身にならない情報源
2016/07/31 14:10:01 |
読者の方からの御投稿 |
コメント:2件
ブログ読者のふあっつおーさんからコメントを頂きました。
>昔は「新聞を読まないと賢くなれない」とか言われましたが、
今は逆で「新聞を読むと賢くなれない」と言われてるらしいです。
今の若者は新聞を読まず、ネットから情報を得てますからオッサンよりマシだと思います。
しかし
「テレビを見ると賢くなれない」というのは昔も今も変わらないのが不思議ですね。
今の時代はテレビ、新聞にインターネットと、とにかく情報があふれています。
しかし情報は多ければ多いほどよいというものではなく、情報をいかに使うかという事が生きていく上の重要な課題であるように思います。
頂いたコメントのように「テレビを見ると賢くなれない」「新聞を読むと賢くなれない」という話は、ただ単純にテレビ、新聞がよくないという事を表しているのではなく、
何も考えずに情報を見ているだけだと、その情報を使えないだけでなく時間の無駄遣いにもなりかねないという事を暗に示しているようにも思います。
はたして情報量にあふれているはずのテレビや新聞を見ているとなぜ賢くなれないのでしょうか、本日はこの問題について考察してみたいと思います。 まずテレビというものは、座ってただ見ているだけで様々な情報を得る事ができるメディアです。
チャンネルを変えれば身近な地元の情報から世界各国の情報、はたまた宇宙の情報まで、お茶の間にいながらにして容易に入手する事ができ実に便利です。
またテレビは映像、音声、文字情報を駆使して、私達に文字通り浴びせるように情報を与え続けます。
一方の新聞は同じ情報メディアですが、文字情報が主体で時々画像も織り交ぜているという類のものです。
ただ新聞の場合は自ら読もうとしない限りは情報を得る事はできません。テレビの場合だと場合によってはつけているだけで情報が入ってくる場合がありえます。
その意味で、「新聞は能動的な情報源、テレビは能動的かつ受動的な情報源」だと見る事ができると思います。
それだけ考えると、テレビの方が情報源として優れている印象を持たれるかもしれませんが、実はこんな研究報告があります。
認知症予防と知的活動との関連を調べた研究で、米国のカトリックの神父とシスター724人を4.5年間追跡した調査では、
「認知的刺激のある活動」として、テレビを見る、ラジオを聴く、新聞を読む、雑誌を読む、本を読む、トランプやクロスワードパズルなどのゲームをする、博物館に行くなどの7項目を取り上げて、
そうした活動に費やす時間が長ければ長いほど、アルツハイマー病にかかるリスクが低かったとの報告がなされています(Wilson RS, et al. Participation in cognitively stimulating activities and risk of incident Alzheimer disease. JAMA. 2002 Feb 13;287(6):742-8.)
一方で、中年期に社会活動に参加せずにテレビを見て過ごすと、アルツハイマー病になる危険が1.3倍になるとした報告もあります(Lindstrom HA, et al. The relationships between television viewing in midlife and the development of Alzheimer's disease in a case-control study. Brain Cogn. 2005 Jul;58(2):157-65. Epub 2004 Dec 22.)。
つまり、単にテレビを見るというだけでは「認知的刺激のある活動」にはならないという事に注意を要するわけです。
またテレビと新聞の間にはもう一つ決定的な相違点があります。
それは「自分のペースで情報を咀嚼する事ができるかどうか」ということです。
確かにテレビの情報量は多いし、扱う情報の範囲も広いですが、
テレビの情報は視聴者の理解度に関わらず一定のスピードで提供が進み、時間とともに目まぐるしく情報の種類が変化します。
その多彩な情報を処理できる能力が視聴者側にあればいいですが、多くの場合視聴者はその膨大な情報量を短時間の間に整理する事ができず、いわゆる「聞き流す」状態になってしまうのです。
同様の事は講演会などでも起こりえます。私が製薬会社主催の勉強会などに参加してしばしば思う事ですが、
非常に立派な肩書の先生達が世界中の様々なエビデンスを紹介したり、実験室レベルの新しい治験を紹介したり、主催会社の製品が関わる無作為ランダム化比較試験の結果を紹介したりされるのですが、
そうした情報をあくまでも演者の先生のペースで話されるものだから、聴衆である自分にはペースが速すぎて理解しきれないという事がよくあるのです。
それでも講演はどんどん先に進んでいってしまうので、結果的に「聞き流してしまう」わけですし、聞き流しているから「質問もできない」という悪循環を生じます。
自分にとって良い情報というのは、自分がそれまで知らなかった情報ですが、もっと良いのは自分の脳に合うペースで伝えられた情報です。
そういう意味で私が参加した講演会で行ってよかったなと思うのは、核となるメッセージがシンプルかつ繰り返し形を変えて何度も伝えられるという内容のものに多いような気がいたします。
ダメな講演会とテレビというのは、相手が理解できる脳のペースというものを考慮していないという点で共通するものがあります。
いくらテレビの情報量が多くても、それを処理するだけ私達の脳が追いついていかない、だから「テレビを見るだけでは賢くなれない」のではないかと私は考えます。
一方で新聞では、自分のペースで読む事ができるので、自分の脳のペースに見合った情報量に自分で調節する事ができます。その点はテレビより新聞より優位であると思います。
しかし新聞にはそれとは別次元の問題点があります。
一つは「無駄が多い」ということ、もう一つは「情報に偏りがある」ということです。
私は学生時代新聞をとっていましたが今は全く新聞は読みません。
新聞をとっていた時代に感じていたのは、「一日として新聞のすべてのページを読み切れた事はない」という事です。
せっかくたくさんの情報が新聞に詰め込まれていても、私にそれを読みこなすだけの時間と能力がなかったということなのです。
しかし読めていようと読めていまいと新聞は毎日投函されます。その結果気づけば大量の未読の新聞が積み重なり家のスペースを占拠するという状況になっている事がよくありました。
自分のキャパシティを超えたペースで情報を浴びせられるという意味ではテレビと共通する部分もあるようにも思えます。
そして新聞を読み始めた頃にはわからなかった事ですが、新聞は特定の政治色を帯びている事が多々あります。
また新聞も売れなければ商売が成立しませんので、どうしても一般的な読者の目を引くような記事、興味をそそられるような記事が優先的に扱われています。
その結果、「報道の自由」とは名ばかりにその新聞が立脚する政治的立場や商売繁盛につながるような情報が集約された内容になるわけです。
これでは自分で考える脳を鍛える場としては不向きです。極端に言えばいつの間にか洗脳されてしまってもおかしくない状況です。
テレビにしても、新聞にしてもそうした状況をわかった上でうまく使いこなさないと本当の意味では身にならない情報源になってしまうのではないかと私は思います。
それではインターネットの情報はどうでしょうか。
情報量はそれこそ膨大で、テレビや新聞の比較にならない程大量の情報を扱っていますし、
自分のペースで読み進められますし、読むページを移せば特定の政治色に縛られることもありません。
何より自分の興味のある分野は検索というシステムを使えばさらに深く踏み込むこともできます。その意味でかなり優位性の高い情報源だと見ることができます。
情報のない時代に新聞はそれでも貴重な情報源であったかもしれませんが、
今の時代はそれ以上に優れていて無駄なく幅広い情報をインターネットを通じて容易に入手する事ができます。だから今は「新聞を読むだけでは賢くなれない」のかもしれません。
ただしインターネットにも弱点もあります。扱われる情報が膨大すぎてセレクションがかからず、玉石混合も甚だしい状況になっているということです。
言い換えれば、「良い情報を得るも、悪い情報を得るも自分次第」という状況に置かれるので、自分をしっかり持っていないと逆に情報に左右されすぎて不安定な人生につながってしまいかねません。
それぞれの情報メディアに長所と短所がある事をわかった上で、
最後に数多ある情報をうまく活用するにはどうすればいいかを考えてみたいと思います。
まずはテレビについてですが、私もかなりのテレビっ子なので、自分を戒める思いで書きますが、
なんとなくテレビを見るというのは時間の無駄なので止めること、テレビを見るなら観たい番組があるから観るとか、何か情報を手に入れるために観るとか明確な目的意識を持ってみるようにします。
そしてできるだけ折角得た情報は何らかの形でアウトプットするように努めます。
それはテレビの内容について誰かと語り合うでもいいですし、ブログにテレビの感想を書き込むということでもいいでしょう。
さもなくばその時に得られた生の感情や自分のオリジナルの考えの種のようなものが時間とともに確実に風化してしまうからです。
また新聞よりもインターネットの情報を活用するようにしますが、インターネットの情報は本格的な情報を得るためのきっかけ作りにとどめ、あえてすべてをそこで解決しようとしないように心がけます。
本格的な情報はある程度まとまった内容が書かれた本や、かなり制限された情報しか扱えない文献のような情報から取るように心がけます。
インターネットでは暴言や誹謗中傷記事も等しく情報源として扱われますが、本や論文といった制限された世界でも生き残った情報ならそれなりの価値が認められている可能性が高いからです。
そしてそれでも、そこに書かれている事がすべて真実であるとは限らないという疑いの視点も持ちながら、自分自身の思考を深めていきます。それを繰り返す事で自分なりの世界観が徐々に形成されていきます。
自分なりの世界観ができれば、世の中の数ある情報の良し悪しが自分の判断基準でうまく選別できるようになっていきます。
そして自分の考えを世の中に発信し、批判的意見をもらいつつも、さらに修正を重ね高めていくという事をただひたすら繰り返していくのです。
私の場合はブログというアウトプットのためのツールを用いるようになった事で、
糖質制限を中心に自分なりの世界観が急速に構築されて、情報を取捨選択できるようになってきたと自負しています。
振り返れば私の文章も昔とは随分変わってきたものだと感じる事も多々あります。
しかし慢心せずに、常に「自分が間違っているかもしれない」という想いとともに、
これからも自分の考えを深めていきたいと考える次第です。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
有り難うございます
たがしゅうブログファンの私としましては記念になります。
有り難うございます。
正直、内容が難しくてよく理解できてるかわかりませんけど、コメントしない訳にはいけませんよね。
例えば日本が、
核兵器を保有した方か良いのか?
核兵器を保有しない方が良いのか?
テレビには、こんな選択肢自体ないですよね。核廃絶ってところから話がスタートしています。
今回の都知事選挙、小池百合子が当選したのはある程度予想通りでしたが、結局テレビ報道の通り三つ巴になってるみたいで悔しいです。
他の候補者は放送禁止なんですかね。
きっと街頭演説では放送禁止用語を連発してるのかも知れません。
インターネットはたくさん選択肢があるだけでテレビよりましです。
嘘やインチキ、誹謗中傷があっても・・・
選択肢があるだけでテレビよりマシです。
Re: 有り難うございます
コメント頂き有難うございます。
> インターネットはたくさん選択肢があるだけでテレビよりましです。
> 嘘やインチキ、誹謗中傷があっても・・・
> 選択肢があるだけでテレビよりマシです。
そう思います。
ある意味一番フェアな情報源とも言えると思います。
今回の都知事選でもインターネットを見れば全21名の候補者の情報を得る事が可能でした。
しかし投票した人の中ではたしてどれほどの割合の人がそこまで情報を踏まえて投票したであろうかと思います。
選挙というシステムではマイナーチェンジは起こっても、パラダイムシフトは起こせません。
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