正しい解釈なら応用が利く

2016/10/27 00:00:01 | よくないと思うこと | コメント:4件

夏井先生のサイトでまた新たな糖質制限批判記事が紹介されていました。

一通り読みましたが的を射ていない意見なので、糖質制限推進派医師として反論しておきましょう。

気が付いたポイントを順番に解説していきます。

【現代ビジネス】
2016.10.25
ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える
現代社会の特殊な価値観と構造
磯野 真穂
文化人類学者
国際医療福祉大学大学院講師

(以下引用)

文化人類学者のオードリー・リチャーズは、ローデシア北西に居住するベンバの下記のようなやりとりを、驚きを持って記録している。

  私の目の前で焼いたトウモロコシを4〜5本食べたあと、かれらはこういった。
  「おお、腹が減って死にそうだ。俺たちは今日一日何も食べていない。

ベンバが空腹なのは、かれらが大食だからではない。かれらが空腹なのは、かれらにとっての腹を満たせる食べ物がトウモロコシではなく、「ウブワリ(ubwali)」だからである

ウブワリとは熱い湯と雑穀を3対2の割合で溶いたペースト状の食べ物であり、これがかれらの生活を支えている。

(引用、ここまで)



こういう文章を読む時には、事実と解釈を分けて読むようにするのがよいです。

ここでいう事実は、「ベンバ(族)はトウモロコシを4-5本食べた後、『腹が減って死にそうだ』と言ったこと」であり、

「ベンバが空腹なのは、彼らにとって主食であるペースト状の雑穀であるウワブリを食べていないからだ」というのはあくまでも筆者の解釈です。

事実を元に自分の頭で考えて、他人の解釈を疑うというプロセスを踏むようにしましょう。そうすれば頭の良いトレーニングになります。

この場合の事実は、「トウモロコシが高糖質食品である」ということ、

そして「高糖質食品を摂取すれば血糖値の上昇が脳の報酬系を介してドーパミン分泌を刺激」するということです。これらはすでに実証済の事実です。

その結果起こる事は、高糖質食摂取後比較的早い時間に起こる糖質への渇望感です。なぜならば報酬系を刺激しているからであり、これは同じく報酬系を刺激するタバコが切れた時にタバコへの渇望感が強まる現象と共通しています。

すなわち、ウワブリを食べていないから空腹なのではなく、「トウモロコシという高糖質食品を食べたから報酬系を介して糖質への渇望感が誘導された」というのが私の解釈になります。

この「報酬系の構造」というものを理解しておくことは非常に大切です。

なぜならば報酬系が刺激されるのは、別に健康によいからというわけではなく、報酬系を刺激する物質が体内に入ったというだけの事であり、

身体が欲するものが常に身体にとって良いものとは限らないからです。


またその続きには次のような文章も書いてありました。

(以下、引用)

「ご飯」「飯(めし)」は字句通りにとれば、炊いた米のことであるが、それは同時に食事そのものを指すし、

飲みの席での役割は食事を〆ること、すなわち終わらせることだ。

昭和生まれの人であれば「米を食べないと食った気がしない」というフレーズを一度は聞いたことがあるだろう。

ウブワリやご飯のように食事の核を担う糖質と、それに味と彩りを与える少量のさまざまな料理という組み合わせは世界に広くみられる人々の食事のあり方である。

(引用、ここまで)



ここでの事実は「米文化で米を食べない人は米を渇望する」というものです。

深刻な中毒のケースでは、その中毒を形成している物質でしか満足感が満たされないという特徴があります。

その理由の一つはどうやら繰り返し中毒物質にさらされているうちに、その中毒物質以外の物質への反応性が弱まっていくという現象があるようなのです。

確かに「米を食べないと食った気がしない」と言う人は私の外来を訪れる患者さんでも結構いらっしゃいます。

しかしそれはまさに「米でしか満足感が得られない」、言い換えれば「米に対する中毒性が形成されている」事の証になっていると私なら解釈するのです。

また筆者は「糖質が重要だから糖質を主として糖質以外が副となる食文化が生まれ、世界中に広まっていった」と解釈していますが、

私は「糖質の中毒性によって、世界中の人類が糖質を主とする文化を作り上げるように導かれた」という風に解釈します。

どちらが正しいかという事はさておいても、まずは同じ事実を見ても人によってここまで解釈に差が出るという事に注目してほしいと思います。

そしてどちらが解釈として妥当かという事を考えるためには、

その解釈に理論的整合性があるかどうか、言うなれば「全く別の現象についても同じような解釈が当てはまるかどうか」という事を考えてみるとよいです。

例えば「(特定の)睡眠薬がないと眠れない」という不眠症の患者さんについて考えてみればどうでしょう。

睡眠薬として現在臨床現場で頻用されるベンゾジアゼピン系の薬には依存性、中毒性があるという事は証明されています。

これを私の解釈に当てはめれば、「睡眠薬に対する中毒性が形成されている」という事になりますし、

睡眠薬の中毒性によって、世界中の人類が睡眠薬を主とする文化を作り上げるように導かれた」という事で考えてもそんなに大きな齟齬はないように思いますが、

「睡眠薬がないと寝たような気がしない」とか「睡眠薬が重要だから睡眠薬が主となる文化が世界中に広まる」なんて解釈は、

ヒトは長らく睡眠薬というものが存在しない世界で生きてきており、自然に眠るのが一番という事を考えるだけでも、健全ではないという事が容易に理解できると思います。

よって筆者の解釈は本質的ではないと私は思います。

正しい解釈であればいろいろな所に応用が利くはずだと考えます。


反論はまだまだ続きますが、

長くなりそうなので、今回はここで一旦切っておきましょう。


たがしゅう
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コメント

No title

2016/10/27(木) 17:14:54 | URL | 福助 #-
氏曰く

「たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ、聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。」

ちょっと残念すぎる考察ですね。
全体的にも外見でしか物事を判断できない人なのかなと。。。

氏の書かれている著書も、少し気になるところです。

『なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%81%B5%E3%81%A4%E3%81%86%E3%81%AB%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%8B%92%E9%A3%9F%E3%81%A8%E9%81%8E%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6-%E7%A3%AF%E9%87%8E-%E7%9C%9F%E7%A9%82/dp/4393333365

Re: No title

2016/10/27(木) 20:28:46 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
福助 さん

 コメント頂き有難うございます。

 糖質制限を単なる痩身法と捉えてしまうと、その後の解釈はどうしても的外れにならざるを得ません。

 ただこうした人の意見も無碍にできない所もあります。なぜそういう思考パターンに陥るのかの分析から、そうならないためにどうすればよいのかという対処法を逆説的に学べる可能性もあるからです。引き続き考えていきたいと思います。

Re: Re: No title

2016/10/28(金) 08:23:58 | URL | 通りすがり #-
> ただこうした人の意見も無碍にできない所もあります。なぜそういう思考パターンに陥るのか

単に、実績のない学者が目立とうとして流行の話題を取り上げる、という、しょうもないパターンでは?

Re: Re: Re: No title

2016/10/28(金) 08:33:25 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
通りすがり さん

 そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。
 いずれにしても、そこから学べる部分はあると思います。

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