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一方向よりも多面的な治療を

category - 漢方のこと
2014/ 12/ 04
                 
西洋薬の多くは一方向性の性質を持ちます。

例えば、血圧を下げる薬は高血圧の人には使えますが、当然ながら低血圧の人には使えません。

血圧が上がったり下がったり乱高下している人に対しては、安易に降圧薬も昇圧薬も使いにくい状況です。

あるいは血液をサラサラにする抗血栓薬は、脳梗塞の予防にはなりますが、出血を起こしやすくなる副作用があります。

逆もまたしかりです。何かをよくしようとすれば別の何かが悪くなる、これが一方向性の薬の基本的な特徴です。

しかし糖質制限ならば、高血圧でも低血圧でも、脳梗塞でも脳出血でも、おしなべて予防することができます。

それはなぜか、糖質制限は有害なものを取り除く作業だからです。
            

糖質制限がほとんど全ての人に有効である理由もここにあると思います。

たくさんの人に糖質制限が有効であるという事実は、それだけ糖質が人類に共通して有害性をもたらしているということの裏返しになると思います。

有害なものを抜くだけなので、メリットこそあれデメリットはないのです。

だから糖質制限はあるときには血圧を下げ、あるときには血圧を上げ、またあるときには脳出血・脳梗塞の同時予防になり、

減量をさせることもあれば、やせすぎの人の体重を元に戻すこともできるという、

そんな多面的な治療法になりえるわけです。

こんな都合のいい治療はいかなる西洋薬にも成し遂げられないと思います。


一方で私が興味を持っている漢方薬は、それに近い現象がみられる事があります。

漢方の世界では、「漢方薬の構成生薬が少なければ速く効き、多ければゆっくりと働いて複雑な作用をもたらす」という原則があります。

例えば、芍薬甘草湯という漢方薬は、芍薬と甘草というわずか2種類の生薬で構成され、

こむら返りに対して即効性があり、シャープに効く事が特徴の薬ですが、

一方で、補中益気湯という漢方薬は、「人参(ニンジン)」「黄耆(オウギ)」「蒼朮(ソウジュツ)」「柴胡(サイコ)」「当帰(トウキ)」「升麻(ショウマ)」「陳皮(チンピ)」「生姜(ショウキョウ)」「大棗(タイソウ)」「甘草(カンゾウ)」と10種類の生薬で成り立っています。

基本的には食欲のない人に使う薬ですが、過剰な食欲であればかえって抑えるというように全く逆の作用をもらたす事があり、

西洋薬のように一方向性ではなく、多面的な効果をもたらす薬として私は注目しています。

そうした食欲の事のみならず補中益気湯は、疲れをとったり、自律神経を整えたり、体力の衰えた人を回復させたりと、

様々な効果をもたらす事から別名を「医王湯」と呼ばれ、効果の幅広さを物語っています。

考えてみればもともと漢方の生薬というのはほとんどが植物由来だったり動物由来だったりするわけですから、

「漢方は一種の食事療法である」という大きな見方もできるかもしれません。

すごいのはその組み合わせの妙であり、ただ食べ物を適当に食べたのでは決して起こらない現象を、

生薬の絶妙の配合で起こすということ、そしてそれを科学の確立していない時代に経験論から導いたということです。


世の中では科学が隆盛を極め、

○○阻害剤だとか、△△受容体拮抗薬だとか次々と新しい薬が開発され世に出てきますが、

そんな一方向性の治療より、こうした多面的な治療の方に

未来は拓けているのではないかと私は感じます。

たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

全く同意です
まったくそのとおりですね。
西洋薬を使って処方していると、それが実感できるはずです。特に高齢者で薬剤過敏性の方々が多いようですし、特に最近TVで話題のレビー小体病などに西洋薬を処方すると効果と副作用がほぼ同時に出てくるので、治療は非常に難渋します。各薬剤が一方向作用なので、おのずと薬の種類が増えてしまう傾向があります。たぶんパーキンソン病も同じですね。
特に神経系の薬を何種類も積み重ねるのはリスクが高いと思われます。多剤併用によってどう作用するのかどんな経験のある医師でも想像できないと思います。

Re: 全く同意です
アンチスタチン主義 さん

 コメント頂き有難うございます。

> 特に神経系の薬を何種類も積み重ねるのはリスクが高いと思われます。多剤併用によってどう作用するのかどんな経験のある医師でも想像できないと思います。

 昔研修医時代に、指導医が多剤処方している患者さんの診療を傍からみていて、
 
 「自分には想像もつかないような複雑な事を考えてこの処方に至っているんだろうな」と尊敬のまなざしでみていた時代がありましたが、

 今にして思えば何のことはない、おそらく何もわかっていなかったのでしょうね。