者でよければ、是非またの機会にお会いしたく存じます。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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