科学が世界のすべてだとおごり高ぶることなかれ
2016/03/31 06:30:01 |
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コメント:11件
私は糖質制限の他に、漢方にも興味を持ち勉強している医師です。
1976年に漢方薬は医療保険の中で大幅に使用できるようになりました。
それから40年、現在漢方薬は医療の中に浸透し、様々な場面で漢方薬が処方されるようになりました。
しかしもともと漢方薬は、東洋医学独特の理論体系、すなわち徹底的な経験主義の中で生み出された薬です。
西洋医学的には説明がつきませんが、例えば「肋骨の下の所を触ると硬さや圧痛を認める胸脇苦満(きょうきょうくまん)という所見がある時には、柴胡(さいこ)という生薬の入った漢方薬を使うとよい」など、使用に際しての東洋医学的なルールがあります。
けれども多くの医師はそういった東洋医学的ルールを用いる事なく漢方薬を用いています。
その大きな理由の一つに、「医学部教育の中で漢方の使い方について学ぶ時間はほとんどない」という事があります。
しかも、そのルールが理論的に説明がつかないと来れば、漢方薬自体にうさんくささを感じて勉強自体をしようとしない医師が多いのもある意味仕方のない事かもしれません。
しかしながら、漢方薬はうまく使えば西洋医学では如何ともし難い状況を打破する可能性を秘めており、実際に漢方の名医はそうした治療経験を多数持っています。
それでも「そんなのはたまたまだ」とか、「どうせプラセボ効果だろう」など漢方を軽視する人には、これから紹介する漢方医の先生の事を是非一度知ってもらいたいです。 それは千葉中央メディカルセンター和漢診療科部長の寺澤捷年(てらさわかつとし)先生です。
寺澤先生は熟練の漢方医であると同時に日本神経学会の専門医でもあられ、私と同じ神経内科医です。漢方を扱う神経内科医という意味で私の大先輩に当たる存在です。
寺澤先生は経験論的に導き出された漢方使用のルールを西洋医学的にそのメカニズムを解明する事に多大な貢献をなさっておられます。
例えば、先ほどの胸脇苦満のメカニズムについての寺澤先生の説明をまとめると次のようになります。
『肋骨下を圧迫すると物理的に横隔膜が伸展挙上させられる(MRI画像で確認済)。
筋肉が受動的に引き延ばされたことを、筋肉のなかにある筋紡錘というセンサーが感知して電気信号を脊髄に送る。
この信号が脊髄のアルファ運動神経細胞を興奮させ、伸張反射という現象を介して筋肉を収縮させる。
従って胸脇苦満があるという事は、横隔膜の異常緊張状態があるという事を表している。』
さらに喜怒哀楽といった人間の情動に関係する大脳辺縁系からの交感神経の刺激信号はこの胸脇苦満の発現に関与する事も指摘されています。
平たく言えば、ストレスがあると胸脇苦満が出やすいという事です。
ではなぜ胸脇苦満に柴胡剤が効くかという事ですが、柴胡という生薬の中にはサイコサポニンというステロイド類似の作用をもたらす成分が主に含まれています。
ストレスホルモンとしても知られるステロイドに似た作用を柴胡が持っているという事なので、
ストレスに対抗できずに胸脇苦満が出てしまっている人にとっては、柴胡で抗ストレス作用をサポートすれば事態の打開に役立つというわけです。
どうでしょう。そんなメカニズムも何もわからない時代から経験則でこの筋の通ったルールを導き出していた漢方医学、なかなかすごいと思いませんか。
これ以外にも漢方を処方する上でのルールはたくさんあるわけですが、現時点でそのすべてのメカニズムが解明されたわけではありません。
しかしそのルールを重視して漢方薬を処方すれば確かに成功率が上がります。
という事はそれなりに妥当性のあるルールであり、そのルールの妥当性を説明するのに科学がまだ追いついていないだけだと私は考えるわけです。
この本はややこしいと思われがちな漢方の世界を一般の方にもわかるようにかみ砕いて説明されていますので、
漢方に興味を持ち始めている人、あるいは興味はあるけどうさんくささがぬぐいきれない人には是非とも一読をおすすめします。
ところで先日、科学と哲学の違いについてアドラー本からの引用を紹介しましたが、
実はこの本の中でも、寺澤先生が科学と哲学の違いについて言及されています。
(以下、p183-185より引用)
本書では漢方医学のあたらしい姿を紹介してきたが、
この医学のめざす方向は心身一如(しんしんいちにょ)(こころと体は切り離せない)の「全体性」をどのようにしてとらえるかにある。
一方、科学の方法論はデカルト以来、「分解」していく方向に進んでいる。
そもそもscienceはラテン語のscientiaに由来するが、このscientiaはscireが元となっており、「切る、分離する」という意味である。
Scienceを「科学」と翻訳したのは西周(にしあまね)(1829~97年)であるが、
「科」は「きりめ、わかつ」であり、separate, divideという意味を持っているので、まことに正しく翻訳されている。
その学者の名前を思い出せないのだが、英国のある科学者はscientistと呼ばれるのを嫌い、わたしはphilosopher(哲学者)だと憤ったという逸話をどこかで読んだ。
薬学博士も医学博士も英語ではPhD.と表記されるが、Doctor of Philosophyの略語であり、哲学博士なのだ。
わたしの解釈では人間存在や自然のありようを「なぜか」と深く考えるひとがphilosopherでり、その一部を解明する「技能」を持つひとがscientistなのである。この違いをわたしたちは明確に認識すべきである。
つまり、科学は人間の生きる仕組み、あるいは自然界の成り立ちを解明するための一つの手段であって、目的ではない。
ハッキリいうと、現代の西洋医学が患者さんの訴える自覚症状を軽視するのは、
医療も「科学の僕(しもべ)」となり、この心身二元論(※心と身体を切り離して考える)を是認しているためなのだ。これを四文字熟語では本末転倒という。
科学は客観性、普遍性、論理性を満たすことを前提にしている。
普遍性を担保するにはものごとを数値化し、計量化しなければならないが、自覚症状は計量化できないのだ。
そもそも「気の思想」の「気」が計量化できないので、科学の三原則に違背してしまうのである。
(引用、ここまで)
たまたまアドラー本を読んだ後に引き続いて、私はこの文章を読んだので、
「哲学」という言葉に関して、ある種運命的なものを感じました。
そうなんです。私は医学研究を通じて哲学博士になろうとしていたのです。決して科学者を目指していたわけではないのです。
エビデンス、エビデンスとばかり言う医師は科学の僕であり、
西洋医学のみを信奉し、東洋医学を軽視する立場を取り漢方を処方しない医師は見識が狭いと私は思います。
確かに科学も大事ですが、それだけがすべてではない。その事を私たちはもっと認識すべきです。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
かつてアインシュタインは量子力学批判として神はサイコロを振らないと言いましたが、サイコロを振る神もいていいではないかと反論されたそうです。
量子力学や素粒子論が我々から見て難解なのはあまりにミクロの世界であって我々の直感では拒絶したがる、つまりはっきり言って向いてないからだろうと思うのですが、フツーの医大で学んでフツーの臨床しかしてない医師が漢方薬の世界に怪しさを覚えてもそれは無理もないことなのでしょう。
最近読んだルトワックと言う人の本にイラク戦争開戦時のアドバイザーとして会議でフセインを倒してもイラクで民主主義なんてムリですよと発言したらレイシスト呼ばわりで聞く耳をもたれなかったとありましたが、そういった誤ったストーリー(フセインを倒して選挙制度を導入すれば戦争は終わりでハッピーエンド)を集団が信じ込んでしまうと中々軌道修正はされないようですね。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
御指摘のように常識化した観念を覆すのは容易ではありません。
木を見て森を見ず、ではないですが、人体を扱うにもミクロの視点とマクロの視点の両方が必要だと私は考えます。
西洋医学は専門の細分化があまりにも進み、視点がミクロになりすぎてしまったという所にまずは気がつくべきだと思います。
No title
「画期的な治療法が開発されました」的な・・・
報道がちょくちょくありますよね。
最初はワクワクしながらテレビを見てましたけど、
飽きてきました。
最新の研究とやらも胡散臭いです・・。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
だいたい同一パラダイムの中での「画期的な治療」である事が多いですよね。糖尿病のSGLT2阻害剤や花粉症の舌下免疫療法などがその一例でしょうか。
私に言わせれば西洋医学的アプローチは手詰まりです。その中で画期的なものを探している限り、本当の意味で「画期的なもの」はなかなか見つからないのではないかとわたしは思います。
EBMがすべてではない
講演の最後の方に、このような内容がありました
「EBM, ガイドラインは実臨床では限界あり」
「EBMが大切だが、実臨床に疾患の成り立ちのヒントがある」
私はこれを聞いて、科学が世界のすべてではないということを感じ取りました
Re: EBMがすべてではない
コメント頂き有難うございます。
同じ実臨床での出来事を経験しても医師によって捉え方は異なりますが、
例えば治療困難な病気に遭遇して、「難病だから仕方がない」と思うのか、「治せないのは今のやり方に限界があるからではないか」と思うのとでは、その後の行動パターンが大きく変わってくると思います。
No title
私自身、漢方はぱっと見難しいですし、信じてなかったのですが、とあるきっかけて花粉症に漢方を処方してもらったら、ついでに慢性鼻閉まで治ってしまいました。
患者としては、「良くわからないけど治る」としても、治ることが重要なのであって、EBMは関係ないと思います。
先生も仰られてる通り、その良くわからないけど治るのを科学的に検証が進んでるようですが、これとてもよい傾向だと思います。
そもそも、西洋医学でも、人体の解明も、カロナールも実はどうやって効いてるかも分かっていません。(cox-3の阻害?)
それなのに漢方はEBMが無いから・・とはなから否定するのも違うかな、と思いました。
好きな先生の本に、「いっそラムネと思って使ってみろ。」「そのうちプラセボとは明らかに違うと実感出来る」という言葉がありました、もっともとだと思います。
また、最近ドラッグストアでは、名前を変えて、中身が漢方の薬が多く出ています、漢方っぽく無い名前なのですが、実は中身は漢方だったりということがよくあります。
もっと治らない病気で悩んでる方が漢方を使ってみるきっかけになるといいな、と思います。
とりとめもないコメントで申し訳ないです。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
> 患者としては、「良くわからないけど治る」としても、治ることが重要なのであって、EBMは関係ないと思います。
本当にその通りですよね。
もっと言えば、この薬で血圧を10下げるというエビデンスが出ましたとか、HbA1cを1.0%下げるというエビデンスが出ましたとかいうのも患者さんの立場からすればたいして重要な情報ではないかもしれませんね。
データよりも、今まさに困っている患者さんの症状を取り去る事が医療の目標です。西洋医学はデータを重視しますが、東洋医学は検査などできない時代から患者の症状と向き合ってきた医学ですので、さまざまな症状に対応するさまざまなノウハウが散りばめられています。そこに私は大きな価値を感じています。
参考になる本
> 西洋医学は専門の細分化があまりにも進み、視点がミクロになりすぎてしまったという所にまずは気がつくべきだと思います。
ここの記事に関連し、ふと以前読んだ書籍を思い出し、ただいま再読中でございます。
「生命とはなにか」(複雑系生命科学へ)第2販 金子邦彦著 2009年2月29日 東京大学出版会
この本少々お高いですが、第1章「生命システムはどのように研究したらよいだろうか」と第12章「まとめと展望」を読むだけで元がとれます。(笑)
第2章~第11章は難解な記述が多くて飛ばしてもよい。
第1章で現代の分子生物学の限界とその方法論に対して批判と苦言が記されております。1部引用しておきます。(少々長いが・・・)
もっとも、臨床的にはクソの役にも立たないと思いますが・・・
-----------------------------------
・・・生命システムには、個々の遺伝子や分子の性質の組み合わせというだけでは表せないような普遍的な性質があるようにみえる。発生過程はなぜ安定しているのか。生から死.また、胚性幹細胞(ES細胞・万能細胞)から幹細胞、そして分化の決定(同一タイプの細胞しか複製できなくなること)で細胞の多能性の喪失という一方向の不可逆性がなぜ起こるのか、そもそも同じものをつくるという複製と、多様化していくという生物進化の2面性はいかに両立しているのか、生物はみずから規則をつくるという自主性ををいかに有するのか----こうした問いは個々の分子の性質に帰するのではない一般的な問いであり、たんに各分子の性質を調べ上げ枚挙してそれを組み合わせる立場では答えられないであろう。
・・・複雑系としての生命基礎論研究は、こうした問いに対して答えうるような、「理解の様式」をつくろうと,とくにそれによってミクロとマクロのダイナミックな循環の仕組みを理解しようというもである。
分子に還元せずに、枚挙にも走らず、生物の普遍的な性質をどうとらえるか、これこそ、この本で議論したい問題である。
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引用終わり
Re: 参考になる本
情報を頂き有難うございます。
生物を複雑系として捉える発想は臨床的に実に役に立つと私は考えています。そのように全体として捉えて治療しようとするのが、漢方や中医学のアプローチです。ですから複雑系という概念についてはよく理解しておく必要があると思います。
No title
>生物を複雑系として捉える発想は臨床的に実に役に立つと私は考えています。
そうですねえー この本の第3章(動的システムとしての生命)で、アトラクターという現象(時間変化による状態の変化と安定性)を細胞の実験系で説明されています。
絶食(断食)による体の状態変化などはアトラクターの応用なのかもしれないと、ふと思いました。
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