ごまかしがきかない断食
2016/07/16 11:10:01 |
断食レポート |
コメント:22件
糖質制限指導をしていると、
人の本質的な部分と向き合う機会が多くなります。
「食べる量を減らす」のではなく「食べるものの質を変える」というだけの事なのに、
糖質制限ができないという人は様々な理由をつけてその実戦を拒否されます。
炭水化物はおいしくて止められないとか、付き合いがあるから止められないとか、お金がかかるから止められないとか…。
いろいろな理由を後付けして元の環境を変えられない変えようとしない人達の本質は「変わらない脳」の持ち主であり、
そういう人達へはどれだけわかりやすくいかに理路整然と伝えた所で徒労に帰するだけだと私は感じていました。
でもそんな人達も小さい頃は無限の可能性を秘めた「変われる脳」の持ち主であったはずです。 一体いつから人は「変われる脳」から「変わらない脳」へと変わってしまうのでしょうか。
いえ、そもそも「変われる脳」と「変わらない脳」はきれいに分けられるものなのでしょうか。
こんな話をしていると私は「変われる脳」の持ち主だからと上から目線の発言に捉えられかねませんが、
私自身の中にも「変わらない脳」の部分が確かに存在します。
それは私が断食をする時によく感じています。
私は断食の効能を医学的に認めているおそらく全国でも稀な神経内科医です。
糖質制限ベースで断食を捉えると、極端な食事制限に捉えられがちですが、
もともと食べない状態がベースだという視点で糖質制限を捉えると、糖質制限食は低リスクの現状維持方法です。
食べる事自体にリスクが存在するという視点に立てば、食べない事が一番安全だという考え方もできると思います。
問題はその一番安全な食べない状態をいかに長くキープするかという事であり、
そのための秘訣が糖質代謝を極力使わず、ケトン代謝をメインで動かし、そしてオートファジーなどの長期生存に役立つ様々なシステムを活性化させる事だと思います。
そうすればほとんど食べずに現状維持が出来て、しかも様々な難病の元になるアミロイドなどの異常タンパク質を身体に溜め込むリスクも減りますし、
まさに究極の健康法と言えるのではないかと私は強く思っています。
しかしそれだけ強く断食の良さをわかっているにも関わらず、
実際に断食をしてみると、私は自分の弱さと直面する事になります。
断食には時間がないとか、お金がかかるとか、食べるものがないとか、そういう言い訳は一切できません。
「食べない」という行動は、究極的にはいついかなる状況においても自分次第で実行できるわけですから、
断食にはごまかしがききません。どんな言い訳をしようと自分に嘘をつけるはずもなく、食べてしまった自分の弱さと直面する事になります。
要するにいくら理屈で固めようとも、食べ物の誘惑に抗えない「変わらない脳」の側面が私にもあるのです。
それを本能という言葉で正当化し現実逃避するのは簡単です。しかしそもそも人間は楽な方へと行きやすい生き物です。
変わらない脳の本質は究極的には楽を求める脳の働きであって、何を楽だと考えるかによってヒトの行動パターンは大きく変わってくるのではないかと、私は思うわけです。
先日は明らかに太っている患者さんで
「そんなに食べていないのにこれ以上(ごはんを)減らせない!」と反発される人がいました。
あぁ変わらない脳の持ち主だなぁ…と思ったものですが、私も人の事は言えません。
その患者さんは糖質を今まで通り食べられる食生活が楽で、私は糖質制限で1日1〜2食の生活が楽だと捉えている、
ただそれだけの違いです。本質は一緒だと感じました。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
抗がん剤治療にも
断食は現在気になっているテーマで、本も読んでいますが、実践までには至っていません。
必要に迫られていないので、きっかけがない、と言い訳しています(笑)。
只、姉が乳がんで抗がん剤治療を受けていて、断食が副作用を軽減し、治療の効果を高めるという情報もあるので、治療前に2日間の断食をトライするよう勧めています。
さすがに勧めるだけでは無責任かな、とも思いますので、この機会に私も挑戦しようかと考えています。
Re: 抗がん剤治療にも
コメント頂き有難うございます。
結局煎じ詰めればがんも誤った食事がもたらした産物という側面が強いので、
究極の対処法は食べないことであると、そういう考え方もできるのではないかと思います。
No title
昨日はお会いでき、とても楽しい時間がもてました。有難う御座います。今回はあまりお話できませんでしたが次回もよろしくお願いします
断食は難しいですが、1日2食を原則とする。空腹を感じないと食べない。という事なら簡単にできます。しかし1日1食夕食だけというのは難しいです。良いことは理解しているのですが実践できません。
これを乗り越えられませんから、断食は出来ないなあ・・と感じています
くんだみえ
No title
先日、自身の末期がん治療のために大麻を自家栽培して服用していた方の裁判がありました。その場で被告の方は裁判長にどうか助けてくれと訴えたそうです。
果たしてこの裁判長は変われるのでしょうか?私は当然日本国憲法の理念に則り、この方に対する大麻取締法の一時執行停止を認めるものだと期待しております。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
断食はあくまで高みを目指すための手段の一つですので、
必要性を感じなければ必ずしも断食する必要はありません。
しかしいざ行う場合は自分自身というものとごまかしなしで徹底的に向き合う、それが断食の本質だと思います。この行為を繰り返す事で、自分という人間の本質的な部分も見えてくるようにも思います。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
その裁判の動向には私も注目している所です。
> 果たしてこの裁判長は変われるのでしょうか?
勿論変わる事を期待していますが、慣例が重視される世界で変わるのはなかなか難しいとみています。
世間が変わらないのであれば、自分が変わるしかありません。もしも私が同じ立場なら大麻以外の方法を模索し、究極的には自分の心の在り方を変えると思います。
2015年1月1日(木)の本ブログ記事
「私が変われば世界も変わる」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-530.html
も御参照下さい。
No title
3食から2食、さらに1食へのプロセスは厳しい道のりですが、スーパー糖質制限を5年ぐらいコンスタントに継続すると、自分の場合、1日1食が目の前に待っていたというお話をさせていただき、先生に賛同いただきましたので、最近目にした興味深い文章をご紹介させていただきます。
中国明代の処世術に関する言葉を集めた「菜根譚」という書物です。処世術ということなので、真剣に読もうとしなかったのですが下記一節を偶然目にし、大変面白いと思いましたので、ご紹介させていただく次第です。
福不可徼。養喜神以為召福之本而已。
読み下し)福は徼(もと)むべからず。喜神(きしん)を養(やしな)いて、
以って福を召くの本(もと)と為(な)さんのみ。
訳)幸福は求めて得られるものではない。人間の内にある楽しみ、喜ぶ心を養う
ことにより、幸福を招くことが出来るのである。
訳)の「幸福」を「健康」に読みかえ、「楽しみ、喜ぶ心を養うこと」を「体が喜ぶ状態を養うこと」に読みかえてみたいと思います。
というのも、最近の健康ブームの中で、糖質制限や不食が健康という目的の手段として位置づけられてしまう風潮。これが行き過ぎて「不食」が糖質制限より優れているとか、「万病に効く断食」というようなコトバが独り歩きしています。アンチ糖質制限派からの攻撃もこの範疇かと。
一方、先生が日頃嘆いておられるように、自分の健康状態の悪化原因が糖質にあることを絶対認めないで、薬漬け、検査漬けを異常と思わない患者さん。
ある人にとって「不食」が最適であっても、ある人には「1日3食」が最適かもしれません。また医師が健康を与えてくれるのでなく、自分自身が健康を実現するよう、体の状態を整えなければなりません。
これらは我々が自分で「喜神を養う」ことを忘れてしまったことに原因があるのではないかと考えています。
ただし、「喜神」を養う方法は科学的方法論に立脚すべきで、精神論や信仰に依存すると、宗教的対立と化してしまうと考えています(これは先生と意見が全く一致して嬉しかったです)。
また、お話する機会を楽しみにしております。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
こちらこそ先日御交流頂いた事感謝申し上げます。
> 福不可徼。養喜神以為召福之本而已。
> 読み下し)福は徼(もと)むべからず。喜神(きしん)を養(やしな)いて、
> 以って福を召くの本(もと)と為(な)さんのみ。
> 訳)幸福は求めて得られるものではない。人間の内にある楽しみ、喜ぶ心を養う
> ことにより、幸福を招くことが出来るのである。
なるほど。勉強になります。
「笑う門には福来たる」ではないですが、幸せになるにはその為の素地ができていないと求めても幸せは訪れない、と言ったところでしょうか。
幸せになるには日々のちょっとした心がけの積み重ねが大事と思います。アドラー的に言えば「幸せとは貢献感」です。時々振り返り幸せになるための土台作りが疎かになっていないか、見直していきたいと思います。
私は今、断食3日目です。
一応15日間を目標としています。
昨日の夜までは断食楽勝〜と思っていたのに夜中お腹が空いて寝れなくなり…
「もう2日も食べてないし少しくらい良いんじゃないか?」
「こんなことやめたら?」
と、悪魔の心の声が囁いてきました。
今まで言い訳ばかりの日々でした。
言い訳なんて、完璧な環境であっても、いくらでも作れます。
自分がこうしよう、と決めたことをやり抜く力をつけるためにも、とりあえず目標15日でやってみようと思っています。
先生の、
『食べないことがベース』
『食べることはリスク』
という言葉はいつも頭の片隅に置いています。
やるぞ!!自分!!!
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
確かに目標を定めることは大事ですね。
あいまいにしているとすぐ楽な方向に逃げてしまう私がいますのでその辺りはよくわかります。
ただし、断食中はくれぐれも御自身の体調観察に御留意下さい。管理されている場合はまだしも、自力断食の場合はまずいと思った場合は時には後戻りする事も「勇気ある撤退」と思います。うまくいく事を願っています。
No title
一方、「体のために、あれも食べないようにこれも食べないように」と、できるだけ体内に余計なものを取り入れないように努力する考え方。
実は後者の考え方の方が、より健康になれるのではないかと感じています。
つまり「出来るだけリスクを回避する食事」という考え方です。
大抵の食品は体に良い面と悪い面の両方を持っています。完全無欠に体に良い食品はなかなか難しいです。
ですが、人が生命である限り全く食べないわけにはいきません。
そこで、摂取する食事の量を不必要に増やすことなく可能な限り少なくして、「食品を摂取することによって健康を損なうリスクを軽減する」という意識をもって生活するわけです。
この考え方だと、少なくとも食べ過ぎにはならないと思います。
No title
先日はお会いできて良かったです。
かつてマクロビオティックをやっていた頃、数日の断食を度々していました。
一般的には、朝、昼、晩に食事をしてそれが1日の流れの中でひとつのアクセントになっていると思うのですが、それをなくすだけで、1日の生活の様相が、村上龍の「5分後の世界」のようにガラリと変わるのを感じました。
それに、食を断つことで、ぼくらが普段如何に食に捉われているか気付かされました。動物である以上食に捉われるのは当たり前ですが、断食をすることで、その当たり前を身を以て意識することができました。
そして、初めはお粥、次に漬物を添え、味噌汁をプラスし、といった具合に徐々に戻っていくのですが、その過程で、お米一口、糠漬け一切れの美味しさや有り難さが文字通り身に染みました。
普段大して味わいもせずどれだけ惰性で食べているか、「いただきます」の心を忘れているかを痛感させられました。
こんな風に、食に関する考えや認識を新たにできるのも、断食のひとつの良い側面だと思いますし、このことはどんな食事法をしていようと言えることだと思います。
Re: No title
> この考え方だと、少なくとも食べ過ぎにはならないと思います。
同感です。食が他の生命を自分に取り込む行為である以上、ゼロリスクにする事は不可能です。
それならばリスクを減らすのに有用な戦略は「どのように食べるか」よりも「いかに食べないで済むようにするか」の方ではないかと私は考える次第です。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
またこちらこそ交流させて頂き感謝申し上げます。
> 普段大して味わいもせずどれだけ惰性で食べているか、「いただきます」の心を忘れているかを痛感させられました。
そうなのですよね。「いただきます」という言葉は極めて形骸化してしまっていると思います。
親鸞の歎異抄から「自分が悪人である事を自覚できるかどうか」の重要性を私は学びましたが、
食とは本質的には「自分が生き延びたいという欲求を満たすために他の生物の命を奪い続ける行為」であるというを認めれば、人間が善人などとは到底なりえないという事に気が付きます。野菜であろうと肉であろうと、元の植物や動物は生きていました。
だからといって、心をこめて「いただきます」を言えばいいという話でもありません。どのような言い訳をしたところで本質は変わらないわけですから。大事な事は食とはそういうものであるという事をごまかさずに受け止める事だと思います。
No title
>その裁判の動向には私も注目している所です。
ワタクシ訳ありで、第1回裁判から第4回まで傍聴してまいりました。第五回はメディア対象の報告会に出席しました。
第4回の福田一典先生(「医療大麻の真実」の著者)の証人尋問は圧巻で、検察側の尋問に対して完璧に論破し、傍聴席(すべて被告人の支援者)はおおいに盛り上がりました。
第5回の裁判では、ほとんどの証拠書類が検察側の不同意だったのですが、福田先生の膨大な証拠論文(翻訳)がいくつか同意されたようです。
裁判官(清原覚醒剤裁判の担当者)のお話しですが、検察側の不同意証拠書類を採用にしたり、検察側の証人尋問中停止させたりした場面もあり、福田先生の尋問中は真剣なまなざしで聞き入ってました。
次回(8月2日)は弁護側の最終弁論と検察側の論告求刑となります。
弁護団3名は無償によるボランティアです。
裁判官の判断は本当に注目です。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
また詳細な経過報告を頂き深謝申し上げます。
福田一典先生の証人尋問は非常に価値あるものですね。
日本にこれだけ医療大麻の正当性を正確に主張できる医師は他にはいないと思います。いつか私もお会いしてお話しを伺ってみたいものです。
しかしいくら正当性があろうと、なかなか変わらないのが日本にはびこる保守主義というものです。過剰な期待はせずにフラットに裁判の行く末を見守りたいと思います。
初めまして、糖質依存症のナースです。
また、私自身も、太っていく一方の状況から脱却したいといろいろな本や、ブログを読んでいる所です。
私は、今年『糖尿病療養指導士』を目指しております。ですが、栄養士さんの指導と、たがしゅうさんや、江部先生のおっしゃることがあまりにもかけ離れていて、がっかりです。このまま、『糖尿病療養指導士』になる事に抵抗を感じていました。ですが、たがしゅうさんのブログを読んで、いまから少しずつでも、最新の根拠ある情報をお届けする事を目標にしようと思います。これからも、ブログ楽しみにしています
Re: 初めまして、糖質依存症のナースです。
コメント頂き有難うございます。
糖質制限を理解してこれから医療関係者になろうとする方々はある意味大変だと思います。学生の段階から常識の壁と向き合い続けなければならないからです。
しかし一方でその経験を経るからこそわかることもあり、それを乗り越えて医療関係者になる人達はこれからの医療を支える貴重な存在だと思います。大変ですが頑張って頂きたいと思います。
山本正光氏逝去されました。
昨日(7月25日)山本正光氏逝去されました。
関係者のブログの一部、引用します。
> 7月12日、山本さんの法廷証言の日、山本さんは裁判官と満員の傍聴席に向かって、「自分の病気には大麻は効果があった。治療の選択肢のひとつとして認 めてほしい。自分の病気を治療するために使用して逮捕されるようなことは私を最後にしてもらいたい」と渾身のちからを振り絞って訴えました。(引用これまで)
よって、控訴棄却となり、裁判は終了いたしました。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
Re: 山本正光氏逝去されました。
御連絡頂き有難うございます。
いろいろな意味で極めて残念な結果です。
裁判所にはせめて何らかの見解を出してもらいたかったです。
結果によってはこの国もまだまだ見捨てたものではなかったかもしれません。
また氏の想いを察すれば、さぞ無念であったに違いありません。
せめて関わった人達には氏の意志を受け継いでほしいと願います。私も私ができる事を引き続き考えていきたいと思います。
「変わらない脳」の持ち主
> いろいろな理由を後付けして元の環境を変えられない変えようとしない人達の本質は「変わらない脳」の持ち主であり、
「変わらない脳」の持ち主と断定せずに、
「変わらない脳」の持ち主は、「今現在変わらない脳」の持ち主と言い直した方が良いと思われます。
脳梗塞の後遺症で通院されている、70代後半の女性の息子さんのブログ読みました。
この息子さんでも、変れると思います。
例えば、日本糖尿病学会の先生方が「糖質制限」のほうが肥満にならず良いので、ご飯、パン等の炭水化物は極力食べない方が良いと発言し、また、多くの町医者が、健康のために「糖質制限」したほうが良いと、治療の都度、発言するようになれば、この息子さんも必ず変わると思います。
> そういう人達へはどれだけわかりやすくいかに理路整然と伝えた所で徒労に帰するだけだと私は感じていました。
医者は、自身が持っている信念に基づいた医学的知識を元に患者を説得し、治療することがその仕事ではないでしょうか。
で、その説得の方法ですが、
世の中には、理路整然と話しても通じない人がいます。
この場合の説得とは、たがしゅうさんの持っている糖質制限のイメージと患者さんの持っている糖質制限のイメージを交換することです。交換できなければ近づけることでしょうか。
イメージを交換する方法として、理路整然と伝えることも必要ですが、人によっては、胡散臭く感じることもあるようです。多分、説明された言葉がその人のイメージに直結しないのだと思われます。
例えば、その患者さんがサッカーが好きであれば、長友佑都選手が大事にしていることが2つあって食事療法とヨガで、インタビューでは、「ケトン体回路にしたい。」「ケトン体体質にしたい。」と言っていましたよ。
というと、自分の好きな人が、糖質制限を実践しているのかと感じることができれば少しは変化しそうです。
また、たがしゅうさんが患者さんに、「たのむからお願いします!!」というのもありかな。
要は、相手のイメージに訴えかけるものであれば比喩でも何でも良いのだろうと思います。
> ...元の環境を変えられない変えようとしない人達の本質は「変わらない脳」の持ち主であり、...
真面目な、たがしゅうさんは、上記のように言葉を固定してしまうと少しばかり惜しい気がしました。
Re: 「変わらない脳」の持ち主
御助言頂き有難うございます。
> 「変わらない脳」の持ち主と断定せずに、
> 「変わらない脳」の持ち主は、「今現在変わらない脳」の持ち主と言い直した方が良いと思われます。
鋭い御指摘です。痛い所をつかれました。
たとえどんな人であっても未来永劫の脳が変わらないという事は起こりえないと思いますので、
「変わらない脳」の持ち主はあくまでも「現時点で変わらない脳」の持ち主という御意見に同意します。
結局「変わらない脳」とみなすのは、私の諦めの気持ちからであって、逆に言えば私の弱さを露呈してしまっている事にもつながるように思えました。御助言を胸に、「変えられない脳」だと決めつけることなく、少しでも良い方向へ変わってもらえるように自分のできる努力を続けていきたいと思います。
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