ヒトは楽な環境には適応しない

2016/10/29 00:00:01 | 素朴な疑問 | コメント:0件

最後にもう一度、こちらの糖質制限批判記事について考えます。

【現代ビジネス】
2016.10.25
ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える
現代社会の特殊な価値観と構造
磯野 真穂
文化人類学者
国際医療福祉大学大学院講師


こういう文章を読む時注意すべきなのは、最初からすべて嘘だと疑ってかかるのではなく、

何が正しくて何が誤っているのかをきちんと見極めるべくフラットな目線を持って読むという事が大切だと私は考えています。

今回取り上げるのは記事のこの部分です。

(以下、引用)

糖質制限派の主張できわめて興味深いのが、その絶対的な根拠を原始時代に求めていくところである。

著者により多少のずれはあるものの、大枠で共通する糖質制限派の主張は次のようなものだ。

 人類は700万年近くを狩猟・採集で過ごしており、その間、人類は高タンパク・高脂質の食事をとっていた。糖質が食事の中心になったのはわずか1万年前のことであり、人間の身体は糖質を大量に摂取するようにはデザインされていない。2型糖尿病、肥満、心疾患といった生活習慣病の大元は糖質過多の食事にある。

私は、糖質制限により体重が減ったとか、2型糖尿病が改善されたという人々の体験やデータ自体に疑問を持っているわけではない。糖質制限は実際にそのような効果を多くの人にもたらしてきたのだろう。

しかし注意したいのは、その事実が、原始時代の人々が糖質をほとんど食べていなかったとか、原始時代の食生活が人間にとってもっとも理想的であるといったことの証明にはならないということである。

実際、進化生物学が専門のマーリーン・ズック(Marlene Zuk)は、原始時代に正当性の根拠を求める糖質制限派の主張を、「パレオ・ファンタシー」(Paleo Fantasy:原始へのあこがれ)と名付け批判的に論じている。

まずズックは、初期人類であるネアンデルタールやアウストラロピテクス・セディバの歯に穀物を採集・調理していた痕跡があることを挙げ、私たちの祖先が肉食中心だったというパレオ派の主張に疑義を唱える。

加えて、人類は時代や場所に応じて様々な食べ方をしているため、ある時代の人類が同じ食べ方をしていたという見方にはそもそも無理があるし、仮に一部の狩猟採集民が肉ばかりを食べて生きていたとしても、そのことと、かれらにとって肉食が最適かどうかは別の話しであると述べる。

さらに、「農耕が始まってから1万年余しか経過していないため、人間の身体は糖質過多の食事に適応できていない」というパレオ派がよくなす主張に対しては、「1万年は十分な時間である」と喝破する。

チベット人が標高数千メートルの高地で生活できるようになったり、乳製品を効率よく消化することのできる、進化したラクターゼ活性持続遺伝子を持つ人々が現れたりしたのはこの数千年であることからわかるように、人間の身体はもっと短いタイムスパンでも変化しうるからだ。

人類はある時期環境に完璧に適応した健康な生活を送っていたが、時代が下るほどにそこから離れていったというパレオ派の考えは、進化についての誤解であるというのがズックの主張である。

また進化生物学者の言葉を待たずとも、原始時代に回帰する糖質制限派の主張に無理があることは、素人の私たちにも予想がつきそうだ。

(引用、ここまで)



今回の筆者の主張は大きく2点ですね。

①「糖質制限で体調がよくなったからといって、それが理想的だとは限らない」
②「農耕が始まってから1万年という年月は、人間が穀物に適応するのに十分な時間である」


これらの主張について考える前に、予備知識として「パレオダイエット」の事を学んでおきましょう。

「パレオダイエット」とは「旧石器時代食」とか「原始人食」とも呼ばれますが、旧石器時代の食事に立ち返ることを念頭に、その時代に存在した食品のみを食べる食事法のことです。

具体的には魚介類、鳥類、小動物、昆虫、卵、野菜、キノコなどの菌類、根菜、ナッツ類などを食べ、旧石器時代には容易に入手できなかったであろう穀物、豆類、乳製品、芋類、食塩、砂糖、加工油などは原則的には避けます。そうすると確かに根菜を除いてはだいたい糖質制限になりますね。

私はパレオダイエットに関しては「やっている事はだいたい間違っていないけど、発想がフレキシブルではない」という印象を持っています。

なぜならば筆者の主張のように、「旧石器時代の食事が理想的とは限らない」と私も思っているからです。

ただし「理想的」=「ベスト」ではないですが、現代人の食事よりも旧石器時代の食事が「ベター」であることは間違いないと思っています。

それはパレオダイエットが結果的にかなりの糖質制限となるからです。「旧石器時代の食事が良い」という事にのみ準拠したパレオダイエットが健康効果をもたらす理由について、糖質制限理論は科学的な根拠を与えてくれました。

自然であることが理想的であるという保証は全くなく、自然に見られる事象は様々な有機生命体から無機物までが相互に複雑に作用した結果の現象です。

その結果が理想的とは限らないから生物は進化や自然淘汰などを繰り返すわけですが、

様々な障壁に環境適応しようと効率的にエネルギー産生するケトン体-脂肪酸システムや、効率的にエネルギーを貯蔵するインスリン脂肪蓄積システムなどを編み出してきたわけですから、

ベストではないにしても自然に即した考え方はなかなか良い線行っていると私は思います。だからパレオダイエットも「なかなか良い」のです。

ところで、パレオダイエットはあくまでも人間の遺伝学的性質が1万年前と大きく変わっていない事を前提としています。

その前提ははたして本当に正しいのでしょうか。実は私は、「人類はもっと短いスパンで変化できる」という意見にも賛同できます。

夏井先生の著書『炭水化物が人類を滅ぼす』にも書かれていましたが、

例えばもともと肉食のパンダが笹を食べられるようになったのは比較的短い時間での環境適応でした。

また当ブログで何度も登場する脊髄小脳変性症を克服した鍼灸師の森美智代さんも、通常食から青汁1杯の食事へと数年単位で環境適応を成し遂げることができました。

一方で現代人の多くはいまだに糖質摂取に適応する事ができていません。この差は一体どこから生まれるのでしょうか。

ここから先は私の仮説ですが、「生物は快楽と感じる環境変化には適応せず、困難と感じる環境変化にこそ適応する」のではないかと思うのです。

つまりパンダにしても、森美智代さんにしても、それを利用しなければ生存困難という状況に追い込まれたからこそ、おそらくは遺伝子の発現変化を経て普段は利用できない栄養を利用できるよう適応できたのではないでしょうか。

そう考えると、チベット人が高地生活できるようになったのも、ラクターゼ活性持続遺伝子を持つ人が現れたのも、皆困難を乗り越えようとした環境適応だったという点で共通しています。

一方糖質の摂取は言わば快楽です。そうするとこれを克服する必要性が生まれにくいと思います。

きっとそこにはドーパミンが関わっています。ドーパミンは報酬という感覚を介して、ただ従順にその作業を繰り返すのに非常に重要な役割を持つ物質という見方ができると思います。

楽が人生をダメにする」とも以前書きました。そういう状況を生物は克服すべき対象とみなさないのだと思います。

例えるなら、新しい靴を履き始めた時、多少の窮屈さや靴を脱いだ後の疲労感を感じる事は誰しもあると思いますが、

これもいわばヒトが克服すべき困難です。この困難を繰り返し経験することでだんだん履き慣れて窮屈さも疲労感もなくなってくることを皆経験していると思います。

ところがスリッパのようなゆとりがあって楽な履きものが時間とともに履き慣れるかと言えば、いつまで経っても同じままで環境適応は起こりません。というより起こる必要がありません。

糖質摂取というのは、ここでいうスリッパのようなものなのではないかと私は思います。

そう言えば撤回されたSTAP細胞の論文に「致死以下の刺激による細胞の運命転換抑制機構の解除」という文言がありました。

私達は困難に立ち向かうための底力を、私達の想像以上にしっかりと備えているのかもしれません。それならばそれを使わず眠らせるような快楽に溺れるのは得策ではないと私は思います。


最後に筆者の主張に対する私の見解をまとめます。

「ヒトは確かに短いスパンで困難な環境に適応できるポテンシャルを持っている。

しかし糖質摂取という快楽には適応しがたいし、繰り返す事で害が蓄積されていく。

ならば理想的とは限らなくとも、元の状態に戻れる糖質制限を食事の基本におくべきである」



たがしゅう
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