公平性と公開性

2016/08/27 10:30:01 | 偉人に学ぶ | コメント:0件

人気若手俳優の強姦致傷事件が話題になっていますね。

当事者の苦悩はいかばかりかと察しますが、第三者として見る分にはいろいろ考えさせられる事件です。

その俳優さんは「欲求が抑えられなかった」と述べているようですが、

ここで私はその俳優さん個人の性道徳観がよくないとか言うつもりはなく、「人間の本性とはそういうものである」と思います。

社会のルールが存在しているから誰しもそのような行動を起こさないだけであって、

もしもそうしたルールが全て取っ払われた原始の世界を想像してみた時に、自分は同じ行動を絶対取らないと誰が言えるでしょうか。

人間の本性は利己的で身勝手な悪人であることをまずは認める、

そこからもめごとや争い事が起こらないようにするにはどのようにするべきか、

この問題を徹底的に考えた一人の哲学者がいました。


カント『永遠平和のために』 2016年8月 (100分 de 名著) ムック – 2016/7/25
萱野 稔人 (その他)


ドイツの哲学者、イマヌエル・カントです。

カントは人間の本質を善と捉える理想論は、平和を構築するには無力であると、

著書「永遠平和のために」の中で論じています。

永遠平和を実現するためには、人間が悪であることを認める所から始め、

それでも知恵を駆使すれば、悪であるからこそ、利己的であるからこそ人は平和になれるというのです。

一見矛盾するような話ですが、この矛盾を解決するために必要なものは誰もが守るべき「公平性」のある法律を定めることだとカントは言います。

私的に解釈すれば「誰もが自ずと守りたくなるようなルール」を作るべきだということになのではないかと思います。

そういう意味では現在の日本の法律は平和を維持するためにすでに一定の役割を果たしています。

もしも法律がなければ、あらゆる犯罪はやったもん勝ちの文字通り無法地帯と化してしまいますが、

犯罪を犯せば警察につかまる、つかまればそれまでの生活の自由は全て奪われ、地位も名声もすべて失う、

かたや法律を守って犯罪を犯さなければ、あらゆる人が犯罪という不公平な行為による損害を受けずに済む世界で生きる事ができます。

人は利己的で、究極的には自分が一番だと考えるものですが、

その自分を守るためには知性でもって定めた法律に従っているのが一番得だと考えるが故に、法による秩序の状態が保たれるわけです。

従って、知性が十分に働いている状況であれば、人は利己的であるが故に法を犯す事はしないはずです。

ところが例えばお酒を飲み過ぎて冷静な判断力を欠いてしまうような状況になれば、人間の本性の部分が露出してしまいます。

それでも法が存在していれば、件の俳優の事件のように、もしも法を破ればこのような状態になるという事が詳らかにされます。

当事者にとっての戒めにもなるし、それ以外の人達が法律を破る事への抑止力にもなると思います。

その結果、再びすべての人が「法律を守っているのが一番自分にとって得だ」と思える公平な世界が取り戻されるのです。


またカントは公平な法律を作るためにもう一つ大事な事は「公開性」だと述べています。

すなわち、公開して「すべての人の眼差しに耐えうるようなルール」でなければ、全員がそれを守るという事、すなわち永遠平和を成し遂げるのは不可能だと言うのです。

私はこの「公開性」というのはとても大切なポイントだと考えます。

なぜならば公開というスタイルは、あらゆる批判にさらされうるものであり、より良いものを作り上げていくためには必要不可欠なスタイルだと思うからです。

このブログも、言ってみれば公開性が確保された情報伝達手段です。

インターネットにさえつなげれば、誰でも私のブログにコメントを入れる事ができますし、

批判も叱咤激励もあらゆる立場の人から受け入れうる環境にあります。

辛い事もありましたが、そのおかげでブログの内容も適宜軌道修正できて、よりよいものに変わってきたのも事実です。

しかし非公開であったり、特定の手続きをしなければ入れないような制限空間であれば、その分、受ける批判の量も減ります。

すべての人の眼差しに耐えうるような仮説でなければ、そもそもその仮説はダメなのだと思いますし、法律にも同じことが言えるのではないかと思います。

カントは永遠平和を成し遂げるための公平性と公開性のあるルール作りへの道には終わりがなく、終わりのないプロセスの中で少しずつ質を高めていくべきだと主張しています。

今の日本の法律もよく見れば完全ではなく、少年法やらインターネット犯罪を取り締まる法律やら、時代の流れに従い質を高めていくべき対象はまだまだありますね。

この辺りはよりよいものを目指すため、考える試みを死ぬまで止めずに生きていく私の哲学者的スタンスと通じるものがあります。

そういう意味で私の理論はこれからも進化し続けますが、

どこまで行っても自分の理論が完璧だと思うことはないでしょう。

私が他のSNSよりブログというスタイルを好むのも、そういう理由があったのかもしれないと、

カントによって自分の深層心理に気が付かされた思いがしました。


たがしゅう
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する