ごくわずかを検出する力

2014/08/29 00:01:00 | 自分のこと | コメント:1件

今日は自分の専門である神経内科について語ります。

現代の医療は専門分化しすぎており、

人を全体としてみる総合診療の視点が不足しがちな状況です。

神経内科も、内科という大きな枠組みから専門分化された診療科の一つです。

内科の中でも脳・神経に関わる病気を専門的に扱うのが、神経内科医の主な仕事です。

具体的な病気の名前で言えば、脳卒中、片頭痛、認知症、パーキンソン病、多発性硬化症、重症筋無力症、脊髄小脳変性症、筋萎縮性側索硬化症、などなど…

実に様々な病気を取り扱っています。 また神経というのは全身に張り巡らされているので、

他の専門科とまたがる問題もしばしば取り扱います。

例えば糖尿病の合併症で神経障害をきたし、手足の温度感覚、触覚、痛覚などの感覚が鈍くなっていく場合があります。

神経の専門だからと言って、糖尿病の事はあまり知らなくてもいい、というわけにはいかないのです。

また、肝臓が悪くなればアンモニアという毒素がたまり、脳の働きを鈍らせる「肝性脳症」という病気もありますし、

心臓が悪ければ、脳への血液の運びが悪くなり失神を起こして我々が相談を受けるケースもあります。

さらには肺炎を繰り返す人の背景に、飲み込みの機能を支配する神経の異常が関係している場合があり、その背景に多発性脳梗塞や神経変性疾患が隠れている、という事も珍しくありません。

こうしてみると神経内科医は結構全身を診ている傾向があると思いますし、

言い換えれば「総合診療医寄りの専門家」と言えるのではないかと思います。


一方で、神経内科にはもう一つ面白い所があります。

それは「高度な診療機器を使わなくともかなり力を発揮できる」という事です。

大学病院などの大病院ではMRIや電気生理学的検査、核医学検査など、そこでしかできないような高度な検査が注目されるので忘れられがちなのですが、

基本的に神経内科医の最大の武器は問診と診察です。

先日、酸化ストレスが過剰かどうかはごくわずかなものも含めて体調を悪くする症状があるかどうかで判断すべき、という見解を示しましたが、

優れた神経内科医は、高度な医療機器を用いずとも、

その身一つで問診と診察を用いてごくわずかな症状を検出する力に長けています。

逆に言えば、高度な医療機器では、ごくわずかの症状を検出するのは難しいのです。

例えば筋萎縮性側索硬化症という病気では、病状が進むと舌の筋肉が動かしにくくなり、

線維束性攣縮と呼ばれる舌のピクつきが出現するようになります。

ある程度その症状が目立つようになれば、電気生理学的検査でその異常を検出することができますが、

実は線維束性攣縮が出現するずっと前から、患者さんは舌の動きの違和感を感じているのです。

しかし病気のごく初期では、そうした症状はごくわずか過ぎて、「そんなこともあるだろう」と思って、

自分からその症状を訴える患者さんはまずおられません。

そこで神経内科医は、筋萎縮性側索硬化症を疑った場合、

「歯にはさまった食べもののカスをベロで掃除するのがやりにくくなった、というような事はありませんか?」という質問をするのです。

この質問にもし「はい」と答える場合は、より筋萎縮性側索硬化症の初期症状である可能性を強く疑います。

これは、「ごくわずかの症状を検出しよう」という姿勢がなければできない質問です。

神経内科はこうした質問の技術に優れています。

これは総合診療医のスタンスに通じるものがあります。


去る東日本大震災の際に、

及ばずながら私も医療支援に駆けつけた時がありました。

その時に私が感じたのは「災害医療とは、究極の総合診療」だという事でした。

機器も物資もない中で、どうアプローチしてどう判断を下し、患者さんの健康を守るためにどうすれば良いのかという事を考えさせられる究極の応用問題だったと思います。

薬を出すだけ、検査をして結果を説明するだけの医者はそういう場では到底太刀打ちできません。

そういう究極的な状況な時こそ、

今まで医学が積み重ねてきた歴史の真価が試される時です。

神経内科医や総合診療医のやり方は、

そういう時にも対応できる医療の大事な部分を外していないのではないかと、

私は考えています。


たがしゅう
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2014/08/29(金) 08:04:15 | | #
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