糖質依存から抜けられないもう一つの理由

2014/08/16 00:01:00 | 普段の診療より | コメント:0件

皆さんは「イネイブラー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

「イネイブラー(Enabler)」を直訳すれば、「できるようにする人」、アルコール依存症に関連する言葉です。

アルコールを長期的に飲み続けるためには、本人だけでなくそれを可能にする周りの協力者の存在が重要になってきます。

例えば、あるアルコール依存症の患者がいたとして、家族がその患者にアルコールを飲んで欲しくないのでお酒を隠したとします。

ところがその患者は隠された事に逆上して家族に対して暴力行為に出る、というケースがあるのです。

そして暴力を怖れた家族はやむなく本人のそばにお酒を置くようになってしまい、この時その家族は「イネイブラー」となってしまうのです。 実は先日診療をしていて、それと同様の事が糖質依存にもありそうだと感じる出来事がありました。

70代の男性で2型糖尿病があり、これまで脳梗塞を2回発症されている患者さんです。

2回目の脳梗塞の時の主治医が私であり、例によって糖尿病のコントロール、脳梗塞の再発予防のため糖質制限の指導をしっかり行いました。

幸い脳梗塞としては2回とも軽症であったため、リハビリ転院を経てほぼ後遺症なく自宅へ退院され、

半年ぶりに私の外来にやってきましま。

ところがその時に糖尿病の状態が指導前よりもむしろ悪くなっていたのです。

糖質制限はきちんとできているのか、と尋ねると、同伴していた奥さんが、

「本人が言うこと聞かないから、こればっかりはどうしようもありません」と答えます。

糖尿病が悪くなっているのに糖質をやめることができないという、

まさに糖質の中毒性による糖質依存の状態です。

確かに糖質制限は自分が納得して実践しないと成立しないので、

奥さんが言う事も一理あるとは思います。

しかし、この患者さんの場合、主調理者は奥さんであり、本人はただ出されるものを食べているだけという状況にあります。

「奥さんがその気になれば、おかずばかりのメニューも差し出す事ができるのではないですか?」と尋ねると、

「でも、本人が欲しがりますもので…」と答えられます。

さらに話を聞いていると、水やお茶を飲まないからといって奥さんがスイカを食べさせたという話も出てきました。

水やお茶など、口渇感を感じれば自ずと飲みたくなるはずです。それを感じる前に奥さんは本人にわざわざスイカを与えてしまっているという事になると思います。

要するにこの患者さんが糖質依存から抜けられないのは、本人の意志力が無い事というのもさることながら、

奥さんが糖質を与えているという事も大きな要因となってしまっていると思うのです。

つまりこの患者さんにとっての奥さんが「イネイブラー」となってしまっているわけですが、

アルコール依存との決定的な違いは、「イネイブラー」自身に罪悪感が生じにくいという点です。

裏を返せば、糖質がアルコールほど依存物質として社会的に認知されていないということの現れだと思います。

お互いに依存を許してしまっているこの夫婦は、はっきり言って破滅への道を辿っていると私は思います。



そして、そういう人はよくこう言います。

「もう年だからいつ死んでもしょうがない」

そう言ってアルコールや糖質の害を慢性的に受け続ける事を許し続けます。

しかし私は問いたい。『本当にそれでいいのですか』と。



私は病院の現場で臨死の瞬間に何度も立ち会っていますが、

重度の糖尿病の人の死因に安らかなものはほとんどありません。

ある人は脳卒中で嘔吐を繰り返して動けなくなりいきなり意識不明の重体へ、ある人は心筋梗塞で苦しんで急死、

またある人は糖尿病に合併したがんで、高度に衰弱して亡くなります。

さらには感染症を起こし、それが制御困難となり亡くなる方もおられます。

どれをとっても安らかな死とかけ離れたものばかりです。

そういうなす術も無く見送るしかない時は医師として無力感にさいなまれます。

その実情を知らずして気軽に「いつ死んでもいい」なんていうのは甘く考え過ぎだと思うのです。

「そんなはずじゃなかった」と、後から後悔しても遅いのですから。



本当に家族を病気から救いたいのなら、

本当に家族の事を大事に思っているのなら、

糖質からの離脱に向けて、まだできる事はあるはずです。

しかしそういう発想すら思い起こさせないくらいに日常生活に溶け込んで、

なおかつ真綿で首を締めるようにゆっくりと患者を苦しめていき、かつその存在に気がつかせない糖質依存というものは、

誠に恐ろしいものだと感じています。


たがしゅう
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