自分が本当にすべきこと
2016/01/02 00:01:00 |
偉人に学ぶ |
コメント:11件
「友だち論」から始まった今年のたがしゅうブログですが、
これに関してはこんな方も見解を述べておられます。
新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか 単行本 – 2015/9/10
北野 武 (著)
タモリさん、明石家さんまさんと並び、お笑い界のBIG3として知られる、ビートたけしこと北野武さんです。
お笑いの才能だけにとどまらず、歯に衣着せぬ物言いで討論番組やニュース番組の司会を務められたり、
映画監督としての才能も開花させ世界で評価されているというのは皆さんもよく御存知の所だと思います。
そんなたけしさんの本をまともに読むのは私は今回がはじめてだったのですが、冒頭の文章を読んで私は一気に惹きつけられました。
(以下、p6より引用)
まず最初にお願いしておきたい。
他人のいったこと、他人の書いたこと、あるいは他人の考えたことを、そのまんま鵜呑みにする性癖のある読者は、
ここですぐさま本をパタンと閉じて棄ててしまっていただきたい。
あるいは、どこかの川かなんかの名前のついた外国の本屋にでも売り飛ばせば、少しは金になるかもしれない。その方が、絶対にためになる。
これから先は、読んではいけない。覗いてもいけない。大変な目にあうから、やめておいた方がいい。
万が一、この忠告に従わず、その結果いかなる不利益をこうむろうとも、俺は知らない。それだけは、最初に言っておく。
これから書くのは、あくまで俺の考えだ。
(引用、ここまで)
さすが、たけしさんです。
逆説的に中身が気になるような文章となっていますし、
私もブログを書くに当たっては同じような事を思っていますので非常に共感を覚えます。
この本は現在の道徳教育についてたけしさんの視点で批判を述べられたものです。
簡単に言えば、「良い事をしたら気持ちが良いから、あなたも良いことをしなさい」という勝手な価値観を押し付けるような道徳教育は良くないという意見です。
それだけ聞くと「それの一体どこが悪いのか?」という声も聞こえてきそうですが、つまるところ道徳教育は偽善に満ちているのです。
私もこの本を批判的に読んだつもりですが、結論的にはかなり同意できる部分が多い内容でした。
さてこちらの本から、たけしさんが友だちについて語った箇所を引用してみます。
(p136-138より引用)
【友だちが一人もいなくたって、幸せに生きてる奴はたくさんいる】
(前略)
道徳の教材でもうひとつ気になるのは、やたらと友情の価値を押しつけるところだ。
いじめの問題があって、それをなんとかしようということなんだろうが、浅はかな考えだ。
「友だちがいると楽しい」とか「友だちに助けられた話」とか「友だちがいるとこんないいことがある」とか、
例によっていろんな友だちの効能が道徳の教材には書いてある。
まず、それが打算だろう。ほんとうに友だちがいる奴が書いたのか。
友だちを助けるのは、いつか自分が助けてもらうためではない。友だちが好きだから、助けるだけのことだ。
友だちを助けることで、自分が不利益をこうむったとしても、それでも助ける。それがほんとうの友だちってものだ。
『走れメロス』は王様が改心したからいいようなもので、もし王様がもっと血も涙もない奴だったら、下手すると二人とも殺されていただろう。
友だちがいてよかったなというのはあとから思う話であって、友だちなんてものは何かの目的のために作るものではない。
だいたい、役に立つからって友だちを作るような奴と、誰が本気で友だちになりたいだろうか。そうでもしなきゃ、今の子どもはなかなか友だちを作ろうとしないのか。
友だちなんて、無理して作らなくったっていい。
友だちが一人もいなくたって、幸せに生きている奴はいくらでもいる。
ところが道徳の本を読んでいると、友だちがいないと幸福にはなれないような気分になる。友だちが作れない人間は、まるで問題があるかのようだ。
そういう教育をしているから、友だちを作ることが強迫観念になって、なんとか仲間はずれにならないように涙ぐましい努力をする子どもが出てくる。
子どものイジメが増えた原因も、案外そんなところにある気がする。
大学の学食で、一人で飯を喰っていたところを見られたくないばかりに、トイレでモノを喰う学生がいるなんてことが話題になった。それもそういう道徳教育の延長にあるんじゃないか。
道徳の教育で教えるべきなのは、むしろ無理して友だちなんて作らなくても、人は十分に幸せに生きていけるということだ。
恋人がそうであるように、友だちは誰かに強制されて作るものじゃない。
それとも、少子化で結婚するカップルがもっと減ったら、道徳の授業で、「恋人はいいもんだ」なんて教えることになるんだろうか。
(引用、ここまで)
昨日の蛭子さんもそうでしたが、テレビで活躍し交友関係も広いであろう芸能人が、
「友だちは作ろうと思って作るものではない」と言うところに大きな説得力があると私は思います。
あえて友だちを作らず、気づいたら結果的に友だちだったというのが本当の友だちの作り方なのではないでしょうか。
考えてみれば子どもが初めて友だちを作る時だって、そんな風に友だちを作っているような気がします。
そういう意味で今の道徳教育が行っている事は本末転倒です。
では、なぜそんな教育がいまだにのさばっているのかという理由を考ると実は面白いです。
そして突き詰めれば、この本のサブタイトルにもなっている「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか?という疑問にもつながっていくのですが、
たけしさんはこの疑問に対して「人が群れる動物だからだ」という見解を述べておられます。
いいことをするのはあくまでも「他人のため」であって、自分のためではありません。
だからいいことをすれば基本的に群れという集団の利益となり、その事はひいては自分の利益となります。
この辺りはアドラー心理学の「他者貢献」の考えにも通じるところがありますし、
人間を動物の一種として考える自然を踏まえた考え方には私は説得力があると思っています。
ただ、だからと言っていいことばかりやっていればみんながハッピーになるほど世の中が単純じゃないというのが難しい所です。
誰かにとっていいことは、別の誰かにとっては悪い事である場合も往々にしてあるからです。
また、いいことの価値観は時と場合によってしばしば異なります。
だから誰かわからない他人が言った聞こえの良い「いいこと」をするのではなく、
自分の頭で考えた真の意味での「いいこと」を、自分の頭で判断して行うことが大事だと、
糖質制限に通じる大事な考え方ではないでしょうか。
やはりテレビで大きく活躍される方は一味も二味も違いますね。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
友達、人付き合い
2日にわたって友達や人付き合いについて考える機会を与えてくださり、ありがとうございます。
私は今では無理に友達を作ろうとしているのではない、ただ会社の飲み会への参加もできればしたくないというところです。しかし、後者は、仕事の一部と考えて割り切るしかない、といったところです。
友達については、例えば休日に自分から会おうとすることはまずないように思います。でも大学の同窓会でたまに会う仲間と会うことには抵抗はありません。自分の基準が何なのかわかりませんが、あまり気にせず、自分に正直にあろうと思います。今までそれで問題なくやってこれたのですから。
さて、正月は糖質制限者にとって、雑煮などは天敵ですが、そこは家族との団欒を大切にして食べるようにしています。今年も無理のない糖質制限を続けようと思います。昨年末頃から、ケトン体を意識してMCTを摂るようにしています。先生のコメントにあるように、何が良いのか、自分の頭でもよく考えていきたいと思います。
Re: 友達、人付き合い
コメント頂き有難うございます。
基準は難しいですよね。かくいう私も偉そうに言ってますがしばしば悩みます。
ただ「社会との関わりを維持するには、多少の我慢も仕方がない」というのは「自己犠牲」の考え方です。
その気持ちは大変よくわかりますが、そういう思考はストレスを無意識のうちに貯めこみ体調不良の温床となりえるものです。
どうしてもそうしなければならない状況であったとしても、せめて「自己受容」に発想が転換できると少しは気持ちが楽になるかもしれません。私も試行錯誤の毎日です。
> 今年も無理のない糖質制限を続けようと思います。
それが一番だと思います。無理をしているうちは習慣化するのは難しいですし、それもまたストレスになりますのでね。
ステップアップを目指すには「ほんの少しだけ努力をする」というのが一つのコツだと思います。これまた偉そうなことは言えないのですが・・・(汗)。
2014年8月24日(日)の本ブログ記事
「努力を『努力』と感じない人達」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-398.html
も御参照下さい。
人付き合いは難しくない
嫌なグループには属さない。嫌な飲み会には出ない。嫌な友達とは付き合わない。
ただ、私の場合は派遣社員だからそれが自由に出来るのかもしれません。その職場のカラーに自分が合わなければ無理をせずに違うところで働こうと思ってますから。
そういう考えや行動のうえで出来た友達は本当に良いですね!そしてそういうお付き合いの友達は、私も気を使わないけど友達も私に気を使わない。だから一緒にいてとても楽なんです。
人からは、社交的で人の為になんでも世話をやいて気を使っていると言われますが、そんな事は全くありません。頭で考える前に、自然と思うまま行動した結果がそうなっているだけです。
誰かにお給料いただいてるわけでもないのに、イヤイヤ人付き合いや世話役なんてしません^^;
人に気を使う事なく、思うように行動して、ストレスのない楽しい人間関係が作れたら良いですよね(*^^*)
Re: 人付き合いは難しくない
コメント頂き有難うございます。
> 人からは、社交的で人の為になんでも世話をやいて気を使っていると言われますが、そんな事は全くありません。頭で考える前に、自然と思うまま行動した結果がそうなっているだけです。
素晴らしいです。
まさにそういうのが理想的な心の在り方の一つだと私は思います。
素直な自分
あるがまま、たしか禅の思想でもありますね。少しの努力、そういえば私は週に2回のジョギングがストレス解消です。
いつも素直な自分で入られるようにしたいです。
No title
あけましておめでとうございます
昨年は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします
おっしゃるように、「いいこと」について真の「いいこと」か否かを自身で噛み砕いて考える必要があると感じました。いつか先生の記事にあった「すべて鵜呑みにしてはいけない」というタイトルを思い出しました。
自分が本当にすべき事・・・それは感動世界に生きる事だと考えています。この場合の感動とは美しいモノに触れたり、感動的な映画を見る事ではなく、「ヒトの気持ちを感じて動く」事です。
その意味で先生は感動世界に生きておられると思いました。いつも相手の気持ちを心底大切にされているからです。私の理想です。
くんだみえ
糖質制限と断食
糖質制限をする内に、お腹がすくことがなくなり、1食抜かしたりすることが苦痛ではなく、むしろその結果元気溌剌になたような気がしてきたことから、次はたがしゅう先生の糖質制限の次は断食と言われていたことに興味が移ってきました。紹介されている不食や断食の本を何冊か読みあさった結果、たくさんの細胞や常在細菌による人体のホメオスタシスの仕組みがおぼろげながらにわかってきました。食べない方がいろんな細胞が頑張ってそれぞれの働きをしてくれることにびっくりぽんです。
ところで、糖質制限では肉類はOKなのに、甲田流の断食法では、食べない方が良いということを言われていて、「人類のご先祖は肉食だったので食べてよい。」という糖質制限の理屈に相反します。その部分がひっかかって、断食道場にチャレンジしてみたい気持ちが半減してしまいます。たしかこのあたりにところをたがしゅう先生がふれられていたブログを過去に拝見しました。その辺の詰め当たりのことが、わかっていればご教授いただきたいです。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
「ヒトの気持ちを感じて動く」、大事な事だと思います。
わがまま、あるがままというスタンスは、一見感動世界と矛盾するようですが、そうではない事が伝わっているようで嬉しく思います。
相手の事を考えるからこそ気が向かない場には出向かない、形式だけで行っているような行事には参加しないのです。
そこに心動かされるものがあるならば、どんなに遠くても私は出向きます。
Re: 糖質制限と断食
コメント頂き有難うございます。
> 糖質制限では肉類はOKなのに、甲田流の断食法では、食べない方が良いということを言われていて、「人類のご先祖は肉食だったので食べてよい。」という糖質制限の理屈に相反します。
甲田先生をはじめ従来からある断食法の指導者は実際に起こっている事実を重視されていると思います。
ただそこに糖質制限の理論はない中で考えるので、従来から言われている「肉が悪い」という固定観念にミスリードされやすかったのではないかと私は考えています。
糖質制限の理論と断食を組み合わせて理解している指導者は実はなかなかいません。
ですが、それができれば断食はもっと安全に、より効果的な治療法としての可能性を拡げる事ができるのではないかと私は思います。
常識とか、良識とか。
たけしさんの言っていることは、その人が、常識で生きるか、良識で生きるかの違いかなと感じました。端的に常識という客観的判断、良識という主観的判断になるのかということです。
正しい正しくないは別にして、この社会の中で処世術として常識の中で、我々は生きることが多いわけですが、それが良いのか悪いのかは、はたまた妥協の産物なのかは考えずに、この社会に生きるためのテンプレートとしてあるわけです。
また、自分の考えからその良識で生きることもできるわけです。その取っ掛かりは感覚的なものか、積み上げてきた理論的なものかは人それぞれあるでしょうけれど自分なりの判断、価値基準で判断するわけです。
人間関係ってのもスペクトラムなものですから、どこまでが面識があるとか、親友だとか難しいものですから、あまり細かく考えずに自然に振る舞って自分の良識で対していけば良いだけなのかと感じました。
Re: 常識とか、良識とか。
コメント頂き有難うございます。
> 常識で生きるか、良識で生きるかの違いかなと感じました。
確かにそうですね。
常識で生きる人は変化を恐れるけれど、良識で生きる人は変化があろうとも正しい事を追い求める、そのような違いがあるのかもしれませんね。
そして御指摘のようにすべての人はそのどちらかだとクリアカットに分かれるわけではなく、それらの要素が人それぞれ違った割合で混ざったスペクトラムとして存在しているのだと思います。
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