やりたいからやる勉強

2016/03/19 13:10:01 | 自分のこと | コメント:4件

私は真面目な人間ですが、いわゆる「勉強」は好きではありませんでした。

真面目な性格だから学校の先生の言われることは全て守る感じで過ごしてきましたので、

結果的に勉強量は平均より多めだったかもしれませんが、それは自分が好んでやっていた勉強ではありませんでした。

アドラー的に解釈すれば、「親や学校の先生に嫌われないようにするという目的」のために勉強をしていたような気がします。

医学部に入ってからの勉強も、複雑な生化学や生理学の話や、難解な解剖用語や薬の暗記、

あるいは臨床実習での緊張する場面の連続でして、楽しんで学ぶというよりも、先に進むために最低限のノルマをクリアするという思いで日々学んでいたように振り返ります。

しかし医師国家試験に合格し、医師になってからの勉強はそれとは少し違いました。 医学生時代にさんざん学んだけれど、何がどう役に立つのかいまいちピンとこなかった知識の数々が、

患者さんへの診療を通じて、なんというか有機的につながっていく感覚を得たのです。

糖質制限を知る前からその感覚はありましたが、糖質制限を知ってからというものその感覚が加速度的に増してきたように思います。

もっと言えば、医学部に入る前に小中高で学んだ事も、

時々思い出したかのようにつながり役に立っていた事に気がつく事があるのです。


先日とある本屋さんで何気なく高校受験対策コーナーを見ていると、

「化学」の受験対策書が立ち並んでいるのを目にしました。

高校時代には苦手意識のあった化学ですが、そういった対策書がわかりやすく噛み砕いて書いてあるおかげもあって、

当時よりも抵抗なくす〜っと読み進めていける感じがしました。

有機物と無機物の違いと役割、酸化還元反応とエステル化、グルタチオンや人工甘味料の構造など、

今でも役立ちそうな内容も結構書かれていて、たまらず私は衝動買いしてしまいました。

良い勉強とは「自分の目的のために役立たせる意識があること」と、

「やらされてやるのではなく、やりたいからやる」という主体的な感覚が大事なのかもしれません。

医者になってからの勉強が面白くなったのも、「患者さんを助けたい、苦しみを和らげたい」という私の目的に、

勉強した事が直結し、良い結果が出れば貢献感を感じて、決してやらされるのではない想いで学ぶ事ができたからではないかと思います。


今年受験勉強で苦しい想いをした人達はその結果が出た頃だと思います。

その結果が自分にとって良いものであれ、悪いものであれ、

頑張って勉強した人達はそうして得られた知識をどう活用していくか、その先の自分を想像してみて頂ければと思います。

試験に受かる事だけを目的にしてしまうと、不合格の場合にそれまで勉強した時間が無価値に感じられてしまうかもしれませんが、

結果がどうあれ、勉強した事をその先の自分にどう役立てるかという観点があれば、無駄な勉強は存在しない事に気がつきます。

医療に限らずどの道を進むにしても、何らかの知識がある事は未知なる道を進む上での助けになります。

ただ、今学んでいる事が将来の自分にどう役立つのかを具体的にイメージする事は厳しいと思います。そういうのは後になってからわかるものです。

どうせ何が役に立つのかわからないのなら、大まかな目標を決めて後はがむしゃらにいろいろな事を学べばいいと思います。

私の場合なら「患者さんを病から救いたい」という大まかな目標をもとに、関係ありそうな事を中心に貪欲に学んでいく感じですね。

今の私は高校受験のプレッシャーなどない立場ですから、

高校化学も素直に自分のために学べるような気がします。

そういう主体的な勉強というのが、勉強の本来あるべき姿だと私は思います。


たがしゅう
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コメント

2016/03/21(月) 07:18:44 | URL | マルセル #-
おはようございます。

今回の文章を読んで、人間万事塞翁が馬、という言葉を思い出しました。
或いは、禍福は糾える縄の如し、ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ。

今やっていることや起きていることは、あとになって振り返った時に幸にもなり得るし、また別の時点からは不幸にもなり得るわけで、糾える縄のようであり、だとするなら今のことをあまりくよくよ考えても無駄であって、肩の力を抜いて今を過ごすことができそうです。

Re: タイトルなし

2016/03/21(月) 10:21:30 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
マルセル さん

コメント頂き有難うございます。

> 今回の文章を読んで、人間万事塞翁が馬、という言葉を思い出しました。
> 或いは、禍福は糾える縄の如し、ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ。


確かに、今回感じた事とリンクしますね。

大事な事は時代が違えど形を変えて受け継がれてきていると、諺や格言は存在するだけで伝承されるだけの価値があったという事を示しているものかもしれませんね。

No title

2016/03/31(木) 00:40:16 | URL | 佐々木 #cl76GnhY
たがしゅうさん、こんばんは。

最近、テニスプレイヤーであるジョコビッチの食事に関する本を読みながら牛乳のカロリーの半分は乳糖であることを知りました。それで考えました。人間の母乳にはどれくらいのラクトースが含まれているのか。調べるとこれもでてきました。

http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-2269.html

ここで江部氏は珍しく、はぐらかして、こたえから逃げています。

もしたがしゅうさんなら同じ質問にどう答えますか?僭越ながら質問させていただきたいです。

Re: No title

2016/03/31(木) 03:35:49 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
佐々木 さん

 御質問は「ヒトの母乳には糖質が割と多く含まれるが、これをどう考えるか?」という事でよろしかったでしょうか。私のわかる範囲でお答えします。

 母乳中の糖質の主成分は乳糖で、「乳糖(ラクトース)」=「ガラクトース+グルコース」です。
 ガラクトースは配糖体、糖鎖など身体の構成成分として利用される側面もあるので、グルコースほど血糖値を上昇させないようです。

 従って、人乳中は糖質量としては多めに見えますが、血糖上昇作用としてはだいたいその半分くらいと考えられます。

 一方で私は自然に存在し、手が加えられていないものは基本的にうまくできているという考えを持っています。
 例えば、母乳中にはオリゴ糖もあります。オリゴ糖は新生児の腸内細菌を安定化させる働きがある事が示唆されています。この辺りの話は夏井先生の著書「炭水化物が人類を滅ぼす」にも詳しく書かれています。

 2013年12月24日(火)の本ブログ記事
 「『炭水化物が人類を滅ぼす』書評」
 http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-130.html
 も御参照下さい。

 従って、御質問への答えと致しましては、
 「確かに母乳には糖質量はやや多いが、それは糖質の必要性を示唆しているのではなく、あくまでも母乳という多成分複合物全体として必要性がある」という事になります。

 2015年1月3日(土)
 「超多成分系システム」
 http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-532.html
 も御参照下さい。

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