大きな組織ほど変え難い
2016/07/25 20:45:01 |
ふと思った事 |
コメント:20件
私はこれまでの医師人生の中で、様々なタイプの病院で勤務してきました。
規模で言えば1000床を超える大病院から数十床程度の小さな病院まで、
種類で言えば大学病院から一般の総合病院、単科の脳外科病院、精神科病院、リハビリテーション病院から一般の診療所や保健所まで様々な経験を積んできました。
そのような経験を通じて感じた事の一つに、「組織は大きくなればなるほどシステムを変え難い」というものがあります。
私が新しい事に挑戦しようとした時に常に立ちはだかってきたのは「慣習の壁」「常識の壁」でした。
褥瘡のラップ療法を例にとっても、実際に経験を積む事ができたのは小さな病院で、大きな病院では従来のシステムに抗う事はできませんでした。
大きな組織に所属していて、その組織の進む方向性が間違っていなければ何も問題はありませんが、
問題は、もしもその組織ごと方向性が間違っていた時に、その組織の方向性を正しい方向に導くのは至難の業だということです。 そして組織として最も大きなものは国です。日本人は基本的に日本国に所属している国民です。
先だっての参議院選挙では憲法改正の是非が争点の一つと言われましたが、
出来上がっている国のシステムを変える事は容易な事ではありません。民主主義と言えば聞こえはいいですが、
「2:6:2の法則」に則って考えれば、物事を大きく変えたいと思う勢力は多く見積もっても2割です。
選挙や国民投票というシステムでは改革派の意見は、民主主義という名の多勢の波に押しつぶされてしまいます。
怖いと思うのはその多勢の多くを占める「6割」の集団は言わば「どっちつかずの集団」であり、強力なリーダーシップを持った意見に大いに流されてしまうという事です。
18歳の参政権が認められ、「一票の重み」とか「たかが一票、されど一票」などと言われ、とにかく選挙へ行く事の重要性が世の中で叫ばれ続けられますが、
はたして本当にそうでしょうか、と私は思うのです。
私ははっきり言って政治には全く期待をしていません。
振り返れば、2006年以降の安倍総理以降の自民党で毎年首相が変わるという情けない歴史に続き、
2009年やっと政権交代が実現したと思えば、ただ与党の反発をし続けていただけで、まったく政権運営の準備ができていなかった民主党の自民党に勝るとも劣らない体たらく、
そして2012年よりあの自民党の黒歴史の口火を切ったはずの安倍総理の時代を再び迎え、アベノミクスというイメージ戦略に国民は実にうまく乗せられて長くこの時代が続いているような状況です。
そしてそのイメージ戦略を巧みに操っているのがマスメディアです。
ミスディレクションという言葉がありますが、私達は民意で総理大臣を選んだような気でいて、実は情報操作によって選ばされている側面があると思います。
それがウソだと言うのなら、近く行われる東京都知事選の事を考えてみてほしいと思います。
今回の東京都知事選の候補者は全員で21名です。しかしながらマスメディアは21名を公平に報道しているでしょうか。
いろいろなニュースを見る限り、ほとんどは有名候補3名に絞られてしまっているのではないでしょうか。
もしマスメディアが情報操作していないというのであれば、21名の候補者の情報を均等に流すのが筋ですが実際はそうなっていません。
そしてそうしたニュースを見た多くの国民が有名候補の中の3名の中でどうするかを考えると思います。
仮に「いや他の18名から投票しよう」と言う人が現れたとしても、そんな変わった意見はどれだけ多く見積もっても1~2割です。大多数が3名の中から選んでいる状況の中では多勢に無勢です。
政治に期待をしないのであれば白票を投票すべきだという意見もありますが、そんな白票を出すような変わった意見もせいぜい1~2割です。
マスメディアに大多数の意見がコントロールされている限り、自分の風変わりな意見を世の中に反映させる術はないのです。
よしんば、私の理想をかなえてくれそうな素晴らしい人格者が選挙に出たとしても、
その人は当選すれば大きな地位とともに国民の税金から高額の給料を手にする事ができます。
そして「先生、先生」と呼ばれ良い気持ちになりながら、実際の政治の細かい業務はブレーンに当たる部下達がこなします。
その結果、表向きはその当選者が様々な政治活動を行っているように見えても、裏でブレーンに操られているような構造が出来上がります。
本人は本人で、周囲に奉られ、最低限の仕事さえしていればお金に困る事のないゆとりのある生活になります。
他所の党の揚げ足の取り合いを繰り返すばかりの議論を続け、話が何も進まなかったとしても高額の給料がもらえるような生活で、誰が理想を追い求め続ける事ができるでしょうか。
お金というものは人を変えます。というよりも人は楽な方向へ逃げる生き物です。地位もお金も十分にあるような状況に置かれれば、さしたる努力もしなくなるのは人の常だと思います。医療界を見ていても私はそのような事を感じます。
それならば自分が選挙に出れば良いと言われるかもしれませんが、それも無理です。最初から述べているように「大きな組織ほど変え難い」のですから。
病院大改革なら規模が小さければ不可能ではないかもしれませんが、相手が国となればそれは不可能に近い所業です。
政治とは世の中で最も変えるのが難しいシステムであり、どんな人格者も政治の世界に入れば堕落しうる怖さを秘めていると私は感じている次第です。
変えるのが無理ならば同じ土俵で戦わなければいいです。
しかし私が日本人である以上、これからも日本の政治と関わって生きていかなければなりません。
それならば、せめて政治には自分の邪魔をしないでもらいたいと願うばかりです。
そして私は私で政治に頼らずに、世の中を良くしていく方法を探していきたいと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
現代人は昔の人より、学ぶことが多くなっています。
歴史だけでも100年前の日本人より100年分多いわけですし。たった30年前には、ここまでのITの進化は考えられませんでした。
それだけ、学ぶ必要のあることが沢山あるわけです。
「18歳で自分で判断して参政権を行使できるようになれ!」ということは意外と大変なことではないかと思うのです。
No title
ですが、たがしゅう先生は医師として看板を背負って自立して活動できる立場です。
「先生の方が、私などよりずっとマシだ!」と、そう思う人が私も含めて大勢いると思います。
トンチンカンなことに巻き込まれ、それを修正したくても、それもままならず一緒に尻拭いをする破目になる弱い立場の人間もいます。
Re: No title
>「18歳で自分で判断して参政権を行使できるようになれ!」ということは意外と大変なことではないかと思うのです。
同感ですね。
知識も知恵も少ない世代に選挙権を持たせたら、「どっちつかずの6割」の割合が膨大化するだけだと思います。
しかも当の本人達は世の中のために良い事をしたと思ってしまうかもしれません。私に言わせれば上手に利用されるだけです。
ただし、だからと言って選挙年齢を30代以上に狭めたらよい選挙になるかと言われたら、そうとも私は思いません。
どんな集団であっても、6割の人間の勢力を上手に操る事で、少数の改革派の意見はかき消されてしまうと思うからです。
選挙とは見方を変えれば、政治の権力者が多数の民意を得たという事を示す形式上の証拠作りです。選挙に同意しようが反対しようが、このシステムである限り権力者の思うツボになってしまうと思います。そしてそのシステムを変える事は極めて難しい事です。そういう現実を見てどうするか、それぞれが真剣に考えるべきだと考えます。
鳥越さんも糖質制限
今度、都知事選に出馬する鳥越さんも糖質制限しているらしいですよ。
何度もガンを克服している鳥越さんが糖質制限をしていると聞くと、妙に納得してしまいます。容姿も若々しいですから、糖質制限はスローエイジングにも貢献してそうですね。
Re: No title
> トンチンカンなことに巻き込まれ、それを修正したくても、それもままならず一緒に尻拭いをする破目になる弱い立場の人間もいます。
そうですね。それぞれの立場やそれぞれの事情というものもあるでしょうからね。
何にしても大事なことは自分で考える力です。不確かな世界に依存するのではなく、自分のいる場所で確実に自分ができる事とは何かを考え、少しずつでもそれを実行していきたいものですね。
Re: 鳥越さんも糖質制限
コメント頂き有難うございます。
> 今度、都知事選に出馬する鳥越さんも糖質制限しているらしいですよ。
そうなのですか。それは存じ上げませんでした。
もしも情報のソースがわかれば御教示頂ければ幸いです。
ただ鳥越さんの政策の一つである「がん検診率を100%にする」という政策には私は反対ですね。
新聞を読むと・・・・
たがしゅう先生とは考えてることが似ているので何時もビックリしています。
「三つ巴ではないのに三つ巴のように報道するな!」と思ってた所でした。
私は東京都民ではないけども結果が楽しみですね。本当に三つ巴になるのか。
最近の世の中はNHKもビックリのことが起こっていますからね。
昔は「新聞を読まないと賢くなれない」とか言われましたが、
今は逆で「新聞を読むと賢くなれない」と言われてるらしいです。
今の若者は新聞を読まず、ネットから情報を得てますからオッサンよりマシだと思います。
しかし
「テレビを見ると賢くなれない」というのは昔も今も変わらないのが不思議ですね。
Re: 鳥越さんも糖質制限
鳥越さんが自身のツイッターで、糖質制限をしていると語っています。
https://twitter.com/shuntorigoe/status/754247777459113984
また、テレビ番組でも、そう語っていたそうですよ。
グーグルで「鳥越俊太郎 糖質制限」で検索すると出てきます。
Re: 新聞を読むと・・・・
コメント頂き有難うございます。
> 「新聞を読むと賢くなれない」
> 「テレビを見ると賢くなれない」
両者は似て非なる所があると思います。
なぜそうなのかを考えると面白くなりそうです。後日記事にさせて頂きます。
Re: Re: 鳥越さんも糖質制限
情報を頂き有難うございます。
またお手数をおかけし申し訳ございませんでした。
確かに鳥越さんは明確に糖質制限とおっしゃっていますね。実践者でもいらっしゃるようです。
でも糖質制限を理解し実践され効果を実感されているのなら、やるべき事はがん検診の普及ではなくもっと他にあるのではないかと私は思います。そこが残念でなりません。
No title
「糖質制限は理論的に正しい(と現状では思われる)のに、理解しようとしない・拒否反応を示す人が多数いる。」
こういった「客観的事実」をまずはそのまま受け止めることが、科学的思考の一方法ではないでしょうか?
科学(science)といえるものは、時を超え場所を超えて成立するものだけです。
洋の東西を問わず、100年前も現在も100年後も成立する事柄が「科学」なのです。例えば、数学は科学です。連立方程式は100年前も現在も、そして100年後も全く同じ理論で存在するはずです。
そう考えると、我々の身の回りで「科学的でない」ことが沢山存在すると思います。
例えば、政治はその最たるものではないでしょうか。
民族の文化、気候による環境、資源の豊かさ・経済状態、等々の影響する要素が沢山あります。
科学的思考に必要な「前提条件」をそろえることが困難な分野です。
また私は、「医学は科学だけれども、医療は科学ではない」と考えています。
医学は、生命・人体に関する「科学」であり、時を超え場所を超えて正しい理論です。逆に、そういう存在でなければ似非科学になってしまいます。ただ、医学においてはまだ人類が解明していないことが沢山あるため、似非科学になってしまわないようになお一層慎重に研究が進められる必要があると思います。
一方、医療は「科学的」と言えない分野だとと思います。それは患者・クライアントによって受けたい医療が違うからです。つまり、「この症状の患者には、この医療行為を施す」と、時を超え場所を超えて通用する唯一無二の「治療の方程式」が決められないということです。
例えば、アスリートと一般人の怪我の治療の意味は、全く異なります。
さらに、たとえ同じ疾病だとしても、国によって患者への治療方針が変わることもあり得ます。宗教を含めた文化・経済状況等の違いにより、とりあえず今必要としている医療行為が日本での医療行為と同じであると言い切れません。
このように、科学的な「世界共通の方程式」が通用しない分野において、どのように接近し研究する方法が必要なのかを、我々はもっと考える必要があるのではないでしょうか。
No title
>そのような経験を通じて感じた事の一つに、「組織は大きくなればなるほどシステムを変え難い」というものがあります。
偶然ですが、私が所属する組合は大した組織ではありませんが、最近、我が組織に対し、そのようなことを痛感するどころか絶望し始めているところでありました。
実は今、私が関わる業界は、急速に開発が進められている自動化の波に早晩襲われるであろうことが明白なのに、それに対応する気概どころか気配すらも全くありません。
また、そんな危機感を喚起をするだけでも「おまえ、何言ってんの!?」という視線と言葉をも浴びてしまう現状なんです。
「今(前)だけでなく、先(四方)も見ろ。そして考えて行動(運転)しろ。(私の仕事を覚えておられれば、笑えるでしょう)」なんてこととは、まるで無縁の人たちの群れに、呆れを通り越して絶望している真っ最中といえば大袈裟ですが、そのような感じで居たところ、この記事内容に思わず返信してしまいたくなてしまいました。
>というよりも人は楽な方向へ逃げる生き物です。地位もお金も十分にあるような状況に置かれれば、さしたる努力もしなくなるのは人の常だと思います。医療界を見ていても私はそのような事を感じます。
しがみつく執念があるならばいざ知らず、現状が空気のような当然の存在とでも思っているのか、と呆れることも多々あります。
変われない、変化できない、とは、行動する勇気がないというよりも、周囲を見渡すこともしない、ということなのかと思うこともあります。
とにかく、他の方も書かれている通り、私も先生のブログを読むと不思議と似たような発想の人がいることを感じ安堵してしまいます。もちろん、専門的で分からないこともありますが、私にとってはそれだけでも、十分に心休まる、治療効果満点の出来事で、ブログ更新を楽しみにしている一人です。
(無料の治療となっており申し訳なく思ってもおりますが・・・笑)
と、いつも、妙な書き様となってしまい申し訳なく思いますがお許しを、それでは。
Re: No title
> 科学(science)といえるものは、時を超え場所を超えて成立するものだけです。
> 例えば、数学は科学です。連立方程式は100年前も現在も、そして100年後も全く同じ理論で存在するはずです。
> また私は、「医学は科学だけれども、医療は科学ではない」と考えています。
> 科学的思考に必要な「前提条件」
> 科学的な「世界共通の方程式」が通用しない分野において、どのように接近し研究する方法が必要なのか
なるほど、考えさせられます。
数学>物理学>医学生理学>政治学
この順番で科学的な厳密性が失われていくように私は思います。
なぜならば前提条件を揃えなければならないはずの対象の流動性がこの順番で大きくなっていくからです。
従って私は医学でさえ完全には科学的に捉え切れないと考えています。
個体内での変動、個体間での変動、あるいは長期的な視点で視た時の進化の可能性を持つものが医学が扱おうとしている対象です。前提が崩れるという事はいくらでも起こりうると思います。やせの大食いなどカロリー理論で到底説明できない現象などはその一つの例です。
また西洋薬を駆使しても全く治らない病気が、凄腕の漢方医によっていとも簡単に治ってしまう現実を目の当たりにする度に現代医学が科学的に捉え切れていない何かの存在を感じずにはいられません。
科学はあくまでも人体を視る時の一つの断面に過ぎず、それですべてを説明できる気には決してなってはならないと私は考えます。
2016年3月31日(木)の本ブログ記事
「科学が世界のすべてだとおごりたかぶることなかれ」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-678.html
も御参照下さい。
Re: No title
共感して頂き有難うございます。
手前味噌で恐縮ですが、年齢も仕事も環境も異なる人同士で共通した想いを抱くという事は、ある意味で真理に近い部分を突いているということなのかもしれません。
> 変われない、変化できない、とは、行動する勇気がないというよりも、周囲を見渡すこともしない、ということなのかと思うこともあります。
なるほど、確かにそうですね。
「見られない」のではなく、「見ない」という選択を自らの手で選んでいる、そう自覚している人は少ないと思います。
そこで自分の頭で考える力があれば、少なくとも「見る」のか「見ない」のかを選択することができます。そして自分で考えて決めた事であればどちらの選択をとっても後悔はしないはずです。
2015年1月18日(日)の本ブログ記事
「今やるか、今やらないか」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-547.html
も御参照下さい。
Re: Re: 鳥越さんも糖質制限
鳥越さんは、早期発見早期治療でガンを克服してきたので、ガン検診が重要と、お考えなのかもしれませんね。
Re: Re: Re: 鳥越さんも糖質制限
コメント頂き有難うございます。
> 鳥越さんは、早期発見早期治療でガンを克服してきたので、ガン検診が重要と、お考えなのかもしれませんね。
確かに早期手術がガンの克服だと考えていれば、そういう政策につながってしまうのも無理もないのかもしれません。
私はがんに対する手術はあくまで対症療法であり、決して根治療法ではないと考えています。
2016年3月13日(日)の本ブログ記事
「手術とは不可逆的な医療介入」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-675.html
も御参照下さい。
No title
「科学か否か」を考えるとき「前提条件をそろえる」ことを厳密に求めると、仮想現実で論理展開をすることが出来る数学だけが身近に存在する科学である、ということになってしまいそうなので「主観と客観」という別な切り口で考えてみました。
「科学的なこと」は、客観です。つまり場所・人・時代に関係なく成立するためには、客観である必要があるわけです。主観による論理展開では、例えば人により時代により答えが変化してしまいます。
一方、「科学的でないもの」は、主観を含む可能性が高いわけです。人にとって感じ方が違うもの・時代によって評価が変わるもの、例えば「人の感情」を扱う心理学は「科学的」であろうとすることに非常に努力を必要としますし、音楽や絵画などを「科学的」に分析・評価することは難しいと思います。
そう考えると、「医学は客観であり、医療は主観である」という捉え方も可能ではないでしょうか?
医療が扱う事柄は、患者・クライアントの「主観」の部分がかなり大きいのではないかと思うのです。例えば「健康である」という状態も、アスリートと一般人では求める内容・イメージが全く違うと思います。
ということは、糖質制限という医学理論は「客観」であり、その理論を用いた「食生活」は「主観」の分野だと思うのです。
食生活を含めたライフスタイルは、人それぞれです。主観の集合体です。
そのような主観(食生活・ライフスタイル)に客観(糖質制限)を取り入れる、ということは実は意外と難しいことなのではないかと思うのです。
「主観と客観という矛盾する事柄を融合する」という視点で考えてみることも、一つの方法ではないでしょうか.
Re: No title
> 「科学的なこと」は、客観です。
> 「医学は客観であり、医療は主観である」という捉え方も可能ではないでしょうか?
> 主観(食生活・ライフスタイル)に客観(糖質制限)を取り入れる、ということは実は意外と難しいことなのではないかと思うのです。
確かにそうですね。
糖質制限はかなり完成された理論ですが、それでも糖質制限では説明できない現象がある事を私は自身の体験を含め実感しています。数学の世界ではそういう事は起こりえないと思いますが、医学の世界ではそれが起こり得るわけです。その事実こそが客観的な理論を主観的な感覚に取り入れる事の難しさを現しているのではないかと思います。
管理人のみ閲覧できます
Re: 僭越ながら
情報を頂き有難うございます。
参考にさせて頂きます。
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