専門家的思考の何が問題なのか

2023/11/16 16:25:00 | 糖質制限 | コメント:1件

私は専門家はもっとも常識の壁を乗り越えにくい存在だと思っています。

それは糖質制限食に対する糖尿病専門医の挙動、がん放置療法に対するがん専門医の挙動、そしてコロナワクチン被害に対する感染症専門医の挙動を見ていて、つくづくそう思います。

彼らに共通しているのは「事実よりも論文を重視する」という姿勢です。

というよりも「論文で起こっているが動かしがたい事実である」と信じていると言った方が適切かもしれません。

たとえ目の前でどんな事実が繰り広げられようとも、

糖質制限食で糖尿病が良くなる患者がいようと、標準治療を受けずに元気にしているがん患者がいようと、

そしてコロナワクチン接種直後に死亡する人がどれだけ発生しようとも、

彼らにとって論文に書かれていることだけが絶対的な事実であり、

目の前で起こっていることはデマや勘違い、あるいは気のせいの類にしか見えないのだと思います。 いや、「彼ら」という言葉を使って、まるで自分とは違う存在であるかのように捉えない方がいいかもしれません。

誰でも何かに興味を持って、それについて調べたり勉強したりしていくことで、特定の分野に詳しくなっていくことはあってしかるべきですし、

その延長線上に専門家になるという事象があるはずですから、誰もが専門家と地続きの存在だと思います。

専門家になること自体は決して悪いことではないはずです。なのにどうしてこんなことになってしまうのでしょうか。

今回は専門家になるとはどういうことなのか。一冊の本を取り上げながら考えてみます。

取り上げるのはこちらの本です。



これだけは知っておきたい 糖質制限食のエビデンス 単行本(ソフトカバー) – 2023/4/18
辻本 哲郎 (著)


著者は東京都は港区にある虎の門病院分院の糖尿病内分泌内科の部長をされている辻本哲郎先生で、糖尿病専門医の肩書きを持っておられます。

本のタイトルを見る限り、フェアに糖質制限食について検討されているのかと思いきや、

私なりに超訳すると、この本には「糖質制限食は確かに短期的には減量効果はあるけれど、長期的には危険な食事療法だから、無理せず糖尿病専門医の言うことを聞きなさい」という内容が書かれています。

短期的な減量効果を認めている点はまだいいにしても(本音では「減量効果だけ」というのも視野が狭いと感じますが)、

長期的には危険な食事療法であるという内容を数々の医学論文を引用して説明しておられます。

糖質制限を10年以上実践してきて体調は良好だし、古今東西様々な医学論文を丁寧に読み込んできた私からすると、「あぁ、またか」と思えるような結論なわけですが、

今回はなぜ専門家の思考がこのように現実と乖離した結論に至るのかについて、

この本に書かれている内容から私なりに検証してみようと思います。


まず目についたのは「はじめに」というパートで書かれていた冒頭のこの部分です。

(以下、「はじめに」より引用)

現在、糖質制限に関する情報が非常に氾濫しています。

その情報は全て正しいものでしょうか?

論文に触れることが多い臨床医や研究者は、間違っていたり

根拠がなかったりするような情報はすぐにわかります


(引用、ここまで)



やはり専門家は「論文には正しい情報が書かれているという前提」でいるということがよく伝わってくる記述です。

その論文の結論が間違っていれば、論文に触れることが多い臨床医や研究者ほどより間違ってしまうかもしれないのに、です。

例えば、辻本先生は糖質制限食の長期的安全性については次のように述べています。

(以下、p73より引用)

(前略)

この研究だけでなく、他の研究結果やメタアナリシスなどでも同様の結果が集まってきている以上、

やはり現時点では糖質制限食が死亡リスクを高める可能性が高いと考えるのが妥当です。

(引用、ここまで)



ところが、その結論を下すのに使われている論文が、

まず当ブログをはじめ、様々な医学研究者からバッシングを受けた悪名高い能登論文(2013年)、です。

この論文の妥当性の低さの理由については過去記事を参照してもらえればと思いますが、

能登論文を書いた当の能登医師でさえ「ただし、今回の解析はさまざまな理由で炭水化物摂取量が低かった人達の観察研究の結果であり、管理された低炭水化物食による介入研究の結果ではないため、確固たる結論を出すことはできない」と結論の妥当性を担保できないコメントを出しているほどです。

さらにU字カーブのグラフで有名なSeidelmann氏の糖質制限批判論文(2018年)、これも相当に問題がある論文であることを当ブログで説明しました。

つまり信頼性の高そうに見える信頼度の低い論文の結論を複数使って、「その結論である可能性が高いと考えるのが妥当」という結論を下しているのが辻本先生の主張だということです。

信頼度の低い論文がきちんと訂正されないまま(能登論文のように訂正されていてもなぜかその訂正が伝えられないまま)、さらに別の研究者によって引用され、繰り返し信頼度の低い結論が主張される悪循環が医学論文の世界では繰り広げられ続けてしまっているように私には思えます。

もっと言えば、糖質制限食が長期的に死亡リスクを下げるという論文だっていっぱいあるわけです。それらは我らが江部先生がブログで紹介されていますので是非ご覧いただければと思いますが、

なぜそっちの糖質制限食肯定論文はスルーしてしまうのでしょうか。

医学論文上で判断するのであれば、肯定論文も否定論文もフェアに収集して、せめて「結論はどちらとも言えない」と言うべきではないでしょうか。

それなのに「糖質制限食が死亡リスクを高めると判断するのが妥当」だというのです。

言って見れば、専門家は不確実性に耐えることが難しいのではないかと思います。

ただ不確実性に耐えることができないと言うのであれば、私も同じかもしれません

なぜならば私だって「糖質制限食は基本的に良い」と結論づけているからです。

ただ私はその判断を論文中心ではなく、事実中心で行っています。私が「事実重視型思考」と名付けているものの考え方です。

この「事実重視型思考」というのは、コロナ禍において感染対策の問題点に気づかせたり、あれだけワクチン接種圧が強力であった中でもワクチンを打たないという決断を自信を持って行わせた実績のある自慢の思考法です。

つまり私自身が糖質制限食を実践して劇的に体調が良くなったという紛れもない事実を基盤として考えており、

他にも糖質制限食を実践した患者さんにはもれなく同様の改善効果がもたらされている事実を多数自分の目で確認しており、

医学論文はあくまでもその事実を補足するための補助線のように捉えているということです。

またそうした事実を元に考えれば、事実と異なる医学論文の結果は非常に慎重に読み込むことになり、

慎重に読み込んだ結果、有名医学雑誌や信頼度が高いとされるエビデンスレベルの高い研究の問題点が次々と明らかになるという経験を幾度となく繰り返しているから、

糖質制限食の長期的有効性について心から納得することができているのです。

だから私はもしかしたら自分が間違えているかもしれないという可能性を頭の隅に残しつつも、

「事実重視型思考」を元にして糖質制限食の実践に関しては自信を持っておすすめするスタンスをとっています。

一方で糖質制限食の実践で体調不良に陥った人の経験も私は受け入れて、理由や改善策を一緒に考えるようにもしています。

逆に言えば、専門家の場合は「常識重視型思考」になってしまっているのではないかと思います。

例えば、とある糖質制限の減量効果を示した研究を示して、辻本先生は糖質制限の副作用について次のように言及しています。

(以下、p37より引用)

(前略)

この研究では副作用についても詳細にチェックされています。

糖質制限食は低脂肪食と比べて、便秘、頭痛、口臭、筋けいれんなどが有意に多く認められました。

野菜摂取やサプリメントなども細かく指示はされていましたが、これらの副作用が高率に生じる可能性があり、注意点の1つですね

(引用、ここまで)



ちなみにこの論文は糖質制限に理解のあることで有名なデューク大学のYancy Jr.先生の論文です。

これらの副作用と表現されている症状はいずれも、

それまで糖質中心食であった人の代謝が糖質代謝から脂質代謝に切り替わる時に出現する、一過性の症候を示しているものと思われます。

実際、この論文の本文を見れば、「これらの症状は短期間であり、大量の水分摂取、野菜やブイヨン、サプリメントの摂取で軽減できた」との記載もあります。

しかし、辻本先生の記載にはその「短期間である」という言及がありません。

糖質制限食の実践者であれば、これらの症状が一時的で支障のないものであり、取り立てて問題にする必要がないことは体感的にわかるはずですが、

辻本先生はそのことには言及されず、まるで糖質制限食を行う限りずっと付きまとう副作用であるかのように表現されています。

なぜそのように表現されるのでしょうか。

きっと糖質制限食を実践した事実がなく、頭の中に「糖質制限食を長期に継続するのは危険だ」という常識があるからではないかと想像します。

常識が事実と異なっている場合には、常識を支持する科学的根拠はむしろ慎重に扱うべきではないかと私は考えます。


最後に専門家的思考の問題点をまとめます。

・常識重視型思考である(常識が事実と異なった場合にも訂正ができない)
・不確実性に耐えることが非常に難しい(とても頼りにされるから期待に応えようとし過ぎてしまう)
・間違った時に謝ることができない(専門家故のプライドの高さがそうさせる)


繰り返すようですが、私は別に専門家になること自体は悪いことではないと思っています。

ただし、自分の考えだけが絶対に正しいとは考えない「謙虚さ」さえ持ち合わせていれば、です。

専門家が信頼の根拠としているエビデンスは、もはや揺らぎに揺らいでしまっている状況だと思います。

判断を間違えてしまった時に「あの時点では仕方がなかった」ではなく、

「あの時は判断を間違えてしまってごめんなさい」と言える医師でありたい。

だからこそ医療に必要なのは、科学的根拠よりも対話的な姿勢ではないかと私は考える次第です。


たがしゅう
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2023/11/17(金) 14:26:40 | | #
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